田子の浦では、海女が汐を汲む様子が記されています。
「塩焼き」は田子の浦の名物でもあり、
和歌にも絵画にも多く取り上げられています。
古くは海藻に海水をかける「藻塩焼き」
とよばれる方法が使われていましたが、
やがて、砂を利用して濃い海水を採取し
煮詰める方法が生まれました。
葛飾北斎の『冨嶽三十六景』の中に
「東海道江尻田子の浦略圖」があります。
手前の海には漁師らしき人物が船上で漁をし、
奥の浜には塩田が広がり、
大勢の人が塩づくりの作業をしています。
ご機嫌よろしゅうございます。
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に宗翔さんが出演します。
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富士の山にむかう途中、江月和尚からいただいた
一偈の一、二句目が脳裏に浮かぶ。
東行斯日巳初冬
為雪吟鞭指士峯
とあり、つくづくと山を見てみれば、
真白い雲が群れて雪の色を奪おうとも、
また遮ろうとても、その雪の白さには
かなわない。
すそ野をめぐる高嶺の煙は、
風にまかせてたなびいている。
何か言おうと思うけれど、
言葉は雪のように消えてしまい、
ただただ茫然と佇むばかり。
つげやらん ことの葉もなし
年経ても まだみぬふじの 雪のあけぼの
と詠めば、傍らの人
ふじいづこ 雪にゆづりて やまもなし
と続ける
この山に心をよせて時がたち、
吉原の里に留まり一泊。
15日 早朝に出発し、府中を過ぎて
清見が関にさしかかる。
浪の音は閑で、月は山の端に残り、
霧間にうかぶ三保の松原を見れば、
広がる松原と海岸の見事なこと。
(清見が関の関ではないが)心を関とめるものはない。
月はまだ 残るきよみが せきの戸を
あけてももらん 三保の浦松
次第に夜が明けていく。由比の塩屋を過ぎる。
まだ朝早いというのに、汐を汲む海女が所々に出で立っている。
袖の濡れるのも厭わずに我先にと汲む様子を見て
かかるこそ うき身のわざと くむ塩に
ぬるるをいとふ あまのそでかは
と詠む。田子の浦に塩を焼く煙が立っている。
いまさらに われもおもひをするがなる
しほやく田子の 浦のけしきは
ご機嫌よろしゅうございます。
宗翔さんからのご報告第二弾です。
是非ご覧ください。
ご機嫌よろしゅうございます。
小堀宗翔さんからご報告がございます。
以下の動画をご覧ください。
愛知支部上席家元師範代 中川宗津先生が
パーソナリティを務められます東海ラジオ
「伝七邸茶道塾」に宗実家元がゲスト出演されます。
2月より4週にわたりまして、
宗実家元ご自身のお話しや遠州流茶道についてなど
茶道の魅力についてお伝えしていきます。
師弟関係ならではのお二人のお話しにご注目ください。
なお、県外の皆様は「Radiko」からでも
お聴きいただけますので、是非ご活用のうえご聴取ください。
radiko.jp/
■番組名:東海ラジオ「伝七邸茶道塾」
■放送日:2月6日(日)・13日(日)・20日(日)・27日(日)の4週連続。
■時 間:朝8時30分〜8時45分
14日
現在の藤枝あたりに築かれた田中城の城主・松平忠晴に
手紙を送った遠州公。
田中城は、湿地を利用して同心円状に4重の
堀を配した珍しい城郭です。
そして、徳川家康が鷹狩りのために
良く出かけた先が、駿府に近いこの田中城でした。
『徳川実録』には、鷹狩のため田中城に滞在中の家康のもとを
京の豪商だった茶屋四郎次郎が訪問。
その際に京で流行っている料理の話を聞き、実際に調理させました。
日頃節制心がけている家康にしては珍しく
大鯛2枚・甘鯛(興津鯛)3枚をごま油であげ、
にんにくをすりかけたものを機嫌よく、
いつもより多く食べ、腹痛と食あたりに。
これが亡くなった原因ともいわれていましたが、実際の死因は
胃がんという説が有力です。