8月14日「徹底解剖 茶道テディベア4」 ご機嫌よろしゅうございます。
茶道テディベアの魅力のご紹介も。
4回目を迎えることができました。
第4回は、いよいよ、『茶道テディベア』固有の魅力について、ご紹介したいと思います。
全長:22センチメートル(子猫ちゃんくらいのかわいい大きさです。)
素材:シルク/ポリエステル/コットン(シルクの入った素材はシュタイフ社でも珍しい!)
瞳はツヤツヤの真ん丸。
大切に手に持ったお茶碗とチラリとのぞく帛紗が茶道の象徴です。
ピンクの振袖のお柄は小堀遠州公より430年続く遠州流茶道の家紋、
七宝花菱文。 七宝紋は輪違い紋ともいわれ、無限に連鎖する平和や円満を意味する 輪の交叉から成る文様のため、「世界中の財宝」と「無限の子孫繁栄」を 表す吉祥文様(とても縁起の良いおめでたい文様)として好まれて参りました。 とてもかわいいテディベアでございます。
詳細は、下記URLでご覧くださいませ。楽しみにお待ちいたしております。
http://enshuryu.sakura.ne.jp/shop/html/products/detail.php?product_id=6
専用ダイヤル 03-6228-1208
8月11日 徹底解剖茶道テディベア
ご機嫌よろしゅうございます。
先日発売されました『茶道テディベア』の魅力について、ご紹介して参りたいと思っております。
まず、第1回は、テディベアが多くの人をひきつける理由をご紹介いたします。
“テディベア”とはクマのぬいぐるみの別名です。
シュタイフ社のテディベアは、デフォルメしすぎず、動物が本来持っている「自然な可愛らしさ」を大切にしています。
つぶらな瞳と突き出た鼻。ふわふわの毛並み。手足と首が動かせ、お好みのポーズをとらせることができます。
素材はこだわり抜いた高品質な自然素材や、安全性・耐久性に優れた新素材を使用します。
その柔らかい毛並みで子どもたちに安心感を与えてきました。
ちょっと意外な魅力は、無表情であること。
一見無表情に見える表情には子供たちが持ついろいろな感情を投影しやすいのだそうです。
8月10日 柴田勝家と茶道具
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日ですので、官兵衛の時代のお話を。
浅井家滅亡後、信長の妹お市の方を妻とし
信長が倒れて後に、秀吉と対立する柴田勝家。
勇猛な武将とされていますが、秀吉に先んじて
刀狩りのような取り組みもしていたり、智将でもありました。
柴田勝家といって思い浮かぶ茶道具といえば
柴田井戸、そして芦屋姥口釜(あしやうばぐち)です。
侘び茶の流行した当時
野生的なたくましさのある高麗茶碗、とりわけ
井戸茶碗は武将にとても好まれました。
その名品を信長より拝領し、後に柴田井戸と呼ばれ、
現在は根津美術館に所蔵されています。
昨年、同館で開催された井戸茶碗の展覧会でも展示され、
記憶に新しいところです。
また勝家は、織田家に伝わる秘蔵の姥口の釜を所望して
いましたが、信長もこれは手放すのが惜しかったのか
なかなか拝領できず、数年して越前平定後、
こんな歌とともに与えられました。
なれなれて添ひあかぬ仲の姥口を
人に吸はせんことをしぞおもふ
8月8日 遠州公と抹茶
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお抹茶のお話を。
抹茶の銘には「~の昔」「~の白」という名前が
よくつけられているのをご存知でしょうか?
遠州公の師匠である古田織部は、
抹茶の色をヨモギ餅の緑色(青)を見てより鮮やかな色にしようと
抹茶を作る際、茶葉を少し茹でることにしました。
これを「青茶」などと呼びます。
こうすることで見た目は綺麗な緑になるのですが、
香りがなくなり味が多少落ちてしまいます。
そこで遠州公は茹でない以前の製法に戻しました。
この製法で出来た抹茶は「青茶」に比べて白っぽいため
「白茶」と呼ばれました。
現在抹茶として製造されているものはこの「白茶」で
昔の製法に戻ったことから「~の昔」「~の白」
という銘がつけられることが多いというわけです
8月 7日立秋(りっしゅう)
秋きぬと目にはさやかにみえねども
風の音にぞおどろかれぬる
ご機嫌よろしゅうございます。
まだまだ暑さ真っ盛りですが、
暦の上では今日が立秋、秋になります。
先ほどの歌は古今集の秋歌上のはじめに
おかれている藤原敏之の歌です。
詞書には「秋立つ日によめる」とあるように
立秋の日の歌で
秋になった兆しは、まだ目に見えないけれども、
風の音の中にその気配を感じて驚いた
という意味の歌。
当時の人も、立秋の日に同じように感じていたのですね。
立春からちょうど半年が経過したことになり
この立秋から立冬の前日までが秋となります。
暑中見舞いも立秋を境に残暑見舞いに。
暑い夏もあと少しと思って名残を惜しみたいですね。
8月2日 ねぶた
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期、青森では有名な「ねぶた祭り」が
行われます。
このねぶたの由来は諸説あるようで
もともとは酷暑でたまった疲れや眠けを、
秋の農繁期の前に水に流そうという
「眠り流し」の行事だとされています。
これに七夕祭りの灯籠流し、送り火の要素が加わって
現在の形につながったようです。
歴史上の人物をかたどった巨大な張り子の
中に灯りをともし、笛や太鼓の音と共に練り歩く
姿は迫力満点です。
賑やかな練り歩きと張り子の灯りも、もとは眠けを
飛ばすためのもの。
その狙い通り、夜の静けさを吹き飛ばす人々の熱気が
今年も祭りを包みます。
ねぷた(弘前)についてはまた改めてお話したいと思います。
7月30日 つりしのぶ
ご機嫌よろしゅうございます。
皆さんは「つりしのぶ」をご存知でしょうか?
釣りしのぶは、山苔を巻きつけた上に
シノブと呼ばれる根茎を巻き付けて、
さまざまな形に仕立てたもので、
これを軒先に吊るして、眺めることで涼をとります。
シノブは山地に育つシダで、乾燥にも強く、
水がなくても「耐え忍ぶ」という意味から
シノブという名がついたとされています。
このつりしのぶは、江戸の中期に
庭師がお得意様へのお中元用に作り始めたもので
江戸の手狭な長屋などでも気軽に楽しめるので
庶民に人気がでて
明治から昭和初期にかけて一般にも広まりました。
7月 28日 桔梗(ききょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
風炉の茶花として重宝される花の一つに
桔梗があります。
桔梗ですが
そもそもは発汗剤、咳止めなどの漢方薬として渡来し
たもので、日本では全国の山野に自生し
ていて、大変馴染みのある花です。
戦国時代には紋所や旗印として多く用いられました。
桔梗の字が「更に吉」の組み合わせで縁起がいいということも
理由の一つのようです。
明智光秀は「水色桔梗」
江戸城を築いた太田道灌は「太田桔梗」
坂本龍馬は「組み合い角に桔梗」
の家紋が使われています。
7月 27日高山右近(たかやまうこん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は利休七哲にも数えられる高山右近について
荒木村重とともに籠城の構えをとった
高山右近はキリシタンを弾圧との信長の脅迫に,
人質として妹と息子を差し出している村重と
キリシタンへの迫害との狭間で悩みます。
最終的には、城や家族を捨て身一つとなり信長に降伏。
右近の降伏により形勢が信長有利となったため
高く評価され加増されました。
官兵衛をはじめ、牧村政治・小西行長・大谷吉継・蒲生氏郷など
多くの武将が影響を受けてキリシタンとなります。
信仰と茶の湯に熱心で、秀吉の世となって
禁教後、家康の時代に国外追放となるまで
前田家の加賀藩に住み、茶所としての金沢の発展に貢献しました。
7月 26日 花火(はなび)
ご機嫌よろしゅうございます。
夏の花といえば
朝顔、槿、いろいろありますが
夜空に咲く花火も、やはり夏の花。
ほんの数秒の短い命ながら
その夜空に光る美しさと
どーんというお腹の底に響く音
暗闇に漂う火薬の匂い
私たちの五感に響くその美しさは
時を経て現代の今も日本人に親しまれててきました。
特に東京・隅田川の花火は、毎年多くの見物客で賑わいますが
もとは死者を弔うための火であったことをご存知でしょうか?
飢餓や疫病が流行した江戸時代
時の将軍であった徳川吉宗が犠牲者の慰霊と悪霊退散のため
隅田川で水神祭を開き、この時両国橋周辺の
料理屋さんが上げた花火が隅田川の花火の由来
といわれています。