ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に花を咲かせる花として桐があります。
そろそろ公園などでその美しい花を見かける季節と
なりました。
中国の神話では有徳の帝王を讃え現れる鳳凰は梧桐に
しか住まず、竹の実しか食べないといいます。
これが日本に伝わり、桐が格の高い文様として鳳凰と
共に意匠化されていきましたが、ここで鳳凰が棲むと
された梧桐は、日本でいうアオギリという全くの別種で
中国では昔どちらも「桐」の文字を使用していたため、
この二種が取り違えられたと考えられます。
アオギリは小ぶりの小さい黄色い花を咲かせ、
梧桐は花序をまっすぐに伸ばし、紫色の花を咲かせます。
「枕草子」においても、紫に咲く桐の木の花を風情がある
と讃え、唐土で鳳凰がこの木だけに棲むというのも格別に
素晴らしい」と述べていて、混同されていることがわかります。
しかしながら格調の高い文様として浸透していった
桐の文様は、家紋や装飾文様、茶の湯の世界でも
多く見ることができます。
すぐに思い浮かぶのは高台寺蒔絵。
遠州好の「桐唐草蒔絵丸棗」は、前田家抱えの塗師
近藤道恵の作で朱地に桐唐草が蒔絵されています。
また裂地としては昨年狂言「米一」でご紹介しました
「中興名物 米一茶入」の仕覆「嵯峨桐金襴」や、
大内義隆縁の「大内桐金襴」、他に戦国末期から安土桃山時代
にかけて運ばれた「黒船裂」の桐文などがあります。
また、遠州公は種類の異なる材木を組み合わせ道具を作らせて
おり、「桐掻合七宝透煙草盆」「桐木地丸卓」など、
桐を使用した道具が多く残っています。
ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。
ご機嫌よろしゅうございます。
毎年5月15日に行われる葵祭は京都の春の風物詩です。
花で飾られた牛車や、輿に乗った斎王代を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する雅な様子は
平安の昔を今にみるかのようです。
「源氏物語」の「葵」の帖では、源氏の正妻である葵の上と
六条御息所が、見物の場所をめぐっての車争いが引き起こされます。
車とは貴族が乗る牛車で「御所車」と呼ばれ、後世「源氏物語」の
世界を象徴するものとして、文様として多く描かれました。
草花や流水と組み合わせた華やかな文様は振袖や打掛にも
描かれます。しかしそういった華やかさだけなく、
車の廻るがごとく、人の世は巡り巡るもの・儚いものとした、
車輪を人生になぞらえた無常観を表すものとしての文様、
また仏の道である法輪を象徴するものとしてもとらえられます。
御所車の車輪は木でできていているため、乾燥やひびを防ぐため、
川の流れに浸し置かれました。
そうした当時の光景を文様化した「片輪車文様」は、
水の流れに任せて回転する車と流転する人生とが重ね合わされ
無情感や日本的世界観が構築されていきました。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は装飾経を収める経箱として
用いられたと言われていますが、その文様に託された隠喩が
関係するのでしょうか。
この図柄を原羊遊斎に模させた松平不昧共箱「蒔絵錫縁四方香合」
があります。また志野や織部にも片輪車を描いたものは多く、
「織部片輪車星文四方鉢」や、赤地に緑釉をかけた珍しい織部に
「山路」と銘をもつ茶碗がありこれにも水辺に上部のみ
姿を見せる片輪車が描かれています。
3月17日 (金)茶の湯に見られる文様
「花筏」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「桜」についてご紹介しました。
遠州公も20代の頃、吉野へ花見に訪れていますが、
今日はこの吉野の桜にちなみまして「花筏」の
ご紹介を致します。
桜で有名な吉野の川を下る材木、これを筏に組んで
川を下る際に、桜の花びらがひらひらと降りかかり
筏とともに川を流れる姿は、揺れる恋心にも例えられ
「吉野川の花筏」として歌謡や俳諧に歌われる「雅語」
となっていきました。
遠州公が作庭したと伝わる高台寺。
その秀吉と北政所を祀る霊廟である御霊屋には
天女を想像させる楽器散らし文様、そしてこの花筏文様が
描かれます。吉野には古くより仙郷伝承があることから、
浄土とみなされており、秀吉と北の政所の御霊屋は
浄土を表す装飾を施しています。
「花筏」にはこの高台寺蒔絵の意匠を模した宗旦好
「花筏炉縁」や、永楽保全作「金蘭手花筏文水指」
などの華やかな道具など多数残されています
3月10日(金)茶の湯に見られる文様
「桜」
ご機嫌よろしゅうございます。
3月も半ばを過ぎると、多くの人がその便りを
心待ちにしている桜の開花
雨や風で花を散らされはすまいかと、毎日はらはら
と天気予報をご覧になる方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか?
「世の中にたえて桜のなかりせば…」
と在原業平が歌ったように、はるか昔から
日本の人々は桜を愛し、その変化に心躍らせてきました。
その生け方には茶人達の心も悩ませたようで
富貴すぎるということから茶の湯の花として用いた例は
多くありませんが、武野紹鷗は水盤の中に散った花びらを
浮かべた、また古田織部はお客の土産の桜を
いけたという話が残っています。
道具にみられる桜では
古浄味造「桜地紋透木釜」
また、昨年・能「桜川」でご紹介しました「桜川釜」や
「桜川水指」も桜の意匠の代表的なお道具にあたるでしょう。
他、桜にちなんだお道具については次週「花筏」で
ご紹介します。
11月 14日(月)石臼
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯の世界では、11月は炉開きに口切と続き
お正月にあたるおめでたい月にあたります。
炉開きと口切りについては昨年のメルマガで
ご紹介しましたので、そちらもご参照下さい。
口切で取り出した新しい茶葉は石臼で
挽いていきます。
彦根藩主であった井伊直弼が
「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)」
において、
「茶を挽くは大事也
挽きもあらくては如何ほどの名器を出し
飾りても、実意あらず」
と書いているように、石臼は茶の味を左右する
大変重要な道具です。
にもかかわらず、石臼についての形や機能
などの資料はあまり残っていないそうで、
なぜ左回しなのか、それ自体についても研究は
あまりなされていないそうです。
8月 29日(月) 城下町新発田まつり
ご機嫌よろしゅうございます。
毎年8月27日から29日まで新潟で開催される
城下町新発田まつりは、江戸時代から続く新発田市
最大の祭りです。中でも祭りの華である新発田台輪は、
1726年(享保11年)頃に6代新発田藩藩主溝口直治が
祭の賑わいを出すため飾り人形の屋台を出すようにと
のおふれを出されたのが始まりと言われています。
6町内が競って繰り出す豪華な台輪は、6町内で
約280年前より大切に伝承されており、山車や法被や
振る舞いにも各々独自で、とりわけ「帰り台輪」は、
男衆が熱い心意気をぶつけ合い街中に台輪を曳きだし、
その勇壮さは多くの観光客を魅了します。
この新発田藩溝口家も代々茶の湯に親しんでおり、
四代重雄の代には小堀遠州四男十左衛門(1639-1704)
との交渉が確認できる資料が残っています。
また重雄は、小堀家の事情により遠州所持の道具五種を
入手するのですが、
この溝口家と小堀家との詳しい関係は、10月10日(月)
の秋季講演会において詳しいお話を聞く事ができます。
ご興味のある方は小堀遠州顕彰会までご連絡下さい。kenshokai@enshuryu.com
5月16日(月)茶摘み
ご機嫌よろしゅうございます。
茶摘みの目安となる八十八夜は
立春から数えて八十八日目と言われ、
今年は5月1日でした。
しかしこの頃に摘まれるのは露地茶園の煎茶で、
抹茶にされる覆下茶園の茶摘みは
被覆効果が十分にあらわれ緑の濃いお茶になるのが
時期的に言うと5月の中旬。
ちょうど今頃から、摘み始めの時期になります。
さてこのお抹茶ですが、従来の製法を変えて、
古田織部は青みの強いお茶を好み、
これを「青茶」と呼ぶようになりました。
但し、青茶は色が綺麗ですが味にはやや難があった
と言われていました。
対して、弟子である遠州公が好んだのは
従来の製法の「白茶」でした。そのことから、
遠州公は好みのお茶に銘をつける際には
「白」の字をつけて青茶と区別したといわれています。
また茶銘には「昔」の字が使われていることが多い
ですが、これは遠州公が昔の製法に戻したという
事に起因しているという説があります。
そして「初昔」「後昔」は当時の茶師が筆頭のお茶の銘としていた、
由緒ある銘となりました。
それ以降、優れた品質の濃茶には「昔」の文字を
使うようになっていったと考えられています。
5月 9日(月)宗家道場の床の間拝見
ご機嫌よろしゅうございます。
色とりどりの花達に目を楽しませてもらった後
次に目に飛び込んでくるのは清々しい新緑の青
季節は次第に春から初夏へと移りゆきます。
茶の湯ではそんな季節の動きをとらえ
床の間にその自然の姿が映し出されます。
5月1日は八十八夜でした。
この八十八夜についてはまた後日改めてお話したいと思います。
床 紅心宗慶宗匠筆 龍門登鯉
花 燕子花
花入 硝子 ポーランド
こちらの掛物は、端午の節句に因んだ画題
鯉の滝登りです。
「魚が三段の滝を登りきると昇天して龍になる」
という中国の故事に基づいています。
鯉のぼりを立てる風習や、「登竜門」という言葉も
この故事によるものです。
紅心宗慶宗匠が昭和丙申歳正月、男子出生を夢見、
描かれ(同年九月、宗実家元誕生)、
翌年、初節句の茶会に用いられました。
11月 23日 (月) 小雪(しょうせつ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の小雪にあたります。
小雪は昨年もご紹介しましたが、
寒さは増すものの、まだ雪はさほど多くない
頃です。落ち葉を北風が揺らし、日差しは
徐々に弱くなっていきます。
北海道では雪が舞っていることもありますが
本州中部あたりですと、11月も半ば位には
降りはじめる頃。
平安時代には初雪が降ると、
「初雪の見参り」といって、高官たちが
宮中に参内して、雪見をし、酒宴を催したり
棉や碌を賜る慣わしがありました。
「雪月花」と言われるように、
春の花、秋の月と同じく、雪の降る景色は
日本人が昔から愛でてきた冬の美の形です。