10月 21日(水)遠州流茶道の点法

2015-10-21 UP

10月 21日(水)遠州流茶道の点法
「中興名物(ちゅうこうめいぶつ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週に引き続き今日は盆点の中興名物について
お話しします。

中興名物は先週ご紹介しました松平不昧の
『古今名物類聚』に
不昧が大名物以後の名物を選定した
遠州公に由来する名物茶入を鑑別して
中興名物茶入を定めています。

大名物と中興名物の点法での違いは、
盆の扱いに見ることができます。
点法のはじめや、拝見に出す際に
お盆の表・裏の清め方が異なります。
さらに中興名物では茶入を乗せたまま
盆を扱うことが多くありますが、
大名物では必ず盆から外して扱います。

10月 19日(月)天高く…

2015-10-19 UP

10月 19日(月)天高く…

ご機嫌よろしゅうございます。

秋は食欲の秋、読書の秋と言われるように
気候が穏やかで、なにをするにも
気持ち良く過ごせますね。
そんなお天気がよい日が続く、過ごしやすい
秋の季節に使われる言葉に

天高く馬肥ゆる秋

という言葉があります。
気候が穏やかで食欲も湧いてくる
馬もよく草を食み、大きく成長する…

という意味で使われていることが
多いかもしれません。
緑の広がる草原で馬がのんびりとして過ごす
のどかな風景を思い描けそうですが、
実はこの言葉、中国において
「秋になると馬が育って騎馬民族が
攻め入ってくるから用心する時季であり警戒せよ」
というのが本来の意味なのだそうです。

10月16日 遠州公所縁の地を巡って

2015-10-16 UP

10月16日  遠州公所縁の地を巡って
「加賀と遠州公」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公と加賀の前田家について
ご紹介します。

120万石の大大名であった加賀前田藩ですが、
外様大名であり、監視の厳しい幕府へ反抗の意志なし
との表明として軍事費を極力抑え、財力のほとんどを
文化政策に注ぎました。
三代藩主前田利常は、歴代藩主中傑出した
業績を残した大名です。
その利常の指導役として遠州公が働き、
四代光高に引き継がれ、加賀・金沢に茶の湯を
はじめとする見事な芸術文化が花開きました。
遠州公と前田家では二代藩主利長が遠州公の甥である
小堀重政を、また利常が遠州公の孫にあたる小堀新十郎を
召抱えるなど、茶の湯を通じてできた深い関係がありました。

また熱心に茶の湯指導を仰ぐ利常の書状など
よく残っていますが、他にも庭園についての助言もして
いたようで、遠州公に関わる多くの建物や庭が存在します。
利常は遠州公の一言で大津の別邸で工事中の庭園を取り壊し、
琵琶湖や叡山を借景とした雄大な庭園に造り変え、
遠州公は「これこそ大名のお庭である」とほめたそうです。
また兼六園の一部、金沢城本丸茶室と路地、
兼六園から金沢城二の丸につながる逆サイフォンの技術も、
遠州公の設計といわれています。
そして、隠居した利常は、遠州公に指示を仰ぎ、数奇屋を築き
できあがった書院や数奇屋を「遠州屋敷」と呼んでいました。

金沢の地にも遠州公の綺麗さびの心が根付いていることが
わかります。

10月 14日 (水)遠州流茶道の点法

2015-10-14 UP

10月 14日 (水)遠州流茶道の点法
「大名物(おおめいぶつ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は大名物の茶入についてお話しします。
遠州流茶道では盆点法の中でも
大名物・中興名物の扱いの二種類があります。

大名物とは
「茶道具の位付の中で御物を含む
最高位の道具の称。
大名物の呼称が一般化するのは十八世紀末で、
それを定着させたのは松平不昧の『古今名物類聚』
である。
…遠州以後の名物である中興名物とそれ以前の
大名物の二種に名物を規定した。…
(角川茶道大辞典)」
とされていますが、識者によって見解は異なり、
範囲は明確ではありません。
しかい、遠州流点法に「大名物扱い」と「中興名物の扱い」がありますので、
その違いは遠州公の選定を一つの境にしていると考えられます。

大名物の茶入を使用する点法では
その扱いも通常の点法とは別格に扱われます。

10月 12日(月)秋の七草

2015-10-12 UP

10月 12日(月)

秋の七草

ご機嫌よろしゅうございます。 春に七草があるように 秋にも秋の七草があります。 この秋の七草を山上憶良が詠んだ歌が 万葉集に載っています。 秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり) かき数ふれば  七種(ななくさ)の花   萩の花 尾花葛花 撫子の花   女郎花 また藤袴   朝貌(あさがお)の花 春は食べて楽しむ七草、 秋は観て楽しむ七草とも言われますが、 昔から  萩は垣根に使われ 尾花(すすき)は屋根に葺く材料に、 葛からはでんぷんをとり 撫子は種にある利尿作用が 女郎花(おみなえし)と桔梗は咳の薬に 藤袴は乾燥させて寝床にいれ、 香りを楽しみました。 先人の知恵のつまった七草です。

10月 9日 (金)遠州公所縁の地を巡って

2015-10-9 UP

10月 9日 (金)遠州公所縁の地を巡って
「品川林中茶屋」

ご機嫌よろしゅうございます。

寛永十五年(1638)、家光が大徳寺百五十三世
澤庵宗彭のために東海寺を建立します。
この建物のうち、客殿と数寄屋、そして庭園の造営
を遠州公が手がけました。
その庭は後世江戸第一の庭と絶賛されるものとなりました。

この東海寺には遠州公にまつわるもうひとつの
エピソードがあります。
寛永二十年(1643)三月十四日、将軍家光が
東海寺に御成になりました。
池には丸い島が三つ浮かび、その内の一つの島には
丸石が置かれ、そこから小さい松が一尺ほど
出ていました。
この石に名をつけよとの家光の命。
澤庵が「天の羽衣」「無心草」とお答えしても
将軍の意にかないません。
そこで遠州公が「万年石」と一声あげました。
品川御殿にある杉の大木を、家光が「千年杉」と
名付けていたことを踏まえての名でした。
将軍は大変お喜びになり、自分の着ていた羽織を
遠州公に与えたといわれています。

遠州公が手がけた建物や庭
現在ではその姿を目にすることはできませんが、
遠州公が寺に寄贈した天目茶碗(9月16日にご紹介)
が今も寺宝として伝えられています。

10月 7日(水) 遠州流茶道の点法

2015-10-7 UP

10月 7日(水) 遠州流茶道の点法
「盆点について」

ご機嫌よろしゅうございます。

今週から盆点の点法と茶入ついてご紹介します。

遠州流茶道の盆点は、
丸壺・文琳・茄子・鶴首などの茶入を用い、
それぞれに大名物と中興名物の扱いの二種類があります。
また方盆と丸盆の扱いにより、清め方の違いがあります。

名物で盆が添っていても肩衝茶入は盆にのせて
の点法はしません。
肩衝は盆に載せると不安定なため
初入、台目棚などに飾り付けの際は仕覆に入れたまま盆にのせ、
点法の際には盆を外して扱うか、両名物の点法で、
予め茶碗に仕込んで点法します。
この点法については以前ご紹介しました。
基本的に名物の茶入は常に両手扱いです。
また茶道点(さどうだて)といわれる、
左手を、茶入を持った右手に添える扱いをします。

10月 5日(月) 藤堂高虎(とうどうたかとら)

2015-10-5 UP

10月 5日(月) 藤堂高虎(とうどうたかとら)

ご機嫌よろしゅうございます。

10月 5日 は、藤堂高虎の命日です。

遠州公の義理の父であることは皆様よくご存知の
ことと思います。
高虎は遠州公の才をいち早く見抜き、
養女を迎えて遠州公に嫁がせ、縁戚関係を結びました。
遠州公の父・新介と同じく、浅井氏の没後は、
豊臣秀長に従い、その才覚から後に家康にも
重用されました。
その信頼ぶりは家康の臨終の際に呼ばれ、
家康亡き後、万が一のことがあれば、戦陣の一番手を
高虎に任せよ。と遺言したことからもわかります。

また家康の念願であった、孫の和子入内も、
高虎の働きによって公武の話し合いが進められ
ついに実現しました。
この高虎が実現させた入内のために、
遠州公も後に作事奉行として
大いに活躍することとなるわけです。

寛永七年(1630)十月五日、七十五歳で亡くなります。

10月2日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-10-2 UP

10月2日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伊庭(いば)茶屋屋敷」

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公は水口城の他、現在の滋賀県東近江市伊庭町に
伊庭茶屋を作っています。

関ヶ原の戦いの後、慶長8年(1603)江戸幕府が開かれます。
依然として豊臣方の力が残存していたため、
将軍が江戸から上洛する際には
堅固な御茶屋風の宿泊所・護衛上の濠や土塁をめぐらした
城郭風の宿館が必要でした。
遠州公は命を受け、家光上洛の宿として
「伊庭御殿」を造営しました。
近年この地は現在「御殿地」と呼ばれていますが、
近くには民家もなく鬱蒼とした森になっていて
滅多に人が近づかない場所でした。
しかし、調査が進み「伊庭御茶屋御指図」(中井家所蔵)
と現況地形の一致から遠州公作と証明されました。

伊庭御殿は台所施設が広く取られている等の特徴があり、
将軍の休憩施設としての特徴を備えていました。
また他の茶屋のつくりは方形を基調としていますが
伊庭御殿は横に細長い不定形である点が特徴的です。

家光より後は、将軍上洛の必要がなくなったため、
御茶屋御殿は廃止されていきます。

現在、遺構としては、石垣の一部と井戸跡を
見ることができます。

9月 30日 (水) 遠州流茶道の点法

2015-9-30 UP

9 30 (水) 遠州流茶道の点法
「相伴(しょうばん)」

ご機嫌よろしゅうございます。

お茶を頂く際の挨拶で、正客以外の客は
「お相伴させていただきます。」
と挨拶します。
「一緒に頂戴します。」といった意味合いで
使われますが、このお相伴という言葉はもともと
禅僧の常の規則をまとめた、現存最古の清規である
「禅苑清規」から出た言葉で、主の伴をするという
意味からでており、茶の湯では正客以外のものを、
相伴といいます。

また、貴人に相伴の人が同席した場合、
貴人に天目で点てた後、普通の茶碗を持ち出し
相伴の人に飲み回しで点てます。

また、汲み切りといって、湯を汲む時に
過不足ない適量を汲んで茶碗に入れ
釜に湯を戻さないようにします。
これは再び貴人から茶の所望があった場合の為に
相伴用の湯を釜に戻すことは失礼に当たるという
配慮からです。