6月14日 遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「面壁」について
お話します。
作者は泉州堺の眼科医であり儒者であった
正意という人物と言われています。
茶人としても名高く、この茶入の他に
「初祖」「六祖」などの茶入もその手によると言われています。
茶入れの姿から達磨大師が、中国の少林寺で無言のまま九年間
壁に面して座禅し、悟りを開いたという故事をとって、
遠州公が命銘しました。
正意作の茶入はいずれもずんぐりとして肩が丸いので
禅僧の姿にちなんだ銘を付けています。
遠州公の茶会では5回ほど使用された記録が残っています。
5月31日 遠州公の愛した茶入
「埜中(のなか)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「埜中」を
御紹介します。
中国から渡ってきた茶入で
おもはくは埜中にとては
植えおかじ 昔は人の軒のたちばな
慈鎮和尚
の歌意にちなんだものと思われます。
遠州公の茶会記には特に記載が残っていません。
松花堂昭乗との関係があるようで
挽家の「埜中」の字は松花堂昭乗によるもので、
茶入に添えられているお盆の箱書も松花堂昭乗の筆です。
さらに「遠州松花堂贈答の文」の一軸が添えられています。
5月30日 遠州好 「七宝文(しっぽうもん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公の好んだ「七宝文」をご紹介します。
遠州流の、様々なものにこの文様が入っておりますので
皆様にもお馴染みのものと思います。
正しくは「花輪違い」と呼ばれます。
以前は「鶴の丸と丸に卍」が小堀家の紋でしたが
遠州公によって小堀家の定紋と定められたもので、
多くの茶道具にあしらわれています。
七宝文自体を形どって作られているものは唯一
「七宝透蓋置(しっぽうすかしふたおき)」
が好まれています。
またオランダのデルフトへ注文したと思われる
箱書きは「をらむだ筒茶碗」にもこの文様を上部にめぐらせて
いて、今の時代にみてもモダンな茶碗です。
5月 24日 遠州公の愛した茶入
「玉柏(たまがしわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「玉柏(たまかしわ)」を
ご紹介します。
「玉柏」は
奈良屋弥兵衛が、摂津国の難波の浦で
見出したことから、遠州公が千載和歌集の恋歌
ちなんで命銘されました。
難波江の藻にうづもるる玉柏
あらわれてだに人をこはばや
難波江の藻に埋もれている石が水面にあらわれるように、
せめて思いをあらわして人を恋いたいなあ。
玉がしわは玉堅磐、海中の岩のことで
井伊直弼の『閑窓茶話』には「玉柏といふ茶入は、
黒きなだれの薬どまりに大なる石はぜあり、
因て遠州玉柏と名づけらる、玉柏は石の異名なり」とあります。
遠州公の茶会では
寛永十九年(1642)を最初に三回ほど使用されています
4月28日 遅桜(おそざくら)
ご機嫌よろしゅうございます。
東京では桜の見頃もいよいよ終わりを迎える頃かと思います。
今日は桜の名を銘に持つ
大名物「遅桜」についてご紹介致します。
以前にご紹介した初花の茶入はすでに
世上第一として広くその名を世にとどろかせていましたが、
その後に新たに見出されたのがこの茶入れでありました。
そこで
夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな
という金葉集の歌に因んで
足利義政が銘をつけたとされています。
初花より景色の暗い釉薬で、華美でないところが
かえって品位の良さを感じます。
この茶入は徳川家の所蔵、柳営御物となり
後に三井家に伝わります。
過日、東京都目黒美術館で行われた御先代の
「紅心 小堀宗慶の世界」展にて
この遅桜と初花を隣り合わせとして展示されたことは
大変珍しいことで、後にも先にも
このときばかりかもしれません。
ご覧になれた方、大変な幸運でした。
4月 26日 遠州公の愛した茶入「藤波(ふじなみ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「藤浪」
をご紹介します。
この茶入の釉薬のかかった景色が
藤の花の垂れ下がるようすに見られることから
新古今集 春歌の
かくてこそ みまくほしけれ 万代(よろずよ)を
かけて忍べる 藤波の花
の歌から命銘したといわれています。
箱の裏には遠州公がこの歌をしたためた小色紙が
貼り付けられています。
挽家(ひきや)とよばれる茶入の入れ物に施された意匠は、
紫檀(したん)に藤の花が咲く模様を全面に彫り、
沈金を施していて大変珍しいものです。
藤の花は二季草(ふたきぐさ)の名もあるように
春から夏へ、ふたつの季節にまたがって咲き
和歌でも古今集等、春・夏の部ともにその名が見られる花です。
4月25日 前押(まえおせ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の好みの形である前押について
お話ししたいと思います。
茶碗や水指などの道具に見られる意匠です。
正面に手で押したわずかなへこみを作り
アクセントとしています。ここが正面ですよと
お客様にわかっていただけるように
との心配りからついています。
遠州流では濃茶の後、数名のお客様に次々と
薄茶を点てる場合に重ね茶碗というものを使用します。
同じ出生(窯)のもので、天目型の成りに
正面をわずかにへこませた前押の形
のものを大小重ねて使用する茶碗です。
遠州公は当初三島茶碗などの平茶碗をお客様の人数分重ねて
点法したようですが、
それを国焼きに改めて考案しました。
切形(きりがた)と呼ばれる型紙をもとに
遠州公の作為による前押茶碗を、八世宗中公が作らせた
高取の重ね茶碗も今に伝わっています。
この重茶碗というお点法は、
遠州流特有のお点法です。
4月19日 遠州公の愛した茶入 春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。 今日は遠州蔵帳所載「春慶瓢箪」についてお話します。
春慶とは、瀬戸窯の初代である加藤四郎左衛門 (藤四郎)が、晩年に春慶と称してから作ったものであると言われてる 茶入れの一群です。 この茶入は形そのままに、遠州公が命銘したものです。
瓢箪の形については 遠州公の好みの形で昨日ご紹介させていただきました。
お茶会ではおよそ七回使用されていて、第一回を除いて いづれもお正月に使われています。
瓢箪という形は縁起の良い形です。 また遠州公が好んだ意匠でもあり、 遠州公が関係する様々なところで、この瓢箪の形を目にします。
4月 18日 瓢箪(ひょうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の好んだ形「瓢箪」について。
12日にもご紹介しました
薩摩の窯に注文して焼かせた「甫十瓢箪」
と呼ばれる茶入をはじめ
遠州公は瓢箪の形をとても好みました。
これは禅の教えとも関係があります。
水に浮かべた瓢箪は上から押すと、
一度は沈みますが、手を離すと別の場所に
ぽこっと浮かんできます。
「至りたる人の心は
そっとも(少しも)ものにとどまらぬことなり
水の上の瓢を押すがごときなり」
相手の心に逆らうのではなく、素直に意に従い
しかも自分の心というものは決してまげないという
「瓢箪の教え」からくるもののようです。
茶道具の他に、文様や透かしにも瓢箪を
多く用いています。
4月12日 遠州公の愛した茶入「玉水」
薩摩 「甫十瓢箪」
遠州公は数多くの国焼きを指導をしています。
薩摩焼でも
遠州公がお好みになられ作らせた十個の茶入を
遠州公の号の宗甫と、数の十にちなんで
「甫十」と呼んでいます。
いずれも茶入の底に「甫十」の彫銘があり
瓢箪形の耳付小茶入とされています。
耳付については昨日御紹介させていただきましたが、
この茶入の胴部分二方が耳を示しています。
新古今和歌集 春歌である
つくづくと 春のながめの 寂しさは
しのぶにつたふ 軒の玉水
から名付けられました。