10月 20日 恵比寿講(えびすこう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は10月20日。
「恵比寿講」と呼ばれる行事が行われます。
ふっくらとしたお顔に満面の笑み
七福神の一人に数えられる恵比寿様
皆さんもよく耳にするお名前ではないかと
おもいます。
恵比寿様は、神無月で日本国中の神様が出雲へと
出払ってしまった留守を守るとされ
その恵比寿様に商売繁盛を願う行事です。
鯛を抱えて釣竿を持った姿の恵比寿様は
もともと海の向こうからやってきた漁業の神様。
次第に市場の神、商業の神として崇められ
商家ではこの日に恵比寿様の掛け軸をかけ
尾頭つきの鯛や現金などを供えるのだとか。
さて日本橋宝田恵比寿神社では、江戸時代から始まった
「べったら市」が有名です。
べったら漬けは、徳川慶喜公も
好んでよく食べたそうで、東京の名物にもなりました。
10月 19日 遠州公の国焼指導
ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりました。
軍師官兵衛に関連して
今日は遠州公の国焼き指導のお話を。
秀吉が行った朝鮮の役で茶の湯を愛好していたため、、多くの武将が
朝鮮に上陸し帰国の際に、現地の陶工を日本につれ、それぞれ自分の領地で釜を作り、作陶を始めます。
これが御庭焼と称されるものですが、
なかなか茶の湯の心にかなったものが出来ません。
そこで注目されたのが遠州公です。
当時既に茶の湯の第一人者として活躍していた
遠州公の伏見奉行屋敷に、自国の領地で御庭焼と
して始めた陶窯で働くナンバーワン陶工を
派遣し指導を受けました。
遠州公は指導の要請があると、
まず「切形」と呼ばれる型紙を送ります。
陶工はその型紙通りに焼いたものを持参し
京都伏見まで向かうのでした。
そういった遠州公の好みや指導を受けた窯を
後に遠州七窯などと称すようになります。
遠州七窯についてはまた後日。
10月 18日 遠州流全国大会
ご機嫌よろしゅうございます。
今日18日から20日まで
広島・呉・広の三支部担当による
遠州流全国大会が広島にて開催されます。
この大会で、四十八回目を迎える全国大会
記念すべき第一回は、昭和40年6月
青森支部で開催された東北大会です。
その後万国博覧会などの理由で開催されない年が
2年ほどあった年を除き、2014年現在に至るまで
毎年、各地の支部でこの全国大会は行われてきました。
今回の大会の観光は安芸の宮島を参拝する予定です。
お家元とご一緒に名所を移動し
お近くでお話しできる貴重な機会で、
お茶会とはまたちがった楽しさがあります。
10月 17日 若き遠州公の話
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公が茶の湯を始めたころの
お話を。
十五歳で大徳寺春屋宗園禅師に参行し、
修行を積みながら
古田織部のもとで茶の湯を本格的に学んで行きます。
遠州公が十八歳の時に
「洞水門(どうすいもん)」を考案しました。
これは現在水琴窟と呼ばれています。
茶室に入る前には手と口を
蹲(つくばい)で清めます。
当時の蹲は水はけが悪く、
何度か使用すると、周りに水が溜まってしまい
大変使いにくいものでした。
これを若干十八歳の遠州公が
この蹲の地下に瓶を仕込み、
水滴が瓶の中に落ちる時に、ポーンという
美しい反響音がする仕組みを考案し
水はけの問題も解消しました。
遠州公の茶の湯の師であった
古田織部も遠州公の才に大変驚いたと
言われています。
10月 16日 四世 宗瑞公
今日は小堀家四世の宗瑞公ご命日です。
貞享二年(1685)に小堀家の領主である
近江国小室で生まれました。
元禄七年(1694)正月二日、父である三世
宗実公の他界により、10歳の若さで跡目を継ぎ、
遺領を継ぐこととなります。
その後の
元禄十三年(1700)16歳となって元服し、
翌年結婚。江戸城御詰衆をつとめます。
宝永元年(1704)には将軍の御小姓として居候し
将軍の御前で「論語」の講釈をするなど、元服以前
より大変利発でした。
宝永六年、25歳で従五位下遠江守・諸大夫
に任じられます。
茶法は、父・三世宗実公が亡くなってからは
小堀家茶頭の桜山一有や大叔父小堀土佐守政武
から学びます。
正徳三年(1713)十月十六日
29歳の若さで江戸で亡くなります。
小堀家歴代の中で最も若くお亡くなりになった方です。
10月 15日 神嘗祭(かんなめさい)
ご機嫌よろしゅうございます。
皇室の祖先神である天照大神を祀っている
三重県の伊勢神宮では、今日から17日まで
「神嘗祭」が行われます。
これは「神宮神田」と呼ばれる場所で作られた新米と
新酒を献上し、今年最初の収穫を真っ先に
召し上がっていただくという神事です。
お米は私たち日本人にとって命の源であり、
そのお米が豊作になることを神様にお祈りします。
この「神嘗祭」が神宮の一年で最も重要な祭祀に当たり
この祭りの際には神宮で使用する祭具や装束など
新しいものに一新されるため、
「神宮の正月」とも呼ばれています。
10月 13日 顕彰会講演会
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は飯田橋のしごとセンターにて
「遠州の憧れた定家の世界」
をテーマに講演会が行われます。
遠州公と定家については、既にこの
メールマガジンで何度か触れてまいりましたが
定家様の第一人者であった遠州公と定家との
関係を、國學院大学 文学部教授の
豊島 秀範 氏 が、詳しくお話ししてくださいます。
月刊「遠州」にて「狭衣物語」を連載されていた
先生で、ご専門は中古、中世文学で特に和歌や日記
を研究されてます。
明日はその講演会の模様をお伝えする予定です。
講演会参加ご希望の方は、
顕彰会までご連絡ください。
10月 12日 博多文琳(はかたぶんりん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
官兵衛の時代のお話を。
黒田家にとって重要な茶入に
「博多文琳」があります。
もともと博多の豪商・神屋家に伝わる重宝で、
何度も求め続けられた秀吉にも、
黒田如水(官兵衛)、長政にも
ついに召し上げられませんでした。
しかし時代が移り、神屋宗堪の代になった寛永二年
(1624)2代藩主だった黒田忠之に献上。
金二千両と五百石の土地を下賜されました。
(これを固辞したという説もあります。)
この「博多文琳」はその後黒田家当主の代替わりのとき
しか見られないもので、勝手に見せると黒田家に
災いが起こるとされていました。
近代の数寄者であった高橋箒庵が「大正名器鑑」
を編集したときも拝見を許されなかったそうです。
10月11日遠州公の愛した茶入
「吹上文琳(ふきあげぶんりん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「吹上文琳」を
ご紹介します。
遠州公がこの茶入の美しい景色にちなんで
秋風の吹上に立てる白菊は
花かあらぬか波のよするか 古今集
の和歌から命銘したとされています。
蓋箱書付や、仕覆箱書付、外箱はともに
松平不昧公が書付しています。
これは遠州公所持の後、姫路酒井宗雅公に伝わり、
寛政元年(1789)四月二十八日、参勤交代の途中に
駿河蒲原という場所で休んでいたおり、
不昧公と出会い、この茶入を贈与したいきさつが
あります。「雲州蔵帳」にも所載されており、
現在は五島美術館に収蔵されています。