藤波(ふじなみ)

2014-4-26 UP

4月  26日  遠州公の愛した茶入「藤波(ふじなみ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「藤浪」
をご紹介します。

この茶入の釉薬のかかった景色が
藤の花の垂れ下がるようすに見られることから

新古今集 春歌の

かくてこそ みまくほしけれ 万代(よろずよ)を
かけて忍べる 藤波の花

の歌から命銘したといわれています。
箱の裏には遠州公がこの歌をしたためた小色紙が
貼り付けられています。

挽家(ひきや)とよばれる茶入の入れ物に施された意匠は、
紫檀(したん)に藤の花が咲く模様を全面に彫り、
沈金を施していて大変珍しいものです。

藤の花は二季草(ふたきぐさ)の名もあるように
春から夏へ、ふたつの季節にまたがって咲き
和歌でも古今集等、春・夏の部ともにその名が見られる花です。

遠州公の愛した茶入 春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)

2014-4-19 UP

4月19日 遠州公の愛した茶入                     春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。  今日は遠州蔵帳所載「春慶瓢箪」についてお話します。

春慶とは、瀬戸窯の初代である加藤四郎左衛門  (藤四郎)が、晩年に春慶と称してから作ったものであると言われてる 茶入れの一群です。   この茶入は形そのままに、遠州公が命銘したものです。

瓢箪の形については 遠州公の好みの形で昨日ご紹介させていただきました。

お茶会ではおよそ七回使用されていて、第一回を除いて  いづれもお正月に使われています。

瓢箪という形は縁起の良い形です。 また遠州公が好んだ意匠でもあり、  遠州公が関係する様々なところで、この瓢箪の形を目にします。

瓢箪(ひょうたん)

2014-4-18 UP

4月 18日  瓢箪(ひょうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公の好んだ形「瓢箪」について。

12日にもご紹介しました
薩摩の窯に注文して焼かせた「甫十瓢箪」
と呼ばれる茶入をはじめ
遠州公は瓢箪の形をとても好みました。

これは禅の教えとも関係があります。
水に浮かべた瓢箪は上から押すと、
一度は沈みますが、手を離すと別の場所に
ぽこっと浮かんできます。

「至りたる人の心は
そっとも(少しも)ものにとどまらぬことなり
水の上の瓢を押すがごときなり」

相手の心に逆らうのではなく、素直に意に従い
しかも自分の心というものは決してまげないという
「瓢箪の教え」からくるもののようです。

茶道具の他に、文様や透かしにも瓢箪を
多く用いています。

梅若(うめわか)の涙雨(なみだあめ)

2014-4-15 UP

4月15日  梅若(うめわか)の涙雨(なみだあめ)

旧暦3月15日の江戸は
雨になることが多かったといいます。

この日に降る雨を
「梅若の涙雨」と言っていました。

謡曲「隅田川」の梅若丸は、
大変頭の良い稚児でしたが、寺院内での争いに悩み
京都の寺をこっそり抜け出したところ、
人買いに誘拐されてしまいます。
東国へ連れていかれる途中に病気になり
隅田川のほとりに捨てられます。
それを哀れんだ土地の人達の、手当ての甲斐も虚しく
梅若は3月15日に息を引き取ります。

たずねきて問はば答えよ都鳥
すみだ川原の露と消えぬと

我が子の死を知った母はこの地で剃髪し、妙亀尼と名乗り
庵を立てて念仏三昧の日々を送ります。
それから3年後、池の水に映る我が子の姿をみてそのまま飛び込み
死んでしまったといいます。

現在も隅田川のほとりには梅若を祀る木母寺に
梅若塚が建てられています。

耳付

2014-4-11 UP

4月11日  耳付(みみつき)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公のお好みになられた形の一つ
「耳付」をご紹介します。

遠州公以前にも見られた意匠ですが、
遠州公は上の方に小さなアクセントのように
耳をつけた瀟洒な形を好みました。

茶入の小さな耳、笹葉をした耳、遠州茶道宗家の紋である七宝形、
弦(つる)耳、
花入や水指の管耳、福耳、釜の笛耳など、いずれも
優雅な意匠をたたえています。

耳付きの茶入には
丹波「生埜(いくの)」「立花」
膳所の「大江」、薩摩の「甫十」「甫五」
など優れた作品が多く残ります。

薬師寺 花会式

2014-3-31 UP

3月31日  薬師寺 花会式(はなえしき)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は奈良の薬師寺にて花会式が行われます。

正式には「修二会」といわれ、
三月末~四月の初めに七日間、
練行衆により懺悔を中心として昼夜に繰り返し行われる、
奈良・平安時代より続く行法です。

この修ニ会は奈良の色々なお寺で行われています。
例えば3月12日にご紹介した東大寺のお水取りも、
修ニ会の行事の一つ。
薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから
「花会式」と呼ばれ、お水取り同様、奈良に春を告げる行事
として親しまれています。

嘉承2年(1107)に堀河天皇が皇后の病気平癒を
薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したため、
10種類の造花を作り供えたことが
現在の華やかな「花会式」の始まりとされています。
現在の花会式においては、御家元がお献茶をご奉仕されることもあります。

また、例年 戸川宗彬先生が添釜をされていらっしゃいます。

官兵衛

2014-3-30 UP

3月30日  官兵衛  天正19年の出来事

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。

天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。

1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日  千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。

主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。

文禄22年15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。

遠州公の愛した茶入れ「凡」

2014-3-29 UP

3月29日 遠州公の愛した茶入「凡(およそ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の
「凡(およそ)」をご紹介します。

不思議な名前だな?と思われるかたも
いらっしゃるかもしれません。
この茶入の姿に「凡」の字が似ているところから
遠州公がつけたと言われています。

遠州公が将軍茶道指南役の任を終え
伏見に戻ってから行った最初の茶会で使用されて
その後12回ほど使用した記録が残っています。
遠州公最晩年によく使用された茶入で
後に松平不昧の手に渡り
「雲州蔵帳」にも記載されています。

遠州公書き捨ての文

2014-3-28 UP

3月28日  遠州公書き捨ての文

遠州流の行事でしばしば
遠州公の遺訓「書き捨ての文」
を唱和する機会があります。

これは門人に茶の湯の極意を問われた遠州公が
答えたもので、わかったら捨ててしまいなさい
という意味で「書き捨ての文」という名が
ついているそうです。
遠州公が謙遜の意味で「書き捨て」とされたのかもしれません。

全文はホームページを参照していただき
こちらではその内容について触れさせていただきます。

家族を敬い
仕事に励み、友人を大切にしなさい。
四季折々の恵みを愛で、五感で味わい
心のこもった道具を選び使いなさい。
釜の煮え音を絶やさぬことを忘れずに。

遠州公の書かれたことは
決して特別なことばかりではありません。
普段通りの生活の中に、茶の湯の心が含まれている。
むしろその当たり前の日常に
茶の湯はあるのですよ。

そうおっしゃっているような気がします。
一日一日を大切に
心を豊かに過ごしたいものです。

公開討論会

2014-3-23 UP

3月 23日 公開討論会

今回の討論会のテーマは
「懐石と菓子」です。

昔日本では自分で味を調整し、食事をするスタイルでしたが
茶室で食事をお出しする茶事では予め
味つけをしてお客様にお出ししました。
これが日本料理の原型となります。

また菓子もその昔は砂糖が希少な時代。
干し柿などの自然な甘みのものを菓子としていました。

この二つの歴史を辿りながら
合わせてそれにふさわしい器についても
ふれていきます。

お家元はじめ、4人の講師の先生が
それぞれの立場からお話し下さいます。

ご興味のある方は是非事務局までご連絡ください。

詳細
第27回公開討論会

日時:平成26年3月23日(日) 午後1時~4時
会費:お一人様2,500円
テーマは『懐石と菓子』
申込方法 電話(03-3260-3551)にて受付
郵便振替:00190-5-770872 財団法人小堀遠州顕彰会