4月4日 清明(せいめい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の「清明」です。
「暦便覧」には
「万物発して清浄明潔なれば、
此芽は何の草としれるなり」
と記されています。
花々は咲きほこり、万物が若返り、
清らかで明るく美しい季節です。
中国における清明節は祖先のお墓参りをし、
日本におけるお盆に当たる年中行事です。
また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、
清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、
穀雨以後の茶葉を「雨後茶」といいます。
中国で清明節に近い時期に摘む茶葉は、特に香りと甘みがあり、
高級茶葉の扱いをされるそうです。
4月3日 映画「父は家元」
ご機嫌よろしゅうございます。
好評につき遠州流茶道 ドキュメンタリー映画
父は家元が
池袋、新所沢にて凱旋上映が決定されました。
4月19日にはシネリーブル池袋
(http://www.ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/)
にてお家元とナレーションを務めた次女の
優子さんお二人が舞台挨拶をされる
予定です。
先日の公開討論会において、
林屋晴三先生映画の感想を
このようにおっしゃっていらっしゃいました。
作りこまれたところがなく、全てが自然で
映画の内容が小堀家そのもの。
お茶の家はこうあるべきと
志ある人は感じたのではないかと思います。
前回の上映でご覧になれなかった方
一度ご覧になり、お知り合いにお勧めしたい方
是非映画館に足をお運びください。
詳細はホームページをご確認ください。
4月 2日 釣釜(つりがま)
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯では
炉から風炉へ
季節のうつろいを感じる設えがあります。
その一つが「釣釜」です。
釣釜は炉を閉じて、初風炉の直前にする設えで、
文字通り天井から鎖で釜を吊るし
次第に暖かくなってきた気候に合わせて
釜を深く下ろして湯を沸かし
火気を遠ざけられるような仕組みになっています。
お点前の際は釜を通常の高さまで上げて扱います。
宗家の稽古場でも釣り釜の用意がされると
いよいよ夏がやってくるのだなあと
感じられます。
遠州流では小間の茶室では台目柱がある
縦の線が重なるのをよしとしませんので
釣り釜ではなく透木釜
(五徳を使わず、炉縁に釜の羽根が乗る釜)をかけ、
広間で釣り釜を行います。
4月1日 一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から4月。
入学式や新生活を迎える方も多い月ですね。
四月は卯月ともいい、卯の花つまり空木の花の咲く月という
異名もあります。
たくさんの美しい花々を楽しめる
一年でも最も明るく華やかな時期でしょう。
さて、花を愛でるのは、その姿だけではありません。
花の持つ香りも楽しみの一つです。
お香を聞くときも、少し湿った雨の日の方が香の香りが
よく味わえますように、やはり花の香りも
しっとりとした雨上がりの方が、その甘い香りが際立ちます。
今日はそんな香りにちなんだ禅語を御紹介します。
一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
この言葉は
美しい花を落としてしまうほどの雨
しかし、一夜明けると、その雨が地を潤し、
花の香りで満ちていた。
という意味です。
この語は
当時字がうまいと評判だった二代大膳宗慶が
八歳のとき(寛永五年・1628)、宮中に召され
後水尾天皇・東福門院の御前でこの言葉を書きました。
その日雨が降っており
「嘉泰普燈録(かたいふとうろく)」という禅宗史伝書の
第六にある「一夜落花雨満城流水香」の語を選び
一同を感心させたと言います。
3月31日 薬師寺 花会式(はなえしき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は奈良の薬師寺にて花会式が行われます。
正式には「修二会」といわれ、
三月末~四月の初めに七日間、
練行衆により懺悔を中心として昼夜に繰り返し行われる、
奈良・平安時代より続く行法です。
この修ニ会は奈良の色々なお寺で行われています。
例えば3月12日にご紹介した東大寺のお水取りも、
修ニ会の行事の一つ。
薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから
「花会式」と呼ばれ、お水取り同様、奈良に春を告げる行事
として親しまれています。
嘉承2年(1107)に堀河天皇が皇后の病気平癒を
薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したため、
10種類の造花を作り供えたことが
現在の華やかな「花会式」の始まりとされています。
現在の花会式においては、御家元がお献茶をご奉仕されることもあります。
また、例年 戸川宗彬先生が添釜をされていらっしゃいます。
3月30日 官兵衛 天正19年の出来事
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。
天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。
1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日 千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。
主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。
文禄22年15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。
3月29日 遠州公の愛した茶入「凡(およそ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の
「凡(およそ)」をご紹介します。
不思議な名前だな?と思われるかたも
いらっしゃるかもしれません。
この茶入の姿に「凡」の字が似ているところから
遠州公がつけたと言われています。
遠州公が将軍茶道指南役の任を終え
伏見に戻ってから行った最初の茶会で使用されて
その後12回ほど使用した記録が残っています。
遠州公最晩年によく使用された茶入で
後に松平不昧の手に渡り
「雲州蔵帳」にも記載されています。
3月28日 遠州公書き捨ての文
遠州流の行事でしばしば
遠州公の遺訓「書き捨ての文」
を唱和する機会があります。
これは門人に茶の湯の極意を問われた遠州公が
答えたもので、わかったら捨ててしまいなさい
という意味で「書き捨ての文」という名が
ついているそうです。
遠州公が謙遜の意味で「書き捨て」とされたのかもしれません。
全文はホームページを参照していただき
こちらではその内容について触れさせていただきます。
家族を敬い
仕事に励み、友人を大切にしなさい。
四季折々の恵みを愛で、五感で味わい
心のこもった道具を選び使いなさい。
釜の煮え音を絶やさぬことを忘れずに。
遠州公の書かれたことは
決して特別なことばかりではありません。
普段通りの生活の中に、茶の湯の心が含まれている。
むしろその当たり前の日常に
茶の湯はあるのですよ。
そうおっしゃっているような気がします。
一日一日を大切に
心を豊かに過ごしたいものです。
3月27日 千林処々花(せんりんしょしょのはな)
ご機嫌よろしゅうございます。
先日、宗家のお稽古場にこの禅語が掛けられていました。
千林処々花
この言葉は
春入千林処々花 秋沈万水家々月
(春は千林に入る処々の花、秋は万水に沈む家々の月)
と対句になっています。
春の光は至るところに広がり、花々はその蕾をひらかせます。
秋には明月が、「万水」、海や湖水、川や庭の蹲などの水面に隔てなく
平等に月影を写し出します。
大自然の働きに喩(たとえ)て、
仏の慈悲は遍く平等に広がっていることを示した句です。
3月26日 花ぐもり
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「花ぐもり」について
春は「かすみ」の多い月です。
遠州公も「書き捨ての文」に
「春は霞…」と書かれています。
霞がかかってくもったようになる様子を
「花ぐもり」と言ったりします。
三月から四月にかけて花の咲く頃は
冬・夏の季節風の変わり目で、曇りがちの日が多くなります。
空が薄く曇り、花々が霞んだ様子を
日本人はむしろ美しいと感じることが多いようです。
桜の名所である
奈良の吉野山の景色は
「照らず降らずの花曇り」
と称されます。