ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に花を咲かせる花として桐があります。
そろそろ公園などでその美しい花を見かける季節と
なりました。
中国の神話では有徳の帝王を讃え現れる鳳凰は梧桐に
しか住まず、竹の実しか食べないといいます。
これが日本に伝わり、桐が格の高い文様として鳳凰と
共に意匠化されていきましたが、ここで鳳凰が棲むと
された梧桐は、日本でいうアオギリという全くの別種で
中国では昔どちらも「桐」の文字を使用していたため、
この二種が取り違えられたと考えられます。
アオギリは小ぶりの小さい黄色い花を咲かせ、
梧桐は花序をまっすぐに伸ばし、紫色の花を咲かせます。
「枕草子」においても、紫に咲く桐の木の花を風情がある
と讃え、唐土で鳳凰がこの木だけに棲むというのも格別に
素晴らしい」と述べていて、混同されていることがわかります。
しかしながら格調の高い文様として浸透していった
桐の文様は、家紋や装飾文様、茶の湯の世界でも
多く見ることができます。
すぐに思い浮かぶのは高台寺蒔絵。
遠州好の「桐唐草蒔絵丸棗」は、前田家抱えの塗師
近藤道恵の作で朱地に桐唐草が蒔絵されています。
また裂地としては昨年狂言「米一」でご紹介しました
「中興名物 米一茶入」の仕覆「嵯峨桐金襴」や、
大内義隆縁の「大内桐金襴」、他に戦国末期から安土桃山時代
にかけて運ばれた「黒船裂」の桐文などがあります。
また、遠州公は種類の異なる材木を組み合わせ道具を作らせて
おり、「桐掻合七宝透煙草盆」「桐木地丸卓」など、
桐を使用した道具が多く残っています。
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は船をご紹介しましたので、本日は橋を
ご紹介します。
さむしろに 衣かたしき
今宵もや我をまつらむ宇治の橋姫
この歌を歌銘とした瀬戸真中古窯「橋姫」があります。
遠州公がこの茶入を宇治で見つけ、その成り姿を讃え
この銘をつけたとされています。
この「宇治の橋姫」とは橋の守り神であり女神で
もとは宇治橋の三の間とよばれる欄干に橋姫社が
祀られていましたが、度重なる洪水により現在の
宇治橋西詰に移りました。
ちなみにこの三の間から汲み上げられた水は天下の
名水とされ、秀吉は橋守の通円にこの水を汲ませ茶の湯に
使ったと言われています。(この通円は昨年ご紹介した
狂言「通円」につながります。)
同じく「橋姫」との銘をもつ志野の茶碗が、
東京国立博物館に所蔵されています。
橋の欄干部分が二重線で描かれ、両端に擬宝珠、橋脚が二本
非常にシンプルな絵付けの茶碗です。
この志野や織部とほぼ同時期に流行した画題に「柳橋水車図」
があります。
大きな橋、柳と水車、蛇籠
このデザインは宇治橋の風景を描いており、各派によって
描かれましたが、なかでも長谷川等伯を筆頭とする画師集団
の長谷川派の得意とする画題となります。
茶道具でこの意匠を用いた有名なものに野々村仁清作
「色絵柳橋図水指」(湯木美術館蔵)があります。
12月 30日(金)能と茶の湯
ご機嫌よろしゅうございます。
今年の初めから一年に渡り、能と茶の湯について、
そのゆかりの茶道具とともに
ご紹介してまいりました。
他にも「野の宮」「竹生島」「熊野」等々
今回ご紹介できなかった能も沢山あります。
中世、世阿弥によって完成した能の理念、
ここからおよそ150年程のちに利休によって
大成した侘び茶の精神
この侘びの世界に遠州公は幽玄の世界を重ね合わせ、
茶の湯と能とがつながって、豊かな世界が広がります。
同時に茶人の教養として、茶の湯の他に能などの
文学的教養が下地にあったことも伝わってきます。
普段何気なく目にしている茶の湯の道具の意匠にも
能の世界が隠れているかもしれません。
是非探されてみてはいかがでしょうか?
さて、明日はとうとう大晦日。
年越しのご準備で大忙しの皆様
一息つきましたら、まずはお茶を一服。
良いお年をお迎えくださいませ。
12月 16日(金)能と茶の湯
「米一(よねいち)」
ご機嫌よろしゅうございます。
なにかと慌ただしく過ぎていく年の瀬
皆様もお忙しい日々をお送りのことと思います。
今日は年末にちなんだ狂言をご紹介します。
「米市(よねいち)」に登場する太郎は、
年越しの時期にもかかわらず先立つものがありません。
年末にいつもお米と衣類をもらうことになっていましたが
音沙汰なく、思いたって有徳人(うとくにん・お金持ちのこと)のところに行きます。
なんとかお米と小袖を手に入れた太郎。
重い米俵を背中に担ぎ、小袖はどうやって持とうか
悩むと、有徳人が背負った米俵に着物を掛けて、
両の袖を太郎の手に通してやります。
後ろから見ると人を背負っているようで怪しいから、
人にとがめられたらどうしようと太郎が心配すると
有徳人に「俵藤太のお姫御 米市御寮人」のお里帰りだと
言ってやりなさいと言い含められます。
案の定、帰り道に若者達に声をかけられ、
教えられたとおりに答えると、若者達は御寮人に
お酒のお酌をしてもらいたいと言い始めます。
揉み合いの末に若者の一人が小袖を取ってしまい、
背負っていたのが女ではなく俵だということが分かり
若者達は逃げていきます。
米俵を背負い、姫に見立てたやり取りがユーモラスな
狂言です。
11月18日(金)能と茶の湯
「六浦(むつら)」
ご機嫌よろしゅうございます。
鮮やかに色変わりだす木々の葉、
風に吹かれて散ちる姿は、絵のような
美しさです。
さて、紅葉を題材にした能には「六浦」があります。
六浦の称名寺(神奈川県金沢)を訪れた都の僧が、
あたりの木々が紅葉する中で一本だけ紅葉していない
楓があることに気付きます。
そこへ現れた里の女に僧が尋ねると、
昔、冷泉為相卿が他の木に先駆けて紅葉する楓
を見て、
いかにして此一本にしぐれけん
山に先立つ庭のもみぢ葉
と詠んだところ、その楓はそれを名誉と感じ
この上は身を退くのが正しい道であるとして、
以降は紅葉することをやめたと語ります。
そして自分こそ、その楓の精であると明かして
消え失せます。
そして夜、ふたたび現れて四季ごとの草木の
移ろいを語り、月の下、舞を舞い
去っていくのでした。
11月 11日(金)能と茶の湯
「筒井筒」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能「井筒」をご紹介しました。
今日は高麗茶碗の中でも第一の格を持つ
井戸茶碗の中でも昔より特に声価の高い名物手井戸
「筒井筒」(重文)の茶碗をご紹介します。
「筒井筒」の銘は、もと筒井順慶が所持し、
茶碗が深めで高台が高いところから「筒井の筒茶碗」
といわれたと伝えられています。
筒井筒は順慶が秀吉に献上し秘蔵されていました。
しかしある日の茶会で近侍の小姓が誤って取り落とし、
5つに割ってしまいます。
激怒した秀吉が小姓を手打にしようとしたところ、
茶会に招かれていた細川幽斎が、
筒井筒五つにわれし井戸茶碗
とがをばわれに負ひにけらしな
と詠んだことで、秀吉の機嫌もたちまち直り
小姓は一命を取り留めた逸話が残っています。
細川幽斎は古今伝授を受けた歌道の大家で、茶の湯
や能にも非常によく通じた武将でした。
ちなみに秀吉も大変能を愛したことは以前にも
ご紹介しましたが、秀吉四十七番の所演の記録のうち
この「井筒」を三番舞っています。
11月 6日(日)能と茶の湯
「筒井」
ご機嫌よろしゅうございます。
季節は秋から冬へ、寂寥のおもいがつのる頃。
今日はそんな哀切の情を美しく表現した
お能「井筒」のお話をご紹介します。
ある秋の日、諸国を旅する僧が
奈良から初瀬へ行く途中に、
在原業平建立と伝えられる在原寺に立ち寄りました。
僧が在原業平とその妻の冥福を祈っていると、
さみしげな里の女が現れます。
僧の問いに、女は在原業平と紀有常の娘の
恋物語を語ります。
筒井筒井筒にかけしまろがたけ
生けにけらしな妹見ざるまに
比べ来し振り分髪も肩過ぎぬ
君ならずして誰か上ぐべき
その昔井戸のそばで遊び戯れていた
幼馴染の二人が恋をし夫婦になった。
女は自分がその有常の娘であると告げて、
井筒の陰に姿を消します。
夜も更ける頃、僧が仮寝をしていると、
夢の中に井筒の女の霊が現れます。
女の霊は業平の形見の冠装束をを身につけ、
業平を恋い慕いながら舞い、井戸の水に自らの姿を映し、
業平の面影を忍ぶのでした。
やがてしらじらと夜が明け、井筒の女は姿を消し、
僧も夢から覚めるのでした。
業平を想いながら舞い、在りし日を回想する幻想的な能「筒井」。
すすきを付けた井戸の作り物が秋の侘しさを際立たせます。
10月 28日(金)能と茶の湯
「砧(きぬた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能「砧」をご紹介しました。
茶の湯の道具で「砧」といって思い浮かぶのは
砧青磁ではないかと思います。
砧青磁は、南宋・元時代に浙江省龍泉窯でつくられた
青磁の一種でこれらは「砧手」と呼ばれました。
この砧とは、青磁鳳凰耳花入「千声」(重文)や
「万声」(国宝)の形が砧に似ていたためという説や、
青磁鯱耳花入(仙台伊達家旧蔵)のヒビを、
砧を打つ「ひびき」にかけて千利休が名付けた
ことからという説があります。
そもそも砧とは、衣を柔らかくし、光沢を出す
ための生活用具でした。
蘇武の妻子が高楼に登って砧を打つと、その音が
胡国の蘇武に届いたという故事があり、
妻が遠国にいる夫に想いを馳せて砧を打つという
形ができあがりました。
この能の情趣が想起され
砧は忘れられた女性の寂しさや恨みを表し、
また俳句の秋の季語としても、「砧」「砧打つ」
などが用いられるようになります。
10月 21日 (金)能と茶の湯
「砧(きぬた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
晩秋の風が吹き始める頃となりました。
日が落ちるとなんとなく物悲しい気持ちに...。
そんな秋の夜空に寂しく響く
砧の音を扱った能「砧」をご紹介します。
九州芦屋の何某(なにがし)は、
訴訟のため上京し、既に三年の年月が経ちます。
故郷の事が気にかかり、今年の暮れには帰るという文を
侍女の夕霧に待たせて国許に返します。
寂しく月日を送っている妻はこの便りを聞き、
折から聞こえてくる里人の砧を打つ音に誘われ、
夕霧と共に砧を打ち、心を慰めます。
そこへ今年も帰れぬという知らせが都から入り
妻は絶望のあまり亡くなってしまいます。
帰国した何某が故郷に帰り、妻の菩提を弔っていると、
妻の亡霊が現れ、妄執のため地獄の苦しみを
受けていると訴え、夫の不実を恨みますが、
読経の功徳により成仏します。
10月 14日(金) 能と茶の湯
「松風」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能「松風」をご紹介しました。
この能は、「源氏物語」の「須磨」の巻と
『古今集』在原行平の
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に
藻塩たれつつわぶとこたへよ
の歌を素材として作られています。
「熊野」と呼ばれる春の曲と並んで大変人気のある
曲目で「熊野松風に米の飯」などと言われる程
親しまれています。
この松風に縁の道具に千宗旦茶杓「松風」「村雨」
があります。
うち村雨は焼失し、現在松風のみ藤田美術館に
現存しています。
白寂胡麻竹を使用し、丸くて左下がりの櫂先など
宗旦の特徴が随所に見られる茶杓です。
また、日本では釜の六音といって、
魚目・蚯音・岸波・遠浪・松風・無音
と六段階に分類していました。
「松風」はその内の一つであり
現代では釜音の総称として多く用いられます