8月 12日(水)遠州流茶道の点法
「台子について」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は台子の歴史についてご紹介しました。
現在通常のお稽古で行う点法はこの台子点法
を草体化したものといえます。
貴人へのお点法として行われ、
現在では神仏などへ献茶を行う際などに
この台子を用いて点法をします。
お家元は息がお茶にかからないよう
「へだて」をし、最も式正な形で献茶を行っています。
神社仏閣での献茶式や、遠州忌、許状式で
その点法を拝見したことがある方も多いでしょう。
遠州流茶道でも通常のお点法とは別に
台子特別稽古で、通常のお稽古で習った
薄茶から唐物の盆点までを台子で稽古します。
何年もお稽古をしていく中で、身についてしまった
くせや忘れてしまっていたことなどを
この台子の稽古を行うことで、改めて見直し
点法の乱れを直すことができます。
8月10日(月) 山の日
ご機嫌よろしゅうございます。
明日は8月11日。
今年は平日ですが、2016年からは
「山の日」として祝日となることが
決まりました。
「山の日」は「山に親しむ機会を得て、
山の恩恵に感謝する」
ために制定された祝日なのだそうです。
この法案の施行によって、国民の祝日は年間15日から
16日に増えることになり、8月に初めて祝日ができます。
これによって祝日がないのは6月だけとなります。
確かに海の日があるので、山の日があっても
不思議ではありません。
茶箱を携えて緑の美しい山を訪れ、一服。
大自然の空気を吸い、エネルギーを吸収する
機会となるとよいですね。
8月 7日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伏見奉行屋敷の茶室」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伏見奉行屋敷に作られた茶室
についてご紹介します。
政務と茶の湯が密接に結びついたものであった
ことは先週ご紹介しました。
その屋敷内の三つの茶室
松翠亭・転合庵・成趣庵
についてお話したいと思います。
「松翠亭」は奉行屋敷の東南隅に位置する数寄屋です。
この平面図が寛永十八年の松屋会記に記されています。
四畳台目で採光に工夫が凝らされていて
窓が九箇所、突き上げ窓三箇所、
計十二箇所の窓がついています。この「松翠亭」は
鎖の間である広間に繋がっていました。
現在静岡金谷のお茶の郷博物館に復元されています。
別棟として立つ茶屋として「転合庵」と「成趣庵」が
後に建てられました。
「転合庵」は焼失してしまいましたが、小室屋敷の
茶室と同名で移築したものとも考えられます。
「成趣庵」は転合庵よりさらに奥まったところに
作られ、家臣の勝田八衛が常に茶室に控え、
晩年の遠州公が屋敷内を散策する際にお茶を点てていました。
この成趣庵の露地には紅梅が植えられており
見頃を迎えると親しい友人を誘っていた
手紙が残っています。
宗家の茶室もこの「成趣庵」と同名で、やはり露地には
見事な紅梅が植えられています。
8月 5日(水)遠州流茶道の点法
「台子(だいす)」
ご機嫌よろしゅうございます。
普段の稽古では行わない特別なものに
台子があります。
四本の足を持ち、地板と天板でできた棚です。
今日はこの台子の歴史についてご紹介します。
南浦紹明が入宋し、径山寺の虚堂智愚から法を嗣ぎ、
持ち帰った台子と皆具一式が九州の崇福寺に
伝えられたといわれています。
足利義政の頃に村田珠光が能阿弥らともに
台子の寸法や茶式を定めたとされています。
のちに台子は秘伝化し、皆伝の証となりました。
将軍の指南役であった織部・遠州・石州は
いずれも将軍献茶に台子を用いておらず、
また遠州公は生涯通して一度も台子を用いた茶会を
行わなかったと言われています『小堀遠州茶会記集成』。
8月 3日(月)明日は何の日?
ご機嫌よろしゅうございます。
明日は8月4日、はしの日です。
1975年、割り箸組合が箸を正しく使おう
と提唱し、箸の日が制定されました。
東京、永田町の日枝神社では使用済みの箸に感謝
し、浄火にくべて供養する箸感謝祭が行われています。
中国が発祥といわれるお箸は、
飛鳥時代に日本に伝わったとされています。
正倉院にも当時使用されていた箸が
おさめられています。
さて遠州流茶道の茶事で使用する箸は、
中国の象牙の箸を模して作られた杉箸で
一尺と長いのが特徴です。
また青竹も、焼き物には中節、煮物には天節、
香物は節なしと使い分け、お客様に箸を替えて
いることが伝わります。
また料理を用意する側も、わかりやすく
間違えにくいという利点があります。
7月 31日(金) 遠州公所縁の地を巡って
「伏見奉行屋敷」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伏見奉行屋敷についてご紹介します。
元和九年(1623)十二月
遠州公は伏見奉行に任命されます。
以後六十九歳で亡くなるまでの二十三年の間
この職を勤めることになります。
この元和九年の七月には二十歳の家光が
三代将軍となりました。
伏見奉行となった遠州公はそれまでの
奉行屋敷が手狭で不便な場所であったため、
豊後橋詰に新しく屋敷をつくります。
この新しい奉行屋敷は、
奉行所としての機能と、奉行の居宅としての
機能を併せ持った建物でした。
また他の奉行所と異なり、特徴的なのは
数寄屋・鎖の間・小書院・小座敷など。
茶の湯で使用する目的で配された部屋が
多く配され、茶の湯が単なる趣味的なものではなく
伏見奉行としての役職に生かされ、政務と茶の湯が
深く交わってていたことが読み取れます。
この庭園は伏見城の礎石などを利用して造られた
もので、上洛した三代将軍 徳川家光を迎えたとき、
この立派な庭園に感心されたといわれています。
この庭園についてはまた来週紹介します。
7月29日(水) 遠州流茶道の点法
「茶巾について」
ご機嫌よろしゅうございます。
普段あまり注目されることのない水屋道具の
一つに茶巾がありますが、
しかし、点法中茶碗を清める道具としては
なくてはならない存在でもあります。
利休も、ある人に道具を見たてて買って欲しいと
金一両を渡されますが、そのお金で残らず
白布を買って送りました。
清潔な茶巾さえあれば茶の湯は出来る
それこそが茶の湯の極意というわけです。
さて遠州流茶道で用いる茶巾は
古くは近江の照布と言われる麻を使用し
現代では保田織とよばれるものを使います。
目が荒くコシがあり、水切りが良いのが特徴です。
保多織は香川県の代表的な織物で
1689(元禄2)年高松藩主・松平頼重公が産業開発と
幕府への貢献のため、京都の北川伊兵衛を
招いて新しい織を開発します。
松平家は一般の使用を禁じ、製法は一子相伝の秘法と
させ保護、幕府への献上品として使われたことから、
江戸時代は上級武士にしか着用が許されませんでした。
水切れがよく、いつまでも丈夫なことから
「多年を保つ」という意味で「保多」という
名がつけられたといいます。
この奈良の「保田織」と高松の「保多織」、
たの字が異なるのですが、織り方は高松の保多織と
同じ手法で、本家の多の字を使うことを避け
奈良では多を田と当て字をしたのではないかと
思われます。もしこの違いについて詳しくご存知の方が
いらっしゃいましたら是非、教えていただければ
と思います。
この茶巾は両端のかがりが一方向のため、両面が表面として
使えます。
点法の際は両手で広げた際、
茶巾の上のかがり部分が自分の方に向くように
持って捌きます
7月 27日 (月)清泉流石上
(せいせんせきじょうをながるる)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は字を見るだけで爽やかな
気持ちになるような一行をご紹介します。
清泉石上流
清々しい水が石の上を流れ、
日の光を浴びてキラキラと反射する
そんな風景が目に浮かぶようです。
前にはこんな詩がついています。
名月松間照
清泉石上流
明るい月の光が、松の合間からキラキラと光っている。
この詩は唐の王維作。
一点の曇りのない爽やかな悟りの境地を
山中の風景に託しているという
解釈もあります。
映画「父は家元」でも紹介されました
青山のオラクルのお茶室、聚想庵の大床にかかっている
宗実お家元筆の掛け物です
7月 24日(金)遠州公所縁の地を巡って
「二条城二の丸庭園」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二条城二の丸庭園について
ご紹介します。
寛永元年(1624年)遠州公46歳
後水尾天皇の二条城行幸という
幕府にとっての大変な重要行事に際し、
大改修が催されることになり、
その奉行に遠州公が任ぜられることになりました。
池を中心とした庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、
主として大広間から鑑賞されるものでしたが、
庭園の南に行幸御殿が設けられることになり、
遠州は大広間・書院・行幸所の
三方向から眺めて楽しむことのできる庭園
をつくります。
池に浮かぶ蓬莱島・亀島・鶴島の三島の配置もよくできており
三方向から見られることをよく計算されています。
アメリカの日本庭園専門雑誌
『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』
という雑誌では、毎年日本庭園のランキングを発表しています。
知名度ではなく、純粋にその美と質によって
評価しており、日本人独特の先入観が入りません。
この雑誌の中で二の丸庭園は11位に選ばれています。
ちなみに遠州公所縁の「頼久寺」は16位「桂離宮」は2位
にランクインしています。
7月 22日(水)遠州流茶道の点法
「 大板(おおいた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は大板についてご紹介します。
大板は台子の地板を半裁した寸法で
一尺四寸四方(約42センチ)の板です。
小板ではなく、棚物と同様と考え、
柄杓蓋置を飾ります。
暑さの厳しいこの季節は
風炉と釜が一体になっている切合せ(きりあわせ)が、
火気を外にださないため
よく用いられます。
特に盛夏の時期にはより小ぶりな切合が
用いられることがあり、
この切合せを大板にのせて使用します。
先述のとおり、柄杓蓋置は大板に飾り
水指は細めのものを使用します。
また風炉の位置が通常より体に近いため
柄杓の柄も風炉用より短い合柄杓(あいびしゃく)
を使用します。