4月1日 (水)遠州流茶道 春の茶の湯

2015-4-1 UP

4月1日 (水)遠州流茶道
春の茶の湯

ご機嫌よろしゅうございます。

いよいよ四月に入り、茶の湯も点法で
炉を使用する最後の月となりました。

春爛漫、可憐な草花が咲き始め、
と同時に口切りから床の間の主役であった椿の花がいよいよ終わりを告げます。

新芽がでるまで古い葉を残す譲葉(ゆずりは)
も、新しく芽を出し始めた若々しい
緑に代を譲り、古い葉を落とし始めます。

茶席の設えとしては、
透木釜や釣釜が春の気配を感じさせますが、

茶席でお出しするお菓子も、春は一層華やかで
心が躍ります。
宗家ではよく「花衣」(赤坂塩野製)をお重に持って
野点のような風情でお菓子をいただきます。

また「若草」と呼ばれる松江の銘菓があります。
新緑を思わせる美しい緑と柔らかな
求肥が楽しめるお菓子です。
こちらは松平不昧公が一月から四月の茶席に
使われたと言われています。
不昧公の

曇るぞよ 雨降らぬうちに摘みてこむ

栂尾山の春の若草

の歌からついた銘です。

他にも春をイメージして作られた菓子はたくさん
ありますので、是非皆さんも探してみてください。

茶席の道具と共に、菓子は季節を感じさせ
私たちの目と舌を楽しませてくれます。

3月 20日 (金)遠州公の異国好み

2015-3-20 UP

3月 20日 (金)遠州公の異国好み
公開討論会テーマにそって

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は 遠州公ゆかりの地、伏見からはなれ、
明日21日に行われる公開討論会のテーマ
遠州公の異国好みにちなみ、遠州公と
関連のある異国の地についてご紹介します。

遠州公はその綺麗さびの美意識から、海外のものを
茶の湯に巧みに取り入れていきました。

オランダ
長崎奉行を通じてオランダに茶碗を注文したり、
大西浄久にオランダの文字を配した茶釜を作らせています。
また葡萄酒を会席の前にお出しするなどしていました。

中国
中国には祥瑞と呼ばれる染付の茶陶を、
景徳鎮に注文しています。その種類は香合・茶碗・水指・向付・会席鉢など多岐に
わたっています。

韓国
切型とよばれるお手本をもとに御本
茶碗を焼かせています。
その代表は御本立鶴茶碗です。

東南アジア
南蛮・嶋物など、様々な茶道具を見立てています。
また間道の裂にも遠州公が深く関わっています。
舶来の織物のなかに縞模様があり、それを仕覆に
したのも遠州公です。
間道は当時あまり知られていなかったもので
大変斬新なものでした。
遠州公が関わった名物の茶入には、
ほとんどこの間道が添えられています。

またペルシャやヨーロッパの裂を道具の箱の風呂敷に用いるなど
細かいところまで心配りしていました。

遠州公の取り上げた海外の道具は枚挙に尽きません。
異国情緒漂う物を巧みに茶の湯に取り入れていたこと
がわかります。

3月 18日(水)遠州流茶道の点法

2015-3-18 UP

3月 18日(水)遠州流茶道の点法
各服点(かくふくだて)

ご機嫌よろしゅうございます。

通常の濃茶のお点法が一通り出来るように
なると「各服」というお点法を習います。
これは、文字通り各々に一碗ずつお茶をお点てする
お点法です。

現在でも昔の形式を伝えて点てられている
建仁寺の四頭茶礼や、文献から見て、
もともとは一人一碗の各服点であったようですが
侘び茶の発達と共に、一碗を回し飲みする喫茶法が
普及していったと考えられています。
「茶湯古事談」には、各服では時間がかかりすぎるため
利休が回し飲みを始めたと書かれています。
戦国の武将・松永久秀の茶会にも、既に回し飲みをした
記録が残っています。

原則飲み回しをしない流儀もあり、
遠州流茶道でも「各服」のお点法としてお稽古します。

使用する茶碗は違う種類でも、点法に使用することができます。

3月 11日 遠州流茶道の点法

2015-3-11 UP

3月 11日 遠州流茶道の点法
透木釜(すきぎがま)

ご機嫌よろしゅうございます。

春にかけられる釜の一つに
「透木釜」があります。

平たい釜の成りをしていて、釜の羽根が
炉壇にかかるように据えるため、
「透木」と呼ばれるものを炉壇の両辺に置き
その上に釜をかけます。
そのため五徳は据えず、
炉中の火気を室内に伝わりにくくします。

遠州好みの透木は朴(ほお)か黒柿で作られ
長さ約10,8センチ、幅・厚みは約1,5センチで
上部を蒲鉾型に削ったものを使用します。

もともと切り合わせの風炉釜が茶の湯の
起源で、奈良風炉(土風炉)と称して
土製で作られた最初が透木風炉だったといわれています。

お点法は通常と違いはありませんが
炭点法の際には透き木の扱いに注意が必要です。

3月 9日 (月)菜の花

2015-3-9 UP

3月 9日 (月)菜の花

菜の花や
月は東に 日は西に

与謝蕪村

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は春を代表する花
「菜の花」をご紹介します。

家元もお雛様の頃に、稽古場などで
水盤に桃と菜の花を入れられることもあり
とても可愛らしい取り合わせです。

その黄色い花は目で見て、
そして味わって春を感じることの
できる植物です。

「菜の花」という名前は「野菜(菜っ葉)の花」
という意味からついた名前だそうです。
おひたしや和え物(あえもの)として食べられます。

弥生時代に中国から渡来してきたといわれ、
当初は種を絞って「菜種油」として利用するために
栽培されていたようです。
観賞・菜種油・食用等用途によって品種が分かれ、
食用としての菜の花が普及したのは明治時代以降と
いわれています。

3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って

2015-3-6 UP

3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って
「 伏見六地蔵の地」

ご機嫌よろしゅうございます。

文禄4年 遠州公が十七歳の時に、君主・秀保が
急死、父、新介は秀吉の直参となり、
伏見六地蔵に居宅を移します。

現在の伏見の六地蔵尊の南側百メートル
あたりに屋敷があったと思われます。

この屋敷には寛永二年(1625)遠州公四十七歳
に伏見奉行屋敷が出来るまで居宅として
使われていたようです。

さて、京都では六地蔵巡りという行事があります。
この伏見の地蔵尊をはじめ、計六ヶ所の地蔵を巡礼する
というものです。
慶雲2年(705)藤原鎌足の子、
定慧によって創建された大善寺、
その地蔵堂に安置する地蔵菩薩立像は、平安時代の初め、
小野篁(おののたかむら)が、一度息絶えて冥土へ行き、
そこで地蔵尊が苦しむ人々を救う姿を見ます。
その後蘇った後に、一木から刻んで六体の地蔵を掘り
祀ります。
当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていため
「六地蔵」の名がつきました。
その後、平清盛が都に通じる主要街道の入口に
残り五体を分祀し、これらの地蔵を巡拝する
六地蔵巡りの風習が生れました。

3月4日 (水) 遠州流茶道の点法

2015-3-4 UP

3月5日 (水) 遠州流茶道の点法
硯屏(けんびょう)

ご機嫌よろしゅうございます。

書院飾りや、違棚などに飾られる硯や筆などの
文房具。これらは室町中期頃の書院式茶の時代から
見られる飾りですが、その中に硯屏(けんびょう)
とよばれる文房具があります。

これは硯の前に立てて、埃や風などが硯に入らないよう
にする小さな衝立のようなものです。

侘び茶の大成により、書院式茶は一時すたれ、
文房具飾りなども姿が見えなくなっていましたが、
遠州公がこの書院茶を復興。書院飾りも再び用いる
ようになったのです。

遠州流茶道では遠州公が考案し、この硯屏を
取り入れたお点法があります。
初入りに文房具飾りをし、濃茶の時にこの硯屏を
用いてするお点法です。

茶道法典では、釣釜と共に紹介されているため
この時期のお点法と思っていらっしゃる方
も多いようですが、本来は四畳半切の普通の濃茶で
使用し、炉開きの頃から4月まで季節を問わず行える点法です。

明日は三月三日

2015-3-2 UP

3月2日 (月)明日は三月三日

ご機嫌よろしゅうございます。

明日は三月三日雛祭りですね。
中国の習俗が伝わり、少女の健やかな健康を
祝う行事へと変化した雛祭りですが、
陰暦の三月三日には「踏青」という行事も
行われていました。

これも中国から渡ってきた行事で、
野原に出かけ、青草を踏んで遊ぶという
今で言えばピクニックのような行事で
陰暦初春から中春にあたる
正月七日・二月二日・三月三日に行われました。

江月和尚が、遠州公の次男である権十郎篷雪の
道中傘と杖の絵に賛をした軸が残っています。
その讃に

上巳佳辰在武陵(じょうみのかしんぶりょうにあり)
芒蛙徒破本無能(ぼうあいただにやぶれてもとむのう)
今朝知禰踏青節(こんちょういよいよとうせいせつをしる)
埜草深中且過僧(やそうしんちゅうかつかそう)

三月三日客武州野     求愚作者也

とあります。
ちょうど三月三日に江戸にいた江月和尚が
踏青節の故事にちなんで友人と青草を踏み
遊宴されたのでしょう。

2月25日 (水) 台目切

2015-2-25 UP

2月25日 (水) 台目切

ご機嫌よろしゅうございます。

お濃茶のお点法を稽古すると
広間と台目のお席で若干置き位置などが
異なり、戸惑われることがあるかもしえません。

台目とは台目切りの茶室でのお点法の仕方のことで
お稽古場では台目棚と呼ばれるものを
置いてお稽古なさることも多いかと思います。

特に茶事において、濃茶はこの台目切りの茶室で
行われることが多いものです。

台目については

【台目畳は、1畳の長手から台子の幅と風炉先屏風の
厚み(一尺五寸)とを切り取った畳のこと。
(略)紹鴎が好んだというが不詳。】(「茶室の見かた」)

【このような構えの最も早いのは、利休が大坂に
設けた深三畳台目である。中柱をもつ台目構えは
台子はもちろん、いかなる「棚」も使用させない
構えであって(略)点茶構えに対する草体化の
究極的な一つの姿であった。】
(「角川茶道大事典」)

などとあるように、侘び茶らしい構えのお点法になります。
畳が短くなる分、手元の道具の位置関係も
随分変わってくるので、注意が必要です。

書院・広間に比べて、侘びの意識で道具が組まれていることも
注目なさってお稽古してみてください。

2月11日 (水)茶入の巣蓋

2015-2-11 UP

2月11日 (水)茶入の巣蓋

ご機嫌よろしゅうございます。

昨年、3月15日にご紹介した「在中庵」茶入の
巣蓋にこんなエピソードがあります。

巣蓋とは象牙の真ん中に通る神経を景色にして
作られた茶入の蓋です。
当時象牙自体貴重でしたが、この「巣」を景色にした
ものはとりわけ珍重されました。
利休から遠州公の時代、この「巣蓋」はまだ存在使用されず、
織部が最初に取り入れたと、遠州公が語っています。
そして、遠州公は中興名物茶入れを選定し、
歌銘をはじめ、箱・挽家、仕覆といった次第を整えていく際に、
牙蓋も一つの茶入れに何枚も付属させており、多様性をもたせる為に
巣のある蓋を好んで用いました。

牙蓋の景色として巣を取り入れたことにより、
巣を右に用いている遠州公に
前田利常公が理由を尋ねたところ、

「客付き(点前座からみて、お客様からみえる方向)
の側に景色を用いるのが自明の理」

と答えたそうです。

遠州公のお客様への配慮、
「綺麗さび」の美意識を感じるお話です。

このお話を知ると、美術館などで
遠州公所縁の茶入が展示されていると
つい巣蓋の巣の位置に目がいってしまいます。

日々の稽古でも蓋のの向きに注意して
お稽古なさってください。