8月 3日(月)明日は何の日?
ご機嫌よろしゅうございます。
明日は8月4日、はしの日です。
1975年、割り箸組合が箸を正しく使おう
と提唱し、箸の日が制定されました。
東京、永田町の日枝神社では使用済みの箸に感謝
し、浄火にくべて供養する箸感謝祭が行われています。
中国が発祥といわれるお箸は、
飛鳥時代に日本に伝わったとされています。
正倉院にも当時使用されていた箸が
おさめられています。
さて遠州流茶道の茶事で使用する箸は、
中国の象牙の箸を模して作られた杉箸で
一尺と長いのが特徴です。
また青竹も、焼き物には中節、煮物には天節、
香物は節なしと使い分け、お客様に箸を替えて
いることが伝わります。
また料理を用意する側も、わかりやすく
間違えにくいという利点があります。
7月 31日(金) 遠州公所縁の地を巡って
「伏見奉行屋敷」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伏見奉行屋敷についてご紹介します。
元和九年(1623)十二月
遠州公は伏見奉行に任命されます。
以後六十九歳で亡くなるまでの二十三年の間
この職を勤めることになります。
この元和九年の七月には二十歳の家光が
三代将軍となりました。
伏見奉行となった遠州公はそれまでの
奉行屋敷が手狭で不便な場所であったため、
豊後橋詰に新しく屋敷をつくります。
この新しい奉行屋敷は、
奉行所としての機能と、奉行の居宅としての
機能を併せ持った建物でした。
また他の奉行所と異なり、特徴的なのは
数寄屋・鎖の間・小書院・小座敷など。
茶の湯で使用する目的で配された部屋が
多く配され、茶の湯が単なる趣味的なものではなく
伏見奉行としての役職に生かされ、政務と茶の湯が
深く交わってていたことが読み取れます。
この庭園は伏見城の礎石などを利用して造られた
もので、上洛した三代将軍 徳川家光を迎えたとき、
この立派な庭園に感心されたといわれています。
この庭園についてはまた来週紹介します。
7月29日(水) 遠州流茶道の点法
「茶巾について」
ご機嫌よろしゅうございます。
普段あまり注目されることのない水屋道具の
一つに茶巾がありますが、
しかし、点法中茶碗を清める道具としては
なくてはならない存在でもあります。
利休も、ある人に道具を見たてて買って欲しいと
金一両を渡されますが、そのお金で残らず
白布を買って送りました。
清潔な茶巾さえあれば茶の湯は出来る
それこそが茶の湯の極意というわけです。
さて遠州流茶道で用いる茶巾は
古くは近江の照布と言われる麻を使用し
現代では保田織とよばれるものを使います。
目が荒くコシがあり、水切りが良いのが特徴です。
保多織は香川県の代表的な織物で
1689(元禄2)年高松藩主・松平頼重公が産業開発と
幕府への貢献のため、京都の北川伊兵衛を
招いて新しい織を開発します。
松平家は一般の使用を禁じ、製法は一子相伝の秘法と
させ保護、幕府への献上品として使われたことから、
江戸時代は上級武士にしか着用が許されませんでした。
水切れがよく、いつまでも丈夫なことから
「多年を保つ」という意味で「保多」という
名がつけられたといいます。
この奈良の「保田織」と高松の「保多織」、
たの字が異なるのですが、織り方は高松の保多織と
同じ手法で、本家の多の字を使うことを避け
奈良では多を田と当て字をしたのではないかと
思われます。もしこの違いについて詳しくご存知の方が
いらっしゃいましたら是非、教えていただければ
と思います。
この茶巾は両端のかがりが一方向のため、両面が表面として
使えます。
点法の際は両手で広げた際、
茶巾の上のかがり部分が自分の方に向くように
持って捌きます
7月 24日(金)遠州公所縁の地を巡って
「二条城二の丸庭園」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二条城二の丸庭園について
ご紹介します。
寛永元年(1624年)遠州公46歳
後水尾天皇の二条城行幸という
幕府にとっての大変な重要行事に際し、
大改修が催されることになり、
その奉行に遠州公が任ぜられることになりました。
池を中心とした庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、
主として大広間から鑑賞されるものでしたが、
庭園の南に行幸御殿が設けられることになり、
遠州は大広間・書院・行幸所の
三方向から眺めて楽しむことのできる庭園
をつくります。
池に浮かぶ蓬莱島・亀島・鶴島の三島の配置もよくできており
三方向から見られることをよく計算されています。
アメリカの日本庭園専門雑誌
『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』
という雑誌では、毎年日本庭園のランキングを発表しています。
知名度ではなく、純粋にその美と質によって
評価しており、日本人独特の先入観が入りません。
この雑誌の中で二の丸庭園は11位に選ばれています。
ちなみに遠州公所縁の「頼久寺」は16位「桂離宮」は2位
にランクインしています。
7月 22日(水)遠州流茶道の点法
「 大板(おおいた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は大板についてご紹介します。
大板は台子の地板を半裁した寸法で
一尺四寸四方(約42センチ)の板です。
小板ではなく、棚物と同様と考え、
柄杓蓋置を飾ります。
暑さの厳しいこの季節は
風炉と釜が一体になっている切合せ(きりあわせ)が、
火気を外にださないため
よく用いられます。
特に盛夏の時期にはより小ぶりな切合が
用いられることがあり、
この切合せを大板にのせて使用します。
先述のとおり、柄杓蓋置は大板に飾り
水指は細めのものを使用します。
また風炉の位置が通常より体に近いため
柄杓の柄も風炉用より短い合柄杓(あいびしゃく)
を使用します。
7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)
ご機嫌よろしゅうございます。
日々続く夏の暑さの中、日本人は様々な楽しみを
見つけ、涼をとる工夫をしてきました。
今日はそんな夏の楽しみの一つ
「鵜飼」についてご紹介します。
鵜飼という漁法で捕獲する「川狩(かわがり)」は
長良川が有名ですが、古くは日本各地で行われてきました。
古来から日本の伝統漁法として守られ、
現在でも夏の風物詩として親しまれています。
夏以外は鯉や鮒などをを中心に昼間漁師が
川に入り、鵜をあやつって魚をとっていましたが
捕獲量も低く、次第に夏の夜に鵜匠が鵜を遣う
技術を楽しむ鑑賞用の遊猟となっていきました。
遠州公も、伏見奉行屋敷の傍を流れる宇治川で
鵜飼の鑑賞を楽しんだことがわかる書状が
残っています。
七月十九日付の五十嵐宗林に宛てた書状には
昨日もお会いしましたが、今日の宇治川の
鵜飼へお招きし、夕食を共にしてゆっくり
語りたい…としたためています。
この書状の宛先となる五十嵐宗林は
生没年も職業も不明な人物ですが、晩年の遠州公の
茶会記には度々登場する人物で、この鵜飼の
文を詠んでも、相当に深い親交があった
ことが伝わってきます。
7月 17日 (金)遠州公所縁の地を巡って
「名古屋城」
ご機嫌よろしゅうございます。
慶長十三年(1608)に駿府城の造営の命を受け、
その四年後には尾張藩名古屋城天守閣作事奉行
を拝命します。
この城は大坂冬の陣・夏の陣に備えてつくられたもの
でしたが、大勢はほぼ徳川の勝利
遠州公は、天下泰平の象徴となるような優雅で
美しいお城を作りました。
一方以前ご紹介した大阪城は、豊臣勢力の象徴
ともいえ、西日本支配を確立するために
豊臣方の威光を完全に払拭する城をつくることが
求められました。そのため従来の城にくらべ
より大きく、権力を誇示する外観となっています。
天下泰平を象徴する名古屋城
権力の象徴であり豪壮な大阪城
同じお城でも、求められる役割がそれぞれに
あったということが興味深いところです。
遠州公はこれら城郭建築に手腕を発揮し、
その名を世に知られていくことになります。
7月 13日(月)お盆の由来
ご機嫌よろしゅうございます。
お盆には7月に行う地域と8月に行う地域が
あるというお話は昨年ご紹介しました。
お盆には先祖の霊があの世から家族の元に帰ってきて、
再びあの世に帰っていく、という日本古来の祖霊信仰と
仏教が結びついた行事です。
正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい
盂蘭盆とは、「逆さまに吊るされたような苦しみ」
という意味の仏教用語です。
この苦しみから先祖の霊を救うため
供物を備え、供養します。
このお盆にまつわるこんなお話があります。
お釈迦様の十大弟子の一人、木蓮(もくれん)
の亡くなった母が地獄に落ちて苦しんでいました。
木蓮は母を救うにはどうしたらよいか、
お釈迦様に相談し、教えを請いました。
そして7月15日に手厚い供養をし、
木蓮の母親は救われたのだそうです。
この木蓮の伝説がお盆の由来と言われています。
7月 10日 (金) 納豆の日
ご機嫌よろしゅうございます。
7月10日は納豆の日とされています。
今日は納豆と茶の湯についてご紹介します。
納豆は鎌倉時代、動物性たんぱく質を
摂ることのできなかった禅宗の僧侶が、
精進料理として、取り入れたもの
といわれています。
江戸時代には納豆は早朝に行商が
売り歩きにきました。
庶民にも広く普及していたようです。
この頃まではまだ醤油も普及しておらず
納豆は調味料的な利用をされ、
汁にすることが多かったようです。
茶の湯に関して言えば
千利休最晩年の天正十八(1590)年から
十九年にかけての100回に及ぶ茶会記を記す
『利休百会記』の中で
天正十八年に7回、茶事の会席において
「納豆汁」を出した記録があります。
秀吉や細川幽斎などの武将にも振舞っています。
天正18年は利休が自刃する前年ですので、
利休の茶の湯も確立された頃
納豆はその精神に叶う食事として会席に利用した
のでしょうか。
7月8日 (水)遠州流茶道の点法
茶箱(ちゃばこ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は茶箱についてご紹介します。
茶箱は古くから旅の際の持ち歩きように
つくられたもので、
茶弁当などとも称されていました。
それぞれの茶人の好みで茶箱が作られました。
遠州公の好みの茶箱には
天の橋立の松の美しい生節の戸に使用した
「橋立茶箱」というものがあります。
宗家道場ではこの橋立茶箱の写しを用いて
お稽古しています。
正面と右側面にそれぞれ菓子器・茶碗茶杓
茶筅・茶器・茶巾が収納され、
シンプルな形ながら、使いやすく遠州公の
心配りが感じられる茶箱です。