7月 24日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-7-24 UP

7月 24日(金)遠州公所縁の地を巡って
「二条城二の丸庭園」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は二条城二の丸庭園について
ご紹介します。
寛永元年(1624年)遠州公46歳
後水尾天皇の二条城行幸という
幕府にとっての大変な重要行事に際し、
大改修が催されることになり、
その奉行に遠州公が任ぜられることになりました。

池を中心とした庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、
主として大広間から鑑賞されるものでしたが、
庭園の南に行幸御殿が設けられることになり、
遠州は大広間・書院・行幸所の
三方向から眺めて楽しむことのできる庭園
をつくります。
池に浮かぶ蓬莱島・亀島・鶴島の三島の配置もよくできており
三方向から見られることをよく計算されています。

アメリカの日本庭園専門雑誌
『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』
という雑誌では、毎年日本庭園のランキングを発表しています。
知名度ではなく、純粋にその美と質によって
評価しており、日本人独特の先入観が入りません。
この雑誌の中で二の丸庭園は11位に選ばれています。

ちなみに遠州公所縁の「頼久寺」は16位「桂離宮」は2位
にランクインしています。

7月 15日 (水)遠州流茶道の点法

2015-7-15 UP

7月 15日 (水)遠州流茶道の点法
「宗実家元好茶箱」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は先週に引き続き茶箱についてご紹介します。

宗実家元が好まれた茶箱「青海茶箱」

青海は、どこまでも広がる大海原に絶えず繰り返される
穏やかな波を青海波と呼ぶことに因み、この茶箱を手にして、いつでも、
どこでも、お茶を一服頂けるように、
「茶の湯を通して心を豊かに」という宗実家元のモットーを表現した銘名です。

正面縁が爪紅になっており、深い緑に紅がよく映えます。
蓋には立礼・天籟と同様、ENSHUの字を
デザインしています。
正面から茶碗・茶筅・茶巾等全ての道具が引き出せる
仕組みになっています。
【告知】

6月17日(水)遠州流茶道の点法

2015-6-17 UP

6月17日(水)遠州流茶道の点法
「茶碗披き(ちゃわんびらき)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は茶碗披きについてご紹介致します。
亭主が拝領した茶碗や名物茶碗を手に入れ
初めてお客様に茶碗をお披露目する際に
されるお点法がこの「茶碗披き」です。

通常の点法では、茶碗は他の道具に比べ
拝見にだす機会が少ないかと思います。
このお点法での主役は茶碗ですので、
通常とは逆に、席入りの時から予め茶碗を飾り付けて
茶入を持ち出して点法を始めます。

また通常の濃茶の点法の最中であっても、
お客様から所望があれば、途中から
「茶碗披き」の仕舞いにしていき、
自分で茶碗を清め拝見に出すことが出来ます。
その場合は水屋に下がった際に、
仕舞い込み茶碗を用意し、茶道口に置きます。

風炉の場合は、席入り前の柄杓の飾り付けも特殊で
華やかな印象のお点法です。

5月27日 (水)遠州流茶道の点法

2015-5-27 UP

5月27日 (水)遠州流茶道の点法
「茶通箱(さつうばこ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は「茶通箱」をご紹介します。

当時大変貴重であったお茶が二種類手に入った時
そのお茶をお客様に両方点ててお出しする
お点法があります。

これが「茶通箱」です。
箱の中に二種類の茶入を入れ、一種ずつお点法をいたします。

元来茶通箱は封をして用いる為のものでもありました。
封の仕方や、その封をした茶通箱の飾りの次第などもあり複雑でした。

毒殺などがあり得た戦国時代には、中身の保証という
意味から、数寄屋坊主が茶入にお茶を入れ
封をして飾っておきました。

また二服目をいただく前に白湯を所望することもありました。

現在ではそのような扱いはすることはなく、
茶通箱の扱いを主たる目的として点法を稽古しています。

1つ目の茶入は必ず肩衝茶入を使用し、二種目の
茶入は瓢箪や耳付など肩衝ではない形の違うものを
使用します。

二種類の茶を点てること、茶通箱の扱いもあり
少々長いお点法です。

5月25日 (月) 五月雨(さみだれに)に…

2015-5-25 UP

5月25日 (月) 五月雨(さみだれに)に…

星ひとつ 見つけたる夜のうれしさは

月にもまさる 五月雨のそら

ご機嫌よろしゅうございます。

そろそろ雨の多い季節がやってきます。
空を見上げても、ぐずついていることが多く、
なかなかすっきりとした夜空を見ることも
難しくなるのではないでしょうか。

先程の歌は遠州公が茶杓の銘につけた歌です。

節から切止へ降りていった左側に
小さな虫食いがあり、
遠州公はこの虫食いを星に見立てて
この歌銘をつけました。
曇りがちな梅雨の頃の夜空に、星を見つけた
ときの嬉しさ
茶杓の景色としてとても映える虫食いの竹を
見つけた喜びにかけてこの歌銘がつきました。

遠州公の茶杓は煤竹や、虫食いなどを景色にした
瀟洒なつくりのものが多く、見所が多いです。

5月 20日(水)遠州流茶道の点法

2015-5-20 UP

5月  20日(水)遠州流茶道の点法
両名物(りょうめいぶつ)

ご機嫌よろしゅうございます。

濃茶で使用する茶入には名物とよばれる
ものがあります。
丸壺や茄子、文琳等の 名物茶入は盆にのせて飾り
お点法でも盆にのせて使用しますが、
肩衝など背丈のあるものや、大振りのものは
点法の時は盆にのせたままでは不安定なため、
盆にのせずに扱います。

その際は初入りでは、盆にのせた状態で飾っておき、
後入りで濃茶の点法の際に盆から外し点法します。

そして茶碗も名物並の道具を使う場合
行われるのが、この両名物という点法です。

茶碗に使い袱紗を折って入れ、「へだて」とします。
その上に茶入をのせて、この状態で
棚の上に飾り付けお点法を始めます。

この点法は棚に茶碗と茶入を飾りつけるため
小間では台目、広間では棚を使用します。

4月29日(水)遠州流茶道の点法

2015-4-29 UP

4月29日(水)遠州流茶道の点法
風炉の設え

ご機嫌よろしゅうございます。

4月も終わりに近づき、5月になると茶の湯の設えが風炉に変わる
季節となります。
炉に塞ぎをして、風炉を壁付きの方へ置き、
火気をお客様から遠ざけます。

炭の寸法も炉に比べて細く短いものを使用し、
風炉は季節の変化に伴って
土風炉・唐銅の前欠・切合せ・鉄風炉
と使い分けていきます。

灰型も昨年ご紹介しましたように、
季節や用いる風炉、また祝儀等によって
古くは三十六種ありました。このうち代表的な
三種を用いるようになっています。

窯は炉用の大ぶりなものから風炉にかける
小ぶりのものにかえ、
柄杓も風炉用の小さめの合のものに。
道具組も初夏の清々しさが感じられる設えを意識します。

4月 8日 (水)遠州流茶道の点法

2015-4-8 UP

4月 8日 (水)遠州流茶道の点法
「二服点て」

ご機嫌よろしゅうございます。

お茶を飲み終わり
「亭主から今一服いかがですか?」
と尋ねられた際、是非もう一服頂きたい
と所望することが出来ます。

その際亭主は二服目をお客様にお点てします。
これが「二服点て」のお点法です。

お客様は所望の際
「大変美味しく頂戴しましたので、
今一服お願いします。」
と返答します。この返事、以前は
「とてもの儀にて、今一服」
と答えたのだそうです。
武家茶道らしいですね。

炉の時期では、中仕舞いを解き、
中水をした後なので、お湯を一柄杓茶碗に汲んだら
湯加減が悪くならないように
釜の蓋に茶巾がのった状態のまま、
すぐに蓋をしめます。

また水指の蓋も炉の時期は
空けた状態では中の水が見え、寒々しいので
一度閉めて点法を行ないます。

4月 6日 (月) 青柳(あおやぎ)

2015-4-6 UP

4月 6日 (月) 青柳(あおやぎ)

青柳の 糸よりかくる
春しもぞ 乱れて花の ほころびにける

ご機嫌よろしゅうございます。

桜の美しい姿を愛で、春の季節を満喫する
頃ですが、同時に青々とした柳の揺れる様を
眺めるのも楽しいものです。

この和歌は
古今集 春上 紀貫之(きのつらゆき)
の和歌です。

青柳が糸を縒(よ)り合わせたように
風になびいているこの春に、
一方では桜の花が咲き乱れていたことよ。

柳と桜は共に都の春を彩る代表的なもので
風になびく青柳の細枝と、咲き乱れる桜の花の
緑と紅の色の対比が、都の春の風景を色彩豊かに
とらえた和歌です。

禅語にも「柳緑花紅(やなぎはみどりはなはくれない)」
という言葉があります。

瀬戸間中古窯に遠州公が「青柳」と銘命した
茶入があります。
釉薬の流れがまさしく青柳の細い枝のような景の
茶入です。

3月 30日(月)桜ちるの文

2015-3-30 UP

3月 30日(月)桜ちるの文

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公所持の掛物「桜ちるの文」
をご紹介します。

定家筆のこの掛物には
前十五番歌合にある紀貫之の

桜散る木の下風は寒からで
空に知られぬ雪ぞ降りける

の歌と凡河内躬恒の

我が宿の花見がてらに来る人は
散りなむ後ぞ恋しかるべき

の二首の上句が書かれていることから
「桜ちるの文」と呼ばれるようになりました。

遠州公は定家を崇拝し、その心も自分のもの
とするため定家様の書体をしたためたことは
よく知られています。

寛永13年、江戸品川林中のお茶屋が完成し
遠州公は三代将軍徳川家光に献茶をしました。
この際に床の間に掛けられた掛物が、
この「桜ちるの文」でした。

この茶会によって遠州公が将軍茶道指南役として
天下一の宗匠として認められた、
最高の晴れ舞台となったのでした。