8月 7日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-8-7 UP

8月 7日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伏見奉行屋敷の茶室」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は伏見奉行屋敷に作られた茶室
についてご紹介します。
政務と茶の湯が密接に結びついたものであった
ことは先週ご紹介しました。
その屋敷内の三つの茶室
松翠亭・転合庵・成趣庵
についてお話したいと思います。

「松翠亭」は奉行屋敷の東南隅に位置する数寄屋です。
この平面図が寛永十八年の松屋会記に記されています。
四畳台目で採光に工夫が凝らされていて
窓が九箇所、突き上げ窓三箇所、
計十二箇所の窓がついています。この「松翠亭」は
鎖の間である広間に繋がっていました。
現在静岡金谷のお茶の郷博物館に復元されています。

別棟として立つ茶屋として「転合庵」と「成趣庵」が
後に建てられました。
「転合庵」は焼失してしまいましたが、小室屋敷の
茶室と同名で移築したものとも考えられます。
「成趣庵」は転合庵よりさらに奥まったところに
作られ、家臣の勝田八衛が常に茶室に控え、
晩年の遠州公が屋敷内を散策する際にお茶を点てていました。
この成趣庵の露地には紅梅が植えられており
見頃を迎えると親しい友人を誘っていた
手紙が残っています。

宗家の茶室もこの「成趣庵」と同名で、やはり露地には
見事な紅梅が植えられています。

8月 5日(水)遠州流茶道の点法

2015-8-5 UP

8月 5日(水)遠州流茶道の点法
「台子(だいす)」

ご機嫌よろしゅうございます。

普段の稽古では行わない特別なものに
台子があります。
四本の足を持ち、地板と天板でできた棚です。
今日はこの台子の歴史についてご紹介します。

南浦紹明が入宋し、径山寺の虚堂智愚から法を嗣ぎ、
持ち帰った台子と皆具一式が九州の崇福寺に
伝えられたといわれています。
足利義政の頃に村田珠光が能阿弥らともに
台子の寸法や茶式を定めたとされています。
のちに台子は秘伝化し、皆伝の証となりました。

将軍の指南役であった織部・遠州・石州は
いずれも将軍献茶に台子を用いておらず、
また遠州公は生涯通して一度も台子を用いた茶会を
行わなかったと言われています『小堀遠州茶会記集成』。

8月 3日(月)明日は何の日?

2015-8-3 UP

8月 3日(月)明日は何の日?

ご機嫌よろしゅうございます。
明日は8月4日、はしの日です。

1975年、割り箸組合が箸を正しく使おう
と提唱し、箸の日が制定されました。
東京、永田町の日枝神社では使用済みの箸に感謝
し、浄火にくべて供養する箸感謝祭が行われています。

中国が発祥といわれるお箸は、
飛鳥時代に日本に伝わったとされています。
正倉院にも当時使用されていた箸が
おさめられています。

さて遠州流茶道の茶事で使用する箸は、
中国の象牙の箸を模して作られた杉箸で
一尺と長いのが特徴です。

また青竹も、焼き物には中節、煮物には天節、
香物は節なしと使い分け、お客様に箸を替えて
いることが伝わります。
また料理を用意する側も、わかりやすく
間違えにくいという利点があります。