14日
現在の藤枝あたりに築かれた田中城の城主・松平忠晴に
手紙を送った遠州公。
田中城は、湿地を利用して同心円状に4重の
堀を配した珍しい城郭です。
そして、徳川家康が鷹狩りのために
良く出かけた先が、駿府に近いこの田中城でした。
『徳川実録』には、鷹狩のため田中城に滞在中の家康のもとを
京の豪商だった茶屋四郎次郎が訪問。
その際に京で流行っている料理の話を聞き、実際に調理させました。
日頃節制心がけている家康にしては珍しく
大鯛2枚・甘鯛(興津鯛)3枚をごま油であげ、
にんにくをすりかけたものを機嫌よく、
いつもより多く食べ、腹痛と食あたりに。
これが亡くなった原因ともいわれていましたが、実際の死因は
胃がんという説が有力です。
十四日
さやの中山にかかると
おもいがけず鹿の声が嵐と共に聞こえてくる。
時雨つる 嵐の雪間 月さえて
鹿のねこゆる さ夜の中山
此の山の景色を言い表そうにも言葉がたりない。
大井川にかかると、夜も明け始めた。
嶋田を経て、田中の城主は私が親しくしている方だったので、
手紙をしたためて送る。
岡戸の里を過ぎて、宇津の山にかかる。
見ればみし 人ならねども ふみ分て
道はまよはぬ うつの山ごえ
さらに進んでいき、丸子の里に到着した。
ここで宿をとる。
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遠州一行は、夜明け前から舞坂の里を出発し、
しらじらと暁が明ける頃に浜松を通過しています。
天龍川にさしかかり、いけだの舟渡しにかかります。
冷たく寒い風が吹き、
かぜさむしいそぎいけだの舟渡
と狂歌をよんでいます。
1000年も前から続いていた天竜川・池田の渡し。
徳川家康が池田の渡船衆に渡船の運営権が保証されてから、
江戸時代を通じて交通を一手にになってきました。
掛川につくと、かねてより親交のあった城主の出迎えを
うけてしばらく語り合っています。
この日記の書かれた年(1642)の掛川城主は本田忠義
(これまで松平定行とされていましたが、改めます。)
「家康に過ぎたるものが二つあり…」と歌われた本田忠勝
の孫にあたり、遠州公の23歳下になります。
小堀宗実家元が審査員を務められました展示会のお知らせです。
第 49 回伝統工芸日本金工展(令和 3 年)
www.nihonkogeikai.or.jp/exhibition/metalwork/49/?tab=info
趣 旨:我が国に古くから伝えられている鋳金、鍛金、彫金等の金属工芸の保存と発展を期し、現代生活に即する作品を創り、広く一般の清鑑と批判を仰ぐことを目的とする。また、21世紀の生活空間に積極的に提案する作品創りを目指す若い人の育成を目的とした、若手育成に特化した出品部門「21⁺部門」を設け、わが国の伝統工芸の発展に寄与する。
日 時:11/6(土)〜11/21(日)
会 場:ギンザタナカ 5階ホール
観覧料:無 料
主 催:(公社)日本工芸会 / 田中貴金属ジュエリー(株)
後援等:文化庁 / 東京都教育委員会 / 朝日新聞社 / (公財)宗桂会 / 石洞美術館 / MOA美術館 / (公財)掛川市文化財団 / 掛川市
十三日
浜松の里を過ぎると ほのぼのと日が明けてきた。
ここはどこかと供の者に問うと、池田の渡しです
という。さる者が
かぜさむしいそぎいけだの舟わたし
とおもしろいことを言っている。
それを聞いて、またある人が
もちあたためて酒うれるやと
続けるよりも早く、下人たちがもちを食い酒を
飲んでいる姿は面白い。
舟を越えて、見付の里を過ぎる。
行き先は遠江掛川というところ。
ここの城主が宿を出でてお待ちくださっていた。
そこに立ち寄ってしばらくとどまり、
お暇して日坂の宿に一泊する。
ここはさよの中山のふもとである。
山から吹きおろす風で、時雨の雲も吹きはらわれる。
明るく冴えわたる月に、誘われるようにこの里をでる。
ご機嫌よろしゅうございます。
10月27日(水)ラジオ
TOKYO FM 「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」(13:00〜14:55)(山崎怜奈さん 乃木坂46)
に、宗翔さんが生出演されます。
皆様是非お聞きください。
www.tfm.co.jp/darehana/