3月 6日 (金)遠州公所縁の地を 巡って
「 伏見六地蔵の地」
ご機嫌よろしゅうございます。
文禄4年 遠州公が十七歳の時に、君主・秀保が
急死、父、新介は秀吉の直参となり、
伏見六地蔵に居宅を移します。
現在の伏見の六地蔵尊の南側百メートル
あたりに屋敷があったと思われます。
この屋敷には寛永二年(1625)遠州公四十七歳
に伏見奉行屋敷が出来るまで居宅として
使われていたようです。
さて、京都では六地蔵巡りという行事があります。
この伏見の地蔵尊をはじめ、計六ヶ所の地蔵を巡礼する
というものです。
慶雲2年(705)藤原鎌足の子、
定慧によって創建された大善寺、
その地蔵堂に安置する地蔵菩薩立像は、平安時代の初め、
小野篁(おののたかむら)が、一度息絶えて冥土へ行き、
そこで地蔵尊が苦しむ人々を救う姿を見ます。
その後蘇った後に、一木から刻んで六体の地蔵を掘り
祀ります。
当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていため
「六地蔵」の名がつきました。
その後、平清盛が都に通じる主要街道の入口に
残り五体を分祀し、これらの地蔵を巡拝する
六地蔵巡りの風習が生れました。
3月5日 (水) 遠州流茶道の点法
硯屏(けんびょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
書院飾りや、違棚などに飾られる硯や筆などの
文房具。これらは室町中期頃の書院式茶の時代から
見られる飾りですが、その中に硯屏(けんびょう)
とよばれる文房具があります。
これは硯の前に立てて、埃や風などが硯に入らないよう
にする小さな衝立のようなものです。
侘び茶の大成により、書院式茶は一時すたれ、
文房具飾りなども姿が見えなくなっていましたが、
遠州公がこの書院茶を復興。書院飾りも再び用いる
ようになったのです。
遠州流茶道では遠州公が考案し、この硯屏を
取り入れたお点法があります。
初入りに文房具飾りをし、濃茶の時にこの硯屏を
用いてするお点法です。
茶道法典では、釣釜と共に紹介されているため
この時期のお点法と思っていらっしゃる方
も多いようですが、本来は四畳半切の普通の濃茶で
使用し、炉開きの頃から4月まで季節を問わず行える点法です。
3月2日 (月)明日は三月三日
ご機嫌よろしゅうございます。
明日は三月三日雛祭りですね。
中国の習俗が伝わり、少女の健やかな健康を
祝う行事へと変化した雛祭りですが、
陰暦の三月三日には「踏青」という行事も
行われていました。
これも中国から渡ってきた行事で、
野原に出かけ、青草を踏んで遊ぶという
今で言えばピクニックのような行事で
陰暦初春から中春にあたる
正月七日・二月二日・三月三日に行われました。
江月和尚が、遠州公の次男である権十郎篷雪の
道中傘と杖の絵に賛をした軸が残っています。
その讃に
上巳佳辰在武陵(じょうみのかしんぶりょうにあり)
芒蛙徒破本無能(ぼうあいただにやぶれてもとむのう)
今朝知禰踏青節(こんちょういよいよとうせいせつをしる)
埜草深中且過僧(やそうしんちゅうかつかそう)
三月三日客武州野 求愚作者也
とあります。
ちょうど三月三日に江戸にいた江月和尚が
踏青節の故事にちなんで友人と青草を踏み
遊宴されたのでしょう。