12月11日 沢庵和尚
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はたくあん漬けで知られる
沢庵 宗彭(たくあん そうほう)和尚を
ご紹介します。
天正元年(1573)12月1日に生まれ、
但馬国出石(いずし)にうまれます。
現在の兵庫県豊岡市あたりです。
徳川幕府の朝廷への圧力が増す中
起きた紫衣事件で出羽国に流罪となり、
その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開きました。
書画・詩文に通じ、茶の湯にも親しみ
徳川家光をはじめ、多くの大名や貴族
からの帰依を受けます。
遠州公も、師である春屋宗園との縁から
沢庵和尚とも深い交流を持ち、
茶禅一味の追求をしていきます。
正保2年(1646)2月11日
に亡くなられます。
12月 10日 看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は師走に入るとよく掛けられる
禅語をご紹介します。
看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
臘月(ろうげつ)は、十二月の別名です。
看々(みよみよ)とは、良く見なさいという
ような意味。
月日の流れはあっという間
もう十二月も終わってしまいますよ。
よくよく一日一日を大切にしなさい。
また「臘月」は、一年の終わりの12月を指すと
同時に、私たちの人生や命という意味も暗示しています。
十二月があっという間に終わるのと同じように、
人生もあっという間に終わってしまいますよ、
ぼんやり生きず、自分の命をしっかり見つめ直しなさい。
「また今度やればいいや」
普段、ついつい面倒なことを後回しにしがちですが
己の人生と向き合い、
看々臘月尽の心を忘れずに過ごしたいものです。
12月 9日 事始め(ことはじめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は、昨日少し触れました「事始め」について
ご紹介します。
師走に入って、一年を振り返り、そして
新年を迎える支度を始める時期
煤払いや、松飾り、餅つきなどの正月準備が
いよいよはじまります。
これを「事始め」の日といい、
関東ではコトノカミの祭祀を行う八日
に始まるといわれ、
江戸時代には陰陽道の影響から、
陽数(縁起の良い数)である十三から、
十二月十三日が江戸城の「御煤納め」と定められ、
この日が「正月事始め」とされるようになりました。
関西でも十三日が「婚礼日以外全て吉」
といわれる「鬼宿日」であることから、
十三日が事始めという地域も多いようです。
12月 8日 臘八(ろうはち)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は12月8日。
お釈迦様が悟りを開いて仏となった日で
臘月(12月の異名)の8日であることから
臘八とよばれます。
35歳のお釈迦様が、12月1日から7日にかけて、
菩提樹の下で瞑想し、明けの明星を
見て悟りを開いたのだそうです。
成道会(どうじょうえ)、臘八会(ろうはちえ)
とよばれる法要が多くの寺院で行われ、
乳粥がふるまわれたりします。
また関東では、
新年への準備をはじめる「事始め」の日
でもあります。
これについてはまた明日ご紹介します。
12月 7日 大雪(だいせつ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は24節気の大雪にあたります。
その文字通り、雪が激しく降り始める頃を
指します。
『暦便覧』には
雪いよいよ降り重ねる折からなれば也
とあります。
この時期東京で雪がつもることはなかなか
ありませんが、寒風が吹きすさび
部屋の温もりが恋しくなります。
この頃、日本海の荒波の下では、
寒鰤(かんぶり)がその体に脂肪を蓄え、
美味しさを増していきます。
12月 6日 遠州公の愛した茶入
「飛鳥川(あすかがわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入「飛鳥川」を
ご紹介します。
昨日といい今日と暮らして飛鳥川
流れて早き月日なりけり 古今和歌集
の歌からつけられた茶入「飛鳥川」。
遠州公が泉州堺において初めてこの茶入を
見たとき、まだ新しい茶入に見え、
それほどの感動はなかったのですが、
後年再び伏見で見たところ
すっかりとてなれて、思いの他
古色を帯びていたところから、
この歌から銘をつけたと言われています。
寛永十五年の十月に江月和尚を招いて使用したの
をはじめとして、およそ六十九回の使用を
確認でき、いかにこの茶入を遠州公が
愛蔵していたかがわかります。
12月5日 越の雪(こしのゆき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお菓子のお話を。
日本三大銘菓とよばれるものには
「長生殿」、「山川」、
(これに鶏卵素麺がはいることも)
そして今日ご紹介する「越の雪」
があります。
まるで雪が降り積もってできたような風合い
サイコロのような形のその白く可愛らしいお菓子は
一つ口に入れると、ほろっと溶けて
優しい甘みが広がります。
安永7年(1778年)に長岡藩9代藩主だった牧野忠精公が
病に伏されていた際、 作られたのが「越の雪」の始まりです。
これにより、忠精公から『越乃雪』の名をいただき、
文化6年(1809年)には藩の贈り物用菓子の御用達
となりました。
藩主や藩士の参勤交代の折、贈答品として大変活躍した
ようです。
12月 4日 遠州椿
ご機嫌よろしゅうございます。
遠州公は茶湯や作事、様々な分野で活躍し、
当時の文化に影響を与えますが、
その影響は着物の文様にも残っています。
着物の文様に「遠州椿」というものがあります。
もともと連歌師が好んで栽培したことや、
江戸時代に入って徳川秀忠や大名が好んで栽培したこと
から、「百椿図」と呼ばれる椿の姿が描かれた本が刊行されたり、
庶民の間でも椿が流行し、様々な品種がつくられ、
より鑑賞的な要素が加わりました。
遠州公も椿を愛好していました。
遠州公が椿を図案化し、
好んで使用した文様であったということから、
その名がついたとされています。
12月 3日 お歳暮(せいぼ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今年も残りあとわずか、ともなると
お世話になった方々へのお歳暮を
お送りしなくてはと準備される方も
多いかと思います。
お歳暮は
もとは新年に来訪する歳神様や祖霊への
お供え物から発生し、のちにその意味合いが
お世話になった方への年末の贈答儀礼として
日本に定着していったといわれています。
新巻鮭が定番であった品物も、
現在では洗剤や菓子等やちょっと珍しい商品まで
様々な選択肢が増えました。
関東では12月に入ってから、
関西では「事始め」以降に贈ることが
多かったようですが、その地域差も
今ではだいぶ縮まっているように感じられます。
一年間を振り返り、贈る相手のことを考えてあれこれと
品物を選ぶのも日本らしい師走の風景です。
12月 2日 細川三斎(ほそかわさんさい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は利休七哲に一人に数えられる
細川三斎についてご紹介します。
永禄6年(1563)に細川幽斎のことして生まれます。
この幽斎は武人としてだけでなく教養も一流の
文化人で、三斎も大いに影響を受けたことでしょう。
若い頃から千利休に師事し、天正19年(1591)、
秀吉の勘気に触れ、堺へ蟄居の身となった利休を、
古田織部と三斎の二人だけは、
淀の船着場で利休を見送ります。
茶入、茶杓、花入など利休遺品の多くが
細川家に伝わり、細川家由来の道具とともに
目白の永青文庫に収蔵されています。
独創的な茶を行った織部に対し、
三斎の茶は利休の茶を踏襲した特徴のない
茶ともいわれますが、
「細川茶湯之書」の中で、
茶湯は師の茶を真似て一心不乱に修練すれば
数寄者とも評価されるのだ
と三斎独自の理論を語っています。