10月5日 龍光院(りょうこういん)
ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので
軍師 官兵衛の時代のお話を。
官兵衛改め如水の子である黒田長政は
初代 黒田藩主となり、遠州公との深い縁もあります。
慶長九年(1604)三月二十日如水(官兵衛)は
京都伏見藩邸で亡くなります。
59歳でした。
1606年、如水の子・黒田長政が、三回忌のため
父の墓を塔頭・玉林院南に建てたました。
院名は、如水の院号「龍光院殿如水圓清大居士」から
龍光院とされました。
勧請開祖は春屋宗園、開山は江月宗玩。
1608年に春屋宗園の隠居所となり
1612年に遠州公が自らの菩提所として、
江月宗玩を開祖に、龍光院内に
「孤篷庵(こほうあん)」を建立しました。
1628年以降、現在の茶室「密庵」が建てられたと
されています。
毎年10月1日には開山忌法要が営なわれて、
宗実御家元もお参りされています。
10月 2日 名残り(なごり)
ご機嫌よろしゅうございます。
10月に入り、近年の猛暑もようやく
影を潜めるころとなる頃となりました。
10月も半ばともなると、茶の湯の世界は
名残りと呼ばれる時季となり
あとわずかとなった風炉の時期を名残り惜しむ
夏、床の間を彩ってきた草花に名残りを惜しむ
名残りには様々な意味がありますが、本来の
茶の湯の名残りというのは、そのような自然の季節感
ではなく、前年の口切り以来使用していた茶壷の中の茶が残り少なくなった
ということからくる意味です。
五月、八十八夜の頃に新茶が摘まれ、その茶葉を
そのまま乾燥させ、袋に入れて茶壷に詰めます。
これを一定の温度で保存し、十一月に(旧暦の10月)初めて壷の口が
開かれ、その年の新茶が飲まれることになります。
そしていよいよ残りわずかとなった茶葉を名残り惜しみながら季節のうつろいを感じる
茶の湯ならではの言葉といえるのです。
10月 1日 神無月(かんなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から十月。
十月の異名を「神無月」といいますが、
よく言われる説として、
八百万(やおよろず)の神々が
話し合いのため出雲の国に集まる月。
そのため各地では神様が留守になるので
「神無月」といいますが、神様の集まる出雲では
「神在月」と呼ぶといわれています。
これは出雲の御師が広めた説とする考えもあり、
「神嘗祭(かんなめづき)」
「神祭月(かみまつりづき)」
また十月は雷のならない月ということで
「雷なし月」からくるとする説もあります。
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9月 30日 芋茎(ずいき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの時期が旬の芋茎のお話を
芋が収穫される秋、その芋の茎である
芋茎も様々な調理法で頂きます。
この芋茎、平安時代には「いもし」と呼ばれていた
ようですが、「ずいき」と呼ばれるようになったのは
夢窓疎石の歌に由来するという説があります。
いもの葉に置く白露のたまらぬは
これや随喜の涙なるらん
随喜とは仏語で大いに喜ぶなどの意味があります。
芋の葉の上に溜まった雨露はしみ込まず、
大きな雫となって葉のふちから滴り落ちます。
これを神仏の恵みを喜ぶ感激の涙と捉えた歌です。
京都では「ずいき祭」とよばれる有名な北野天満宮の
お祭りが10月1日から行われます。
ずいきやその他の野菜で飾ったお神輿が加わり
その収穫に感謝します。
9月 26日 鷺(さぎ)の絵
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は鷺の絵のお話をいたします。
鷺の絵は、松屋三名物の一つです。
奈良の松屋は漆屋を称した塗り師の家で
その茶を村田珠光に学びました。
鷺の絵は、その侘びた珠光表具のすばらしさから、
利休が「数寄の極意」としたこともあって
名だたる茶人はこぞってこの絵を松屋に拝見にいきました。
遠州公の師、古田織部
は利休に「数寄の極意」をたずねたところ
利休は松屋の鷺の絵を挙げられ
翌日、織部は直ちに馬で奈良に向かい
その鷺の絵を拝見したというエピソードもあります。
遠州公の父、新介正次は当時松屋の茶会に赴いたり、
自宅の茶会に招くなど親交を深めていました。
遠州公は父に連れられて、文禄3年2月3日、16歳の時に
この絵を拝見しています。
残念ながら現在は焼失し、見ることはできません。
9月25日 お萩とぼた餅
ご機嫌よろしゅうございます。
お彼岸になると店先に並ぶ
お萩…ぼた餅とも言いますね。
モチ米とうるち米を捏ねた餅に
漉し餡をつけた「牡丹餅」は、
牡丹の咲く春のお彼岸に作られ、
粒餡の「おはぎ」には小豆の粒が萩の小さな
花を連想させるので秋のお彼岸に好んでつくられました。
これは小豆の収穫の時期にも関係があるようです。
秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、
とれたての柔らかい小豆をあんにすることができるため
柔らかい皮ごと入ったつぶあんができます。
春のお彼岸では、冬を越した小豆を使うので
皮は固くなっているため、これを取り除いた
小豆を使い、こしあんとするのだそうです。
9月22日 今来むと…
今来むと言ひしばかりに長月の
有明(ありあけ)の月を待ち出(い)でつるかな
ご機嫌よろしゅうございます。
秋のお彼岸となり、暑い夏も
ようやく終わりが見えてくる頃でしょうか。
普段は慌ただしい毎日ですが
月を眺めてゆっくり過ごす心のゆとりも
忘れたくないですね。
冒頭の歌は「古今集」所載・素性法師の恋歌です。
「今すぐに参ります」とあなたが言ったから、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っていると
有明の月が出てきてしまいました。
有明の月は夜明けに現れる月
長い秋の夜の明け方、空が白々と
明
けるまで待っていたのに あの人は現れなかった…と少々さみしげな歌ですが
LINEやメールで瞬時に返信が返ってくる現代では
考えられないおだやかな時の流れと
その間に膨らむ期待と不安が
とても新鮮に、映ります。
9月 17日 秋の七草
ご機嫌よろしゅうございます。
春には春の七草と言って、七草粥をいただく
ことからも、その七草の種類をご存知の
方は多いことと思います。
同様に秋にも七草と言われるものがあり、
こちらは食べられませんが
山上憶良が万葉集の歌で詠ったことで有名です。
秋の野に
咲きたる花を指折り
かき数ふれば
七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花
女郎花(おみなえし) また藤袴
朝貌(あさがお)の花
尾花はススキ
朝顔は当時まだ日本にありませんので桔梗の
ことをさすようです。
9月16日 流鏑馬(やぶさめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬が
行われます。
鎧兜を纏った武士が、走る馬の上から
的を射る流鏑馬は、
平安時代から行われてきた弓馬礼法の一つと
され、鶴岡八幡宮の流鏑馬については
『吾妻鏡』に源頼朝が、放浪中の西行に流鏑馬の
教えを受け復活させたと記されており、
文治3年(1187年)8月15日に
鶴岡八幡宮の放生会が行われた際、
源頼朝が流鏑馬を催行したことから始まる
とされています。
放生会とは8月27日の虫聞きでもふれました通り
仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を、山野や沼地に放って
供養する仏教の儀式です。
幕府が衰退していくまでは盛んに行われ、
流鏑馬の射手となるのは、当時
鎌倉武士の誉れであったそうです。
9月 14日 心に庵(いおり)を…
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州茶道宗家にて、許状授与式が
執り行われます。
受伝者の皆様おめでとございます。
この許状式では、全国から門人が集まり
準師範をはじめ、宗号・庵号を
お家元から直接いただきます。
宗号とは茶道の世界においては茶人としての名前といえるものです。
古へに茶を嗜むものは禅寺で修行を積んだことから由来するものであり、
許状式において御家元から詳しいお話をいただきます。
また庵号はその名の通り、茶室(庵)の名前です。
式中、お家元が受伝者に向けて贈られる
言葉の中に、こんな一節があります。
「庵を持たない方も心に庵を持って
日々の生活を送られて下さい。」
実際に茶室を持つ人も、そうでない人も
常に胸の中に茶の湯の心を意識して日常を過ごす…
それこそが茶の湯の真の修養であり
お家元からいただいた号に恥じない茶人と
なれるのではないかと思います。