菊(きく)

2014-9-10 UP

9月 10日 菊(きく)

ご機嫌よろしゅうございます。

道に咲く花に目をやると、薄や撫子、女郎花など
草花もやはり秋の風情を季節を感じられるものが
咲きだすようになりました。

菊も重陽の節句に用いられるように
秋には欠かせない花ですが、
この菊、夏には夏菊、冬には冬菊、春には春菊(はるぎく)
と一年を通じて用いられる、日本人に
昔から愛されてきた花です。

茶人達も古くから菊を愛用し、戦国時代には
津田宗達、宗及、今井宗久、千利休などの
茶会記に、名器に生けられた菊が頻繁に登場します。

江戸時代に入ると花の種類も沢山増え、
用いる回数もだいぶ減ってきますが、
それでもやはり、日本人にとっての菊は
今日まで特別な存在であることは間違いありません。

白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)

2014-8-30 UP

8月 30日 白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)

ご機嫌よろしゅうございます。

そろそろ秋の気配もかんじられるこの頃
籠に入れる茶花も徐々に秋の風情を帯びてきます。

秋海棠というと一般的には淡紅色の花ですが
当時、信濃町にあった宗家の裏庭には
白花の秋海棠が咲いていました。

この秋海棠は八世宗中公が江戸屋敷で愛玩していた
もので、その種子を蒔いて繁殖させたものです。

淡紅色の秋海棠よりも葉の色が濃く、また葉裏の
葉脈が濃紅色で色映りが大変美しく、
また背丈も高いのが特徴です。

宗中公以来百年以上の歴史を持つ花で
近くに紅色の秋海棠が植わっているとその
色に染まってしまう性質があるため
白花は大変貴重です。

ご先代はこの白花秋海棠の写生をされています。

朝顔市が始まります

2014-7-6 UP

7月6日 朝顔市が始まります

ご機嫌よろしゅうございます。

今日から三日間、下町入谷で毎年恒例の
朝顔市が始まります。

朝顔は牽牛花(けんぎゅうか)の別名があり
七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くことから
七夕の前後の三日間、開催されるようになりました。

例年、土日は人が行き来出来ないほどの賑わいをみせ
夏の風物詩にもなるお祭りですが、
入谷の名物となったのは明治に入ってからで、
十数件の植木屋が朝顔を造り、鑑賞させたのが
はじまりといわれています。
江戸時代末期から、花粉の交配によって様々な花を咲かせる
「変わり咲き」が大変流行し、
当時は一千種類もの朝顔があったといいます。

その後、一度姿を消した朝顔市ですが、
戦後地元の人々の協力によって、
現在の朝顔市が蘇りました。

今年の朝顔市に行かれましたら
是非ご感想をお聞かせください。

半夏生(はんげしょう)

2014-7-2 UP

7月2日 半夏生(はんげしょう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は半夏生(はんげしょう)です。

この日は
夏至から数えて約11日目にあたります。
昔から田植えの目安とされこの頃までには
田植えを終えるべきとされています。

関西では稲が蛸足のように根をはって豊作に成るように
という願いを込めて蛸を食べたり、
四国では「半夏うどん」といって田植え後にうどんを
打って食べるなど、地域によって様々な風習があります。

またこの頃には、
天から毒気が降るので井戸に蓋をしたり、
この時季に筍・わらびなどを食べないという禁忌があったそうです。

ハマナス

2014-6-26 UP

6月26日 ハマナス

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。

主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。

バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。

花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。

月見草(つきみそう)

2014-6-19 UP

6月19日 月見草(つきみそう)

富士には月見草がよく似合う

太宰治の「富嶽百景」にある一節です。
日本一といわれる富士の姿に、
はかなげな月見草の美しさが対比されて美しい風景が
頭に浮かびますが、
作中では金剛力草と書かれ、黄色い花となっています。
実際の月見草は白い花で、この「富嶽百景」に
登場するのはオオマツヨイクサかマツヨイクサではないかと
植物学者は推測しています。

6月のこの頃に咲き出す月見草。
自らの姿を、富士という雄々しい姿の前にはかなくも美しく
咲くこの花になぞらえたとも読めます。

6月13日に玉川上水に入水自殺した太宰治は
奇しくも誕生日である19日に遺体が発見され、
以後6月19日を「桜桃忌」として
墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)で法要が行われます。
現在でも多くの方が、この桜桃忌に参拝に訪れます。

2014-6-17 UP

6月 17日 梅

ご機嫌よろしゅうございます。

うっとおしい梅雨が続きますが、
「梅雨」の語源は、梅の実が熟す季節に降る雨
といわれています。

初春に美しい花を咲かせていた梅は、
この時期、丸くて青い実をつけます。

梅酒につけるには青くてかたい実を
梅干しは完熟のものが適しています。

梅干しは平安時代には既にあったようで
当時は、熱さましなどの薬用として食されていました。

戦国時代、武将達は
食糧袋に「梅干丸(うめぼしがん)」
を常に携帯していたそうです。戦場で倒れたときや元気を失った
時、 また合戦中の休息に梅干しを見て唾液分泌を盛んにし
脱水症状を防ぐ目的にも使われました。
梅干しは戦略物資の一つとなり、
武将たちは梅の植林を奨励したそうです。
現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っています

あじさい

2014-6-12 UP

6月 12日 あじさい

ご機嫌よろしゅうございます。

雨の雫を葉にのせて、しっとりと濡れるあじさいの姿
梅雨時ならではの美しい風景です。

中国では紫陽花
日本では集真藍(あづさあい)、四ひらの花
と表しました。

現在のあじさいとは異なった、古くから日本に自生していた種は
「今井宗久茶の湯抜書」の天正17年に「アヂサイ」
とあります。

寛政元年五月、遠州公が品川林中の茶亭で、
三代将軍家光公に献茶をした際、
家光公が遠州公作の竹の二重切花入に
「アジサイ三リン」を入れた記録も残っています。

ただ使用例としては少ないといえます。
夏の茶会自体がそもそも少ないということも
一因としてあるようですが、
その色彩的、形状的理由あるいは入手のしやすさなどから
茶席に用いられることが少なかったようです。

入梅(にゅうばい)

2014-6-11 UP

6月11日 入梅(にゅうばい)

ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは雑節の入梅にあたります。

暦の上での梅雨(つゆ)入りの日です。
梅の実が、 雨季にに入る頃ということから
入梅と呼ばれるようになったとか
この頃は湿度が高く黴〔かび〕が生えやすいため
「黴雨(ばいう)」が転じて梅雨(ばいう)
になったなどといわれています。

実際の梅雨入りとは異なりますが、
暦の上ではこの日から約30日間が梅雨の期間ということになります。
他の雑節同様、気象情報の発達していない時代、
田植えなどの農作業の目安として定められました。

古く「入梅」は、芒種の後の最初の壬(みずのえ)の日です。
陰陽五行説では「壬」は水の気の強い性格とされており、
水と縁がある日ということで、入梅の時期の目安に選ばれました。
明治以後は6月11日頃になります。

この梅雨の頃に獲れる真いわしのことを、
「入梅いわし」(にゅうばいいわし)と呼び、
1年の中で一番脂が乗って美味しいとされています。

遠州公時代の三河の名所

2014-5-23 UP

5月23日 遠州公時代の三河の名所

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は伊勢物語に出てきた三河の八つ橋について
遠州公が歌った和歌をご紹介します。

遠州公が元和七年(1622)43歳のときに
江戸から京都へ上った際の日記があります。

八つ橋というところに着いた。
燕子花の名所ということなので
さぞかしたくさん咲いているのだろうと思って
いたけれども、全く咲いていなかった。

やつはしに はるばるときてみかはなる
花には事をかきつばたかな

と言ったらお供のものが大変おもしろがった
とかかれています。
「花に事欠く」と「かきつばた」をかけたのですね。

平安時代、燕子花の名所であった三河は
遠州公の時代には名所がどこであったか
その場所もわからなくなっていたようです。