3月 25日(水) 遠州流茶道の点法
「釣釜」(つりがま)
ご機嫌よろしゅうございます。
4月も近づき炉辺も暖かくなってきました。
炉の季節も終わりに近づくと
釣釜をかけてお茶を点てます。
昨年のメルマガでも触れましたが、
小間では台目切りの席の場合、
台目柱と直線が重なってしまうため、行いません。
釣釜は広間にかけて使用します。
小間では炉中の灰を深く掘り、火をお客様から少し
遠ざけ、釜の高さを調節しながらお点法を
行います。釜は炉の時より少し小ぶりなもの、
筒形のものをかけます。
現在では春の時期に掛けられる釣り釜ですが
本来は季節を問わず掛けられていたものです。
遠州公は茶会の際、小間から書院へ移る際に
鎖の間といって、釜を鎖でかけた席を通る設えを
用意しました。(書院と小間を繋ぐ鎖の意味
とする説もあります。)
点法では、お点法の前に釜の高さを上げ、
お点法の終わりにはまた高さを下げて
湯を沸かしておくことが特徴です。
3月 23日 (月) 中興名物「忠度(ただのり)」
行き暮れて木の下陰を宿とせば
花や今宵の主ならまし
ご機嫌よろしゅうございます。
中興名物の茶入に薩摩肩衝 「忠度」
という銘のものがあります。
「忠度」は世阿弥が新作の手本として挙げた
能の一つです。
平清盛の末弟であった忠度
ある日須磨の山里で旅の僧がその木に手向けをする
老人と出会います。一夜の宿を乞う僧に、
老人はこの花の下ほどの宿があろうかと勧めます。
この桜の木は、一の谷の合戦で討ち死にした忠度を
弔うために植えられた木でした。
そしてその旅の僧の夢に「忠度」が現れ
「行き暮れて」の歌を、
「千載集」に詠人不知(よみびとしらず)
とされた心残りを語るのでした。
風流にして剛勇であった忠度のいくさ語りと
須磨の浦に花を降らせる若木の桜が美的に
調和した名曲です。
この忠度が薩摩守だったことから
細川三斎が命銘したとされていて、箱書も三斎の筆
と言われています。
3月 20日 (金)遠州公の異国好み
公開討論会テーマにそって
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は 遠州公ゆかりの地、伏見からはなれ、
明日21日に行われる公開討論会のテーマ
遠州公の異国好みにちなみ、遠州公と
関連のある異国の地についてご紹介します。
遠州公はその綺麗さびの美意識から、海外のものを
茶の湯に巧みに取り入れていきました。
オランダ
長崎奉行を通じてオランダに茶碗を注文したり、
大西浄久にオランダの文字を配した茶釜を作らせています。
また葡萄酒を会席の前にお出しするなどしていました。
中国
中国には祥瑞と呼ばれる染付の茶陶を、
景徳鎮に注文しています。その種類は香合・茶碗・水指・向付・会席鉢など多岐に
わたっています。
韓国
切型とよばれるお手本をもとに御本
茶碗を焼かせています。
その代表は御本立鶴茶碗です。
東南アジア
南蛮・嶋物など、様々な茶道具を見立てています。
また間道の裂にも遠州公が深く関わっています。
舶来の織物のなかに縞模様があり、それを仕覆に
したのも遠州公です。
間道は当時あまり知られていなかったもので
大変斬新なものでした。
遠州公が関わった名物の茶入には、
ほとんどこの間道が添えられています。
またペルシャやヨーロッパの裂を道具の箱の風呂敷に用いるなど
細かいところまで心配りしていました。
遠州公の取り上げた海外の道具は枚挙に尽きません。
異国情緒漂う物を巧みに茶の湯に取り入れていたこと
がわかります。
3月 18日(水)遠州流茶道の点法
各服点(かくふくだて)
ご機嫌よろしゅうございます。
通常の濃茶のお点法が一通り出来るように
なると「各服」というお点法を習います。
これは、文字通り各々に一碗ずつお茶をお点てする
お点法です。
現在でも昔の形式を伝えて点てられている
建仁寺の四頭茶礼や、文献から見て、
もともとは一人一碗の各服点であったようですが
侘び茶の発達と共に、一碗を回し飲みする喫茶法が
普及していったと考えられています。
「茶湯古事談」には、各服では時間がかかりすぎるため
利休が回し飲みを始めたと書かれています。
戦国の武将・松永久秀の茶会にも、既に回し飲みをした
記録が残っています。
原則飲み回しをしない流儀もあり、
遠州流茶道でも「各服」のお点法としてお稽古します。
使用する茶碗は違う種類でも、点法に使用することができます。
3月 16日 朧月(おぼろづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
うららかな春の季節。
夜にはぼんやり霞んだ夜空に月がでると
なんとも言えない柔らかい月明かりに
思わず見入ってしまいます。
この時期の月を朧月と呼びます。
菜の花畠に入日薄れ
見わたす山の端(は)霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
里わの火影(ほかげ)も森の色も
田中の小路をたどる人も
蛙(かはづ)のなくねもかねの音も
さながら霞める朧月夜
高野辰之作詞のこの歌は、幼い頃習った方も
多いかとおもいます。
日本気象協会では一般の応募から意見を募り、
有識者が「季節のことば36選」を選定
し、3月の言葉として、この朧月が選ばれています。
朧(おぼろ)という日本ならではの繊細な言葉の響き
そして、その言葉にピタッとはまる美しい情景です。
3月 13日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伏見での遠州公」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は伏見・六地蔵のご紹介をしました。
この六地蔵で、遠州公は洞水門を作って、
師・古田織部を驚かし、
19歳で藤堂高虎の養女と結婚。
慶長四年(1599)21歳の年には
初めての茶会を催します。
遠州公にとって、茶人として、また としての
スタートとなる地でした。
21歳の茶会では師・織部の茶の湯に倣った道具組で
奈良の商人を客として行われました。
また秀吉の死後、織部や金森出雲、堺衆ともに
吉野へ花見に。「利休亡魂」の額をかかげて野点を行い
織部の鼓で遠州公が曲舞を舞った記録があります。
また22歳の時に関ヶ原の戦いが起こり、
父、正次は家康に呼応し出陣し、戦功により
一万四千石に加増、備中国奉行となります。
その翌年23歳で二度目の茶会を行います。
初会には用いなかった禅語の掛物ですが、
二回目の茶会には「石渓心月(しっけいしんげつ)」
を掛けており、遠州公の茶の湯上達の度合いが
推察されます。
これ以降、遠州公が行った茶会の記録は
しばらくの間見当たらず、寛永まで時を待つことになります。
3月 11日 遠州流茶道の点法
透木釜(すきぎがま)
ご機嫌よろしゅうございます。
春にかけられる釜の一つに
「透木釜」があります。
平たい釜の成りをしていて、釜の羽根が
炉壇にかかるように据えるため、
「透木」と呼ばれるものを炉壇の両辺に置き
その上に釜をかけます。
そのため五徳は据えず、
炉中の火気を室内に伝わりにくくします。
遠州好みの透木は朴(ほお)か黒柿で作られ
長さ約10,8センチ、幅・厚みは約1,5センチで
上部を蒲鉾型に削ったものを使用します。
もともと切り合わせの風炉釜が茶の湯の
起源で、奈良風炉(土風炉)と称して
土製で作られた最初が透木風炉だったといわれています。
お点法は通常と違いはありませんが
炭点法の際には透き木の扱いに注意が必要です。
3月 9日 (月)菜の花
菜の花や
月は東に 日は西に
与謝蕪村
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は春を代表する花
「菜の花」をご紹介します。
家元もお雛様の頃に、稽古場などで
水盤に桃と菜の花を入れられることもあり
とても可愛らしい取り合わせです。
その黄色い花は目で見て、
そして味わって春を感じることの
できる植物です。
「菜の花」という名前は「野菜(菜っ葉)の花」
という意味からついた名前だそうです。
おひたしや和え物(あえもの)として食べられます。
弥生時代に中国から渡来してきたといわれ、
当初は種を絞って「菜種油」として利用するために
栽培されていたようです。
観賞・菜種油・食用等用途によって品種が分かれ、
食用としての菜の花が普及したのは明治時代以降と
いわれています。
3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って
「 伏見六地蔵の地」
ご機嫌よろしゅうございます。
文禄4年 遠州公が十七歳の時に、君主・秀保が
急死、父、新介は秀吉の直参となり、
伏見六地蔵に居宅を移します。
現在の伏見の六地蔵尊の南側百メートル
あたりに屋敷があったと思われます。
この屋敷には寛永二年(1625)遠州公四十七歳
に伏見奉行屋敷が出来るまで居宅として
使われていたようです。
さて、京都では六地蔵巡りという行事があります。
この伏見の地蔵尊をはじめ、計六ヶ所の地蔵を巡礼する
というものです。
慶雲2年(705)藤原鎌足の子、
定慧によって創建された大善寺、
その地蔵堂に安置する地蔵菩薩立像は、平安時代の初め、
小野篁(おののたかむら)が、一度息絶えて冥土へ行き、
そこで地蔵尊が苦しむ人々を救う姿を見ます。
その後蘇った後に、一木から刻んで六体の地蔵を掘り
祀ります。
当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていため
「六地蔵」の名がつきました。
その後、平清盛が都に通じる主要街道の入口に
残り五体を分祀し、これらの地蔵を巡拝する
六地蔵巡りの風習が生れました。
3月5日 (水) 遠州流茶道の点法
硯屏(けんびょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
書院飾りや、違棚などに飾られる硯や筆などの
文房具。これらは室町中期頃の書院式茶の時代から
見られる飾りですが、その中に硯屏(けんびょう)
とよばれる文房具があります。
これは硯の前に立てて、埃や風などが硯に入らないよう
にする小さな衝立のようなものです。
侘び茶の大成により、書院式茶は一時すたれ、
文房具飾りなども姿が見えなくなっていましたが、
遠州公がこの書院茶を復興。書院飾りも再び用いる
ようになったのです。
遠州流茶道では遠州公が考案し、この硯屏を
取り入れたお点法があります。
初入りに文房具飾りをし、濃茶の時にこの硯屏を
用いてするお点法です。
茶道法典では、釣釜と共に紹介されているため
この時期のお点法と思っていらっしゃる方
も多いようですが、本来は四畳半切の普通の濃茶で
使用し、炉開きの頃から4月まで季節を問わず行える点法です。