9月 10日 菊(きく)
ご機嫌よろしゅうございます。
道に咲く花に目をやると、薄や撫子、女郎花など
草花もやはり秋の風情を季節を感じられるものが
咲きだすようになりました。
菊も重陽の節句に用いられるように
秋には欠かせない花ですが、
この菊、夏には夏菊、冬には冬菊、春には春菊(はるぎく)
と一年を通じて用いられる、日本人に
昔から愛されてきた花です。
茶人達も古くから菊を愛用し、戦国時代には
津田宗達、宗及、今井宗久、千利休などの
茶会記に、名器に生けられた菊が頻繁に登場します。
江戸時代に入ると花の種類も沢山増え、
用いる回数もだいぶ減ってきますが、
それでもやはり、日本人にとっての菊は
今日まで特別な存在であることは間違いありません。
8月 30日 白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)
ご機嫌よろしゅうございます。
そろそろ秋の気配もかんじられるこの頃
籠に入れる茶花も徐々に秋の風情を帯びてきます。
秋海棠というと一般的には淡紅色の花ですが
当時、信濃町にあった宗家の裏庭には
白花の秋海棠が咲いていました。
この秋海棠は八世宗中公が江戸屋敷で愛玩していた
もので、その種子を蒔いて繁殖させたものです。
淡紅色の秋海棠よりも葉の色が濃く、また葉裏の
葉脈が濃紅色で色映りが大変美しく、
また背丈も高いのが特徴です。
宗中公以来百年以上の歴史を持つ花で
近くに紅色の秋海棠が植わっているとその
色に染まってしまう性質があるため
白花は大変貴重です。
ご先代はこの白花秋海棠の写生をされています。
7月6日 朝顔市が始まります
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から三日間、下町入谷で毎年恒例の
朝顔市が始まります。
朝顔は牽牛花(けんぎゅうか)の別名があり
七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くことから
七夕の前後の三日間、開催されるようになりました。
例年、土日は人が行き来出来ないほどの賑わいをみせ
夏の風物詩にもなるお祭りですが、
入谷の名物となったのは明治に入ってからで、
十数件の植木屋が朝顔を造り、鑑賞させたのが
はじまりといわれています。
江戸時代末期から、花粉の交配によって様々な花を咲かせる
「変わり咲き」が大変流行し、
当時は一千種類もの朝顔があったといいます。
その後、一度姿を消した朝顔市ですが、
戦後地元の人々の協力によって、
現在の朝顔市が蘇りました。
今年の朝顔市に行かれましたら
是非ご感想をお聞かせください。
7月2日 半夏生(はんげしょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は半夏生(はんげしょう)です。
この日は
夏至から数えて約11日目にあたります。
昔から田植えの目安とされこの頃までには
田植えを終えるべきとされています。
関西では稲が蛸足のように根をはって豊作に成るように
という願いを込めて蛸を食べたり、
四国では「半夏うどん」といって田植え後にうどんを
打って食べるなど、地域によって様々な風習があります。
またこの頃には、
天から毒気が降るので井戸に蓋をしたり、
この時季に筍・わらびなどを食べないという禁忌があったそうです。
6月26日 ハマナス
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。
主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。
バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。
花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。
6月19日 月見草(つきみそう)
富士には月見草がよく似合う
太宰治の「富嶽百景」にある一節です。
日本一といわれる富士の姿に、
はかなげな月見草の美しさが対比されて美しい風景が
頭に浮かびますが、
作中では金剛力草と書かれ、黄色い花となっています。
実際の月見草は白い花で、この「富嶽百景」に
登場するのはオオマツヨイクサかマツヨイクサではないかと
植物学者は推測しています。
6月のこの頃に咲き出す月見草。
自らの姿を、富士という雄々しい姿の前にはかなくも美しく
咲くこの花になぞらえたとも読めます。
6月13日に玉川上水に入水自殺した太宰治は
奇しくも誕生日である19日に遺体が発見され、
以後6月19日を「桜桃忌」として
墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)で法要が行われます。
現在でも多くの方が、この桜桃忌に参拝に訪れます。
6月 17日 梅
ご機嫌よろしゅうございます。
うっとおしい梅雨が続きますが、
「梅雨」の語源は、梅の実が熟す季節に降る雨
といわれています。
初春に美しい花を咲かせていた梅は、
この時期、丸くて青い実をつけます。
梅酒につけるには青くてかたい実を
梅干しは完熟のものが適しています。
梅干しは平安時代には既にあったようで
当時は、熱さましなどの薬用として食されていました。
戦国時代、武将達は
食糧袋に「梅干丸(うめぼしがん)」
を常に携帯していたそうです。戦場で倒れたときや元気を失った
時、 また合戦中の休息に梅干しを見て唾液分泌を盛んにし
脱水症状を防ぐ目的にも使われました。
梅干しは戦略物資の一つとなり、
武将たちは梅の植林を奨励したそうです。
現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っています
6月 12日 あじさい
ご機嫌よろしゅうございます。
雨の雫を葉にのせて、しっとりと濡れるあじさいの姿
梅雨時ならではの美しい風景です。
中国では紫陽花
日本では集真藍(あづさあい)、四ひらの花
と表しました。
現在のあじさいとは異なった、古くから日本に自生していた種は
「今井宗久茶の湯抜書」の天正17年に「アヂサイ」
とあります。
寛政元年五月、遠州公が品川林中の茶亭で、
三代将軍家光公に献茶をした際、
家光公が遠州公作の竹の二重切花入に
「アジサイ三リン」を入れた記録も残っています。
ただ使用例としては少ないといえます。
夏の茶会自体がそもそも少ないということも
一因としてあるようですが、
その色彩的、形状的理由あるいは入手のしやすさなどから
茶席に用いられることが少なかったようです。
6月11日 入梅(にゅうばい)
ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは雑節の入梅にあたります。
暦の上での梅雨(つゆ)入りの日です。
梅の実が、 雨季にに入る頃ということから
入梅と呼ばれるようになったとか
この頃は湿度が高く黴〔かび〕が生えやすいため
「黴雨(ばいう)」が転じて梅雨(ばいう)
になったなどといわれています。
実際の梅雨入りとは異なりますが、
暦の上ではこの日から約30日間が梅雨の期間ということになります。
他の雑節同様、気象情報の発達していない時代、
田植えなどの農作業の目安として定められました。
古く「入梅」は、芒種の後の最初の壬(みずのえ)の日です。
陰陽五行説では「壬」は水の気の強い性格とされており、
水と縁がある日ということで、入梅の時期の目安に選ばれました。
明治以後は6月11日頃になります。
この梅雨の頃に獲れる真いわしのことを、
「入梅いわし」(にゅうばいいわし)と呼び、
1年の中で一番脂が乗って美味しいとされています。
5月23日 遠州公時代の三河の名所
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伊勢物語に出てきた三河の八つ橋について
遠州公が歌った和歌をご紹介します。
遠州公が元和七年(1622)43歳のときに
江戸から京都へ上った際の日記があります。
八つ橋というところに着いた。
燕子花の名所ということなので
さぞかしたくさん咲いているのだろうと思って
いたけれども、全く咲いていなかった。
やつはしに はるばるときてみかはなる
花には事をかきつばたかな
と言ったらお供のものが大変おもしろがった
とかかれています。
「花に事欠く」と「かきつばた」をかけたのですね。
平安時代、燕子花の名所であった三河は
遠州公の時代には名所がどこであったか
その場所もわからなくなっていたようです。