「綺麗さびの日々」メールマガジン
ご機嫌よろしゅうございます。
お正月休みも3日目の今日までという方も多いのではないかと思います。
エネルギー充電は十分にできましでしょうか?
さて宗家ご家族の正月3日目の過ごし方は、
菩提寺である練馬広徳寺へお墓参りです。
広徳寺は早雲寺(北条氏)の子院として、
元亀・天正の頃(1570-92)小田原に建立され、小田原城落城の際焼失
天正18年(1590)徳川家康に招かれ、神田に広徳寺と称して建立。
寛永12年(1635)下谷へ移転
加賀前田家、会津松平家など諸大名を檀家とし、名だたる家々の墓石や宝塔の建ち並ぶ様は壮観で、 「ビックリ下谷の広徳寺…」と称されるほど隆盛を極めました。
その後昭和53年練馬に移転し、現在に至ります。
小堀家の墓をはじめ
剣法指南役として名高い、柳生宗矩、十兵衛、宗冬の柳生三代の墓もあります。
庭は先代である宗慶宗匠が監修されています。
禅修行の道場のため、気軽に参詣はできませんが、
お寺の方にお尋ねしてお墓参りをすることは可能のようです。
【告知】
御家元舞台挨拶のお知らせ
2月1日、テアトル新宿にて映画「父は家元」上映後、女優榊原るみさんと舞台挨拶を予定しております。
皆様ご機嫌よろしゅうございます。
本日は空中茶室についてお話いたします。
《建築物:閑雲軒》
京都の八幡市にあります石清水八幡宮の境内には、遠州と大変仲の良かった松花堂昭乗が宿坊を務めた滝本坊があります。
松花堂は石清水八幡の僧侶で、17歳の時から修行を始め、政界のフィクサーとして活躍しました。
出生については、霧に覆われたように謎めいており、兄の中沼左京と共に、二人の親族について年月日以外まったく分かっておりません。
そのことについて二人はどんなに親しくした人物にも終生語ることはなく、意識して隠し続けたのだと思われます。
ただ、彼が(もちろん中沼左京も)暗い人物であったかというとそうではなく、大変人に愛される人柄で、亡くなった時には多くの人々が悲しみを表しました。
遠州も、旅日記や歌の中で、「松花堂がまだ生きていてくれたら、こんなに寂しい想いはしなかったのに」という、悲しみや寂しさ、悔しさなどを込めて詠んでいます。
そんな松花堂と遠州が共に作った茶室、それが滝本坊にある「閑雲軒」という空中茶室です。
崖から迫り出す設計で造られたその茶室は、7mもの柱で支えられ、中に入って窓から景色を見れば、まさに空中に浮かんだように感じられたでしょう。
現在ではその姿を見ることは叶いませんが、屋敷跡が残されており、当時を知るうえで、貴重な資料として保存されています。