茶壺道中
2013-10-30 UP
皆様ごきげんよろしゅうございます。
本日は茶壺道中についてお話いたします。
《季節の行事:茶壺道中》
茶壺道中とは、宇治の抹茶が茶壺に詰められて運ばれるその行程のことです。
徳川幕府が寛永9年(1632)に正式に制定。
毎年選ばれた採茶師2名がそれを監督します。
採茶師は4月から5月初めに、幕府の御物茶壺を携えて江戸を出発し、20日程で宇治に到着します。
宇治茶師頭取上林家の庭にある茶壺蔵に厳重に保管され、不寝番(ねずばん)も付けられました。
その後2日間にわたって茶詰が行われます。
御物茶壺は1壺あたり黄金1枚が与えられたので、黄金詰、または大判詰とも呼ばれました。
到着してから20日程のち、採茶師たちは往路の数倍の茶壺を携えて宇治を出発。
採茶師の一行の人数は約500人にものぼり、厳重な警備のもと、江戸へ運ばれました。
茶壺が通行する道は、街道沿いの村人たちによって掃除が命じられ、田畑の耕作も禁じられました。
「ずいずいずっころばし」のわらべ歌は、繁忙期の農民たちが茶壺道中を風刺した歌ともいわれています。
後に倹約令が出され、茶壺の数も一行の人数も大幅に減らされることとなりますが、10万石の格式のあるものとして、江戸後期まで続いた。