2月 29日(月) 新介正次命日
ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは2月29日、四年に一度の
閏年です。
そして今日は遠州公の父である、
新介正次のご命日でもあります。
正次の生きた戦国時代、主従の選択は
家の存続を左右する非常に厳しい時代でした。
新介正次は、天文九年(1540)
近江国小堀村に生まれます。
若い頃に出家していましたが、三十一歳頃までに
還俗し、浅井家家老の磯野丹波守員正の娘と結婚。
浅井家との関係も深まります。
しかし、姉川の合戦の後、員正が浅井家離反し
新介は再び僧籍へ。
長浜の新城主となった豊臣秀吉の弟・秀長のもとで
再び還俗し、次第に立身していきます。
秀長・秀吉と主を失って後には家康の下で働き
作事や、行政官としてもその能力を発揮します。
慶長八年(1603)二月十二日、伏見城にて
家康が征夷大将軍の宣旨を受けます。
その翌年の慶長九年 二月二十九日、江戸に出府
の途中、相模国藤沢にて六十五歳の生涯を閉じました。
冷静な判断によって時流を見極め、動乱の時代を
生き抜き遠州公を育成、後の小堀家の存続と、
徳川の譜代大名並みの扱いを受けるまでの
功績を残しました。
2月26日(金)能と茶の湯
「尾上釜(おのえがま)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週に引き続きまして「高砂」に
ちなんだ茶道具をご紹介します。
今日は「尾上釜」です。
播磨(兵庫県加古川)尾上神社所蔵の朝鮮鐘
(ちょうせんがね)を形どって作った釜で
あることから「尾上」と名付けられ
五郎左衛門作と極められています。
鐶付が獅噛、共蓋に竜頭のつまみが通常の作りで
蓋裏に「尾上の鐘」の文字が鋳出してあります。
胴の正面に「播州」と「高砂」、
裏側に「尾上」の文字を鋳出しています。
能「高砂」では、竹さらいと杉箒を持った尉と姥が
囃子にのって静かに歩み出て、橋掛りで
向かいあい、
高砂の松の春風吹き暮れて
尾上の鐘も響くなり
と謡います。
2月22日(月) 飛梅・老松
東風ふかば 匂いおこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ
ご機嫌よろしゅうございます。
梅の花の咲く頃、天神茶会の行われる
季節となりました。
「東風ふかば…」の歌は昨年もご紹介しましたが、
菅原道真の歌としてとても有名です。
この梅には天皇に重用されていた道真をねたむ
藤原時平の讒言によって、太宰府に左遷となった
主・道真を慕って、都から太宰府まで飛んでいった
という「飛梅」伝説があります。
そしてその梅を追って松がやってきた。
桜は同じ籬にありながら主の思し召しがなかった
ことを怨み、一夜のうちに枯れてしまったといいます。
能「老松」では、間語りで
「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に
何とて松は つれなかるらむ』
と詠まれます。
この「老松」は長寿の象徴である松・春、
先駆けとして咲く梅のめでたさを讃える祝言能です。
かつて徳川幕府でも正月三日に諸大名によって
祝いの席が設けられ、観世太夫がこの「老松」
を謡いました。
2月19日(金)能と茶の湯
「芦屋(あしや)高砂釜」
ご機嫌よろしゅうございます。
今週は「高砂」にちなんだ釜を
ご紹介します。
現在五島美術館に収められている
芦屋の高砂釜は鴻池家伝来で、
同家にはもう一つ高砂地紋釜があり、
江戸時代中期には二つ揃えであった
といわれています。
一面に尉と姥を、
他面には竹林に鶴を配しています。
鐶付は亀です。そして、
我見ても久しくなりぬ住吉の
岸の姫松幾世経ぬらむ
この歌が尉と姥、竹林の模様の間に
鋳出されています。
「私が見てからも久しいこの住吉の姫松は
一体どれだけの御代を経たのであろう。」
この歌は高砂から住吉に移り、住吉明神が
現れて謡ます。
また「伊勢物語」や「古今集」にもこの歌が
みられます。
2月15日(月)想(おも)い葉
ご機嫌よろしゅうございます。
昨日2月14日はバレンタインデーでした。
バレンタインはもともと、西暦269年に
兵士の自由結婚禁止政策に反対した
バレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害によって
殉教した日を記念した祭日(2月14日)と
むすびつけられて出来たもので、
今では女性から男性にチョコレートを贈るという、
日本独自の習慣が生まれ人々に受け入れられています。
さて、そんな日にちなみまして
茶畑からこんなお話を。
茶葉の中で、二枚の葉がくっついたものを
「想い葉(おもいば)」と呼ぶのだそうです。
四つ葉のクローバーのように珍しいもので
これを見つけると恋の想いが、相手に伝わる
といわれているそうです。
茶摘みはかつて若い娘さんの仕事で、
新茶時期には茶農家に泊まりこみで働いたの
だそうです。
茶摘みをする娘さん達も、偶然見つけた想い葉に
心を躍らせていたのでしょうか。
2月12日(金)能と茶の湯
「染付高砂花入」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「高砂」のご紹介を致しました。
この「高砂」にちなんだ道具でよく
知られるのが、
「染付高砂花入」です。
図柄と形が大変インパクトのある花入で
花入の首の裏表に描かれた二人の人物が
尉(じょう)と姥(うば)に見立てており、鯉耳のついた
砧型をしています。鯉も日本では
祝意を表すものとして好まれます。
肩には蓮弁文、胴部分に水藻文が施されて
いて、この手の類のものは「高砂手」と
呼ばれています。
日本以外にはこの手のものが見当たらないこと
から日本からの注文品と考えられ、
本歌は中国・明代末期とされています。
2月15日(月)想(おも)い葉
ご機嫌よろしゅうございます。
昨日2月14日はバレンタインデーでした。
バレンタインはもともと、西暦269年に
兵士の自由結婚禁止政策に反対した
バレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害によって
殉教した日を記念した祭日(2月14日)と
むすびつけられて出来たもので、
今では女性から男性にチョコレートを贈るという、
日本独自の習慣が生まれ人々に受け入れられています。
さて、そんな日にちなみまして
茶畑からこんなお話を。
茶葉の中で、二枚の葉がくっついたものを
「想い葉(おもいば)」と呼ぶのだそうです。
四つ葉のクローバーのように珍しいもので
これを見つけると恋の想いが、相手に伝わる
といわれているそうです。
茶摘みはかつて若い娘さんの仕事で、
新茶時期には茶農家に泊まりこみで働いたの
だそうです。
茶摘みをする娘さん達も、偶然見つけた想い葉に
心を躍らせていたのでしょうか。
2月8日(月)珠光茶会
ご機嫌よろしゅうございます。
今日2月8日から14日の7日間、
村田珠光(むらたしゅこう)のゆかりの地である奈良で、
「珠光茶会」が催されます。
奈良では、古より様々な文化が育まれてきました。
そのうちの一つである「茶の湯」を通して
奈良の魅力を発信することを目的に行われる
このイベントは今年で三回目となります。
遠州流茶道は第1回から参加し、
お家元も第1回目は来賓として招かれ、
昨年は元興寺でお献茶をご奉仕されています。
奈良市内の世界遺産を含む八社寺や、
歴史的な街並みが残る「ならまち」のお茶室を
舞台に、今年は七流派(遠州流茶道、表千家、裏千家、
武者小路千家、石州流、藪内流、宗徧流)が一堂に会し、
普段からお茶に親しんでいる方だけでなく
お茶に馴染みのない方、観光客の方にも
楽しんでいただける茶会になっています。
遠州流は2月11日(木)に薬師寺まほろば会館にて掛釜
また14日(日)には水之江 福智院店にて、
初心者に向けた講座「扇子の使い方と薄茶席」の
体験を行います。
2月5日(金)能と茶の湯
「高砂(たかさご)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「高砂」についてご紹介します
平安時代前期の延喜(えんぎ)の頃。
都を見物しようと九州からのぼってきた友成一行は、
高砂の浜辺に立ち寄り、松の落葉を掃く老夫婦に
出会いました。
老夫婦は相生(あいおい)の松のいわれについて、
高砂の松は『万葉集』、住吉の松は『古今和歌集』
をあらわし、歌が盛んに詠まれ世の中が
平和であることを象徴する松なのだと語ります。
そして我ら夫婦は、それらの松の精なのだと
正体を明かし、住吉で待とうと告げて小舟に
乗って姿を消します。友成らが月夜に船を出し、
住吉の浜辺にやってくると、西の波間から
住吉明神が現れます。明神は長寿をほこる
松のめでたさを称え、さっそうと舞を舞います。
澄んだ月明かりのもと、舞につれて、
松の梢に吹き寄せる心地よい風の音が聞こえ、
明神は平和な世を祝福するのでした。
(※日本芸術文化振興会参照)
「高砂」は、祝いの曲として広く知られ、今でも
祝言やおめでたい席でうたわれます。
次週はこの「高砂」に関連した茶道具を
ご紹介します。
2月1日(月) 向栄亭の床の間拝見
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から二月、そして二月の四日は 立春です。
寒さは依然として厳しいですが そろそろ春の気配を感じられる頃になりました。
さて、今日は二月の宗家稽古場の床の間をご紹介します。
床 紅心宗慶宗匠筆 柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)
花 加茂本阿弥椿 木五倍子(かもほんなみつばき きぶし)
花入 志戸呂 鶴首
床の間の掛け物の言葉は 中国北宋時代の政治家であり詩人である
蘇東坡(そとうば)の「花紅柳緑真面目」 花は紅(くれない)柳は緑(みどり) 真面目(しんめんもく)
という言葉に由来するものです。
花は紅、柳は緑、このあたりまえのことが、
とりもなおさず真理の実相である
自然のあらゆるものがそのままで 真実を具現しているといっています