ご機嫌よろしゅうございます。
6月 5日は二十四節気の「芒種」
田植えの時期がやってきました。
そして5日から10日までの七十二侯は
「蟷螂生ず」
「蟷螂」とは「かまきり」のことを表します。
蟷螂は作物を荒らす虫を補食する益虫であり、
稲作が生活の中心となる弥生時代の銅鐸の文様にも
描かれています。
中国の故事に多く登場する蟷螂
『荘子』の「人間篇」には
蝉を狙う蟷螂、その蟷螂を狙う鵲、そしてその鵲を
とろうとする荘周。
己の利しかみえず危険に気づかない自分を恥じ、
弓を落としたという話があります。
また『淮南子』の「人間訓」や『韓詩外伝』には
斉の荘公の乗る車に対し、果敢にもその斧を振り上げる
蟷螂の姿に、人間であれば必ずその名を天下に
轟かせたであろうと、その蟷螂をさけて車を通ったという
話も。退くことを知らず、前に進むのみの蟷螂の姿から
弱い者が、自分の能力をわきまえず、強い者に
立ち向かうことを表した四字熟語として「蟷螂の斧」
と言いますが非力な者でも、ときによっては強敵に
身を捨てて立ち向かわなねばならない時がある
という意味で肯定的にも使われます。
この故事にになんで車軸釜の鐶付には、蟷螂の鐶付が
ついているものもあります。
また、東京国立博物館所蔵の「色絵 月に蟷螂文茶碗」
は、江戸時代の永楽保全作で、こちらに向って
草につかまり、鎌を振り上げる蟷螂は愛らしくもあります。
ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。
梅雨入と入梅
ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな5月もそろそろ終わりを迎え、
6月にはいると梅雨の季節を迎えます。
昔は「入梅」は立春から数えて135目とされていましたが、
現在では太陽の黄経が80度に達した日で、
芒種から数えて5日目頃の最初の壬(みずのえ)の日を
「入梅」と呼ぶようになりました。
これは、壬が陰陽五行で最も水の気の強い性格を
もつことからだとか。
ちなみに今年の入梅は6月11日です。
またこれとは別に「梅雨入り」は実際に梅雨の期間に
入ることを指す気象用語で、日にちは毎年異なります。
この頃は大雨による被害が起きやすい時期であることから、
天候経過と1週間先を見越して、気象庁が「梅雨入り」と
「梅雨明け」を発表するのだそうです。
ご機嫌よろしゅうございます。
毎年5月15日に行われる葵祭は京都の春の風物詩です。
花で飾られた牛車や、輿に乗った斎王代を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する雅な様子は
平安の昔を今にみるかのようです。
「源氏物語」の「葵」の帖では、源氏の正妻である葵の上と
六条御息所が、見物の場所をめぐっての車争いが引き起こされます。
車とは貴族が乗る牛車で「御所車」と呼ばれ、後世「源氏物語」の
世界を象徴するものとして、文様として多く描かれました。
草花や流水と組み合わせた華やかな文様は振袖や打掛にも
描かれます。しかしそういった華やかさだけなく、
車の廻るがごとく、人の世は巡り巡るもの・儚いものとした、
車輪を人生になぞらえた無常観を表すものとしての文様、
また仏の道である法輪を象徴するものとしてもとらえられます。
御所車の車輪は木でできていているため、乾燥やひびを防ぐため、
川の流れに浸し置かれました。
そうした当時の光景を文様化した「片輪車文様」は、
水の流れに任せて回転する車と流転する人生とが重ね合わされ
無情感や日本的世界観が構築されていきました。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は装飾経を収める経箱として
用いられたと言われていますが、その文様に託された隠喩が
関係するのでしょうか。
この図柄を原羊遊斎に模させた松平不昧共箱「蒔絵錫縁四方香合」
があります。また志野や織部にも片輪車を描いたものは多く、
「織部片輪車星文四方鉢」や、赤地に緑釉をかけた珍しい織部に
「山路」と銘をもつ茶碗がありこれにも水辺に上部のみ
姿を見せる片輪車が描かれています。
ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな青空の下、木々の緑は目にも鮮やかになりました。
そんな風に吹かれるみずみずしい楓の葉を表したお菓子を
ご紹介します。
目には青葉 山ほととぎす 初鰹 素堂
あらたうと 青葉若葉の日の光 芭蕉
源太さんに「こなし」と「練り切り」の違いについて
伺ってみました。「こなし」は米粉などででんぷんを入れて
蒸しており、もっちりとした食感に。
「練り切り」はあんこにつなぎをいれてさっくり、
ずっしりとした食感になるのだそうです。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は五節句のうちの一つ、「端午の節句」です。
詳しくは昨年もご紹介しましたが、鎌倉時代から
男の子の節句として祝われるようになった節句です。
また男子の出世を願って「登竜門」という言葉もかけられます。
今日はこの「龍」の文様をご紹介します。
中国において龍は権力の象徴であり、皇帝を示すものでした。
日本には弥生時代、稲作とともにその図像が流入し、
以後水の神として崇められたり、時に人に仇するものとして描かれ
様々なお話に龍が登場します。
一口に龍といっても、その種類は実に多く、中国における龍の
存在の大きさを物語っています。
裂地においても、龍は牡丹唐草に次いで数の多い裂地で
文形は小形の角龍とやや大きい丸龍形式に大別されます。
中興名物「相坂丸壷茶入」の仕覆「逢坂金襴」は綺麗さびを
体現した美しさで、雨龍と七曜、霊芝文が施された吉祥文様
になっています。他に珠光が好んだと言われる竜三爪の
「珠光緞子」が遠州好・高取「下面」茶入の仕覆として、
祥雲寺金襴と片身替で用いられています。
また「龍」で思い浮かぶ茶の湯の道具といえば「雲龍釜」でしょう。
「茶話指月集」には「雲龍釜」がはじめてできたとき、利休が
気に入って釜をかける姿や口伝が記され、茶会で「雲龍釜」
をよく使用しています。
釜から立ち昇る湯気に、天を昇る龍の姿を想起させます。
織部焼茶入「不二」
ご機嫌よろしゅうございます。
織部焼の茶入に「不二」の銘をもつものがあります。
遠州公が
時しらぬ五月のころの色をみよ
いまもむかしも山はふしのね
との歌銘をつけています。
これは「伊勢物語」所載の
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか
かのこまだらに雪の降るらむ
をうけての歌と考えられます。詞書には、
さ月の晦に、ふじの山の雪しろくふれるを見て
よみ侍りける
とあり、五月になっても鹿の子斑に雪が降り積もる
富士山を歌っています。
五月といっても陰暦の五月なので、現在の七月初め頃。
夏のまばゆい青空に東路を進み、駿河の国に着いた男が見た
富士の山は頂に雪をかぶり鮮明な印象です。
後窯に分類される織部「不二」は背の高いすっきりとした形で
肩から胴体にかけて富士山の姿があらわれています。
黒釉が一面にかかり、それが柿色に変化して影富士のような
模様となっています。
ご機嫌よろしゅうございます。
「夏は青葉がくれのほととぎす‥」
と遠州公が書き捨ての文に記されていますように
新緑の眩い季節にほととぎすの澄んだ美しい声をきくと
心が洗われるような清々しさを感じます。
遠州公の茶杓「時鳥」には
行きやらで山路くらしつほととぎす
今一声のきかまほしさに
の歌銘が添えられています。
茶席でほととぎすといえば、風炉の季節に花を咲かせる
「ほととぎす」も茶花としても茶人に愛されています。
また、小倉色紙の秀次の逸話を昨年ご紹介致しました。
初夏の季節、その姿や声に思い巡らせながら茶を
楽しむ様子が目に浮かびます。
その姿をしのび美しい声をきかせるように、ほととぎすの
文様としてはあまり姿を見せてはくれませんでしたが、
尾形乾山の作品に「定家詠十二ヵ月和歌花鳥図」という
角皿があります。江戸時代前期、古典復興が高まる中で
藤原定家の和歌に基づいた花鳥図が流行し、乾山は、
狩野探幽による和歌花鳥図を角皿に描いたと考えられています。
時鳥しのぶのさとに里なれき
まだ卯の花のさつきまつ頃
この歌はそのうちの一首で、井伊宗観好十二か月月次
(つきなみ)茶器の四月はこの歌から画題を得て卯の花と
ほととぎすが描かれています。
ちなみに井伊宗観は井伊直弼の茶名です。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は醒睡笑のお話をご紹介します。
「茶は眠りを覚ます釣り針である」という。
また「茶は食べたものを消化させる」ともいう。
吾門にめさまし草のあるなへに
こひしき人は夢にだに見ず
自分の家には「目さまし草」があるから眠れず、
恋しい人を夢にさえ見ない。などと言って、
人々がほめそやしながら茶を飲んでいた。
その末席に百姓がいて、「それなら、私たち百姓は、
一生茶を断ち申しましょう。一日中頑張っても、
その夜じっくり眠ればその心労も忘れます。
また、食べるのに事欠くことさへあるのに、
すぐ消化してしまうのではなんの役にたつのでしょう。
ああ いやな茶ですよ」と頭を横にふった。
そこで「憂喜依人(好き嫌いも人の境遇による)」という題で、
ますらをが小田かえすとて待雨を
大宮人やはなにといはん
農夫が田を鋤きかえして心配して待つ雨を、
大宮人は花が散るので嫌うだろう。と詠んだ。
何となく人にことはをかけ茶わん
をしぬぐひつつ茶をものませよ
花をのみまつらん人に山さとの
雪間の草の春をみせばや
千利休は「侘び」の本意として、この歌を常に吟じ、
心にかける友に対しては、いつも心してお忘れにならなかった。
契りありやしらぬ深山のふしくぬ木
友となりぬる閨のうづみ火
これは牡丹花肖柏の歌で、古田織部は冬の夜の物寂しいときに
この歌を好んで吟じられた。
5月 12日(金) 茶の湯にみる文様
「かきつばた」
ご機嫌よろしゅうございます。
端午の節句は、この頃に見頃を迎える菖蒲を
飾りに用いることから「菖蒲の節句」とも呼ばれ、
武士の「勝負」にかけられ男子の節句として祝う
ようになりました。
しかし菖蒲湯の菖蒲はサトイモ科で美しい菖蒲とは別物。
葉が似ていますが、蒲(がま)の穂のような黄色い花が咲きます。
そして花菖蒲と同様この時期に咲く「かきつばた」は、
その上品な出で立ちから画材や工芸品の模様として
多く取り上げられてきました。
染料として使われていたことから「書き付け花」がなまり
「かきつばた」となったとする説があります。
この「かきつばた」が描かれる作品としては「伊勢物語」
の八橋を題材とした尾形光琳の作品「伊勢物語八橋図」
「燕子花図屏風」など多くの作品が残ります。
旅人は直接描かれず、歌意を表す留守文様によって、
物語のイメージが膨らみ、見る者の想像を一層掻き立てます。
光琳の弟・乾山は「染付銹絵杜若図茶碗」をつくっています。
優雅に咲き誇る杜若を大胆な構図で描き、口縁に銹絵を施しています。
また、黄瀬戸茶碗には「唐衣」と銘をもつものもあります