6月10日 時の記念日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月10日、時の記念日です。
671年(天智天皇十年)に、天智天皇が
唐から伝えられたという漏刻(水時計)で、
「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行い
宮中に時がつげられるようになった日が、
太陽暦に直すと6月10日だったという故事によるものです。
この時代に水時計の管理をしていたのは
陰陽寮の漏刻博士で、二人交替で水量を確認し、
鐘や太鼓で時報を鳴らしたそうです。
この記念日は大正九年(1920)、生活改善同盟の発意で
時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを
進めることを目的として定められました。
ちなみに時報のサービスは、
1955年(昭和30年)6月10日の
「時の記念日」より開始されました。
6月9日 五月雨(さみだれ)を…
五月雨を集めてはやし最上川
ご機嫌よろしゅうございます。
この俳句は江戸時代の俳人松尾芭蕉の有名な句です。
この句が詠まれたのは、元禄二年(1689年)に
最上川を訪れた時のことです。
この川は日本三大急流の一つにもあげられる
大変大きな河川です
初め船着場の家で行った句会で
「五月雨をあつめてすずし最上川」
と詠みました。
最上川から吹く心地よい風が、暑さを和らげてくれた
その情景を詠んだ句ですが、
その数日後、最上川を船で下ったとき、
「水みなぎつて舟あやうし」といった激しい川の流れ
であったので、「すずし」を「はやし」
とかえたのだそうです。
梅雨の一雫がやがて大河となる
その濁流に危険を感じながらも川舟で下る芭蕉が感じた
大自然の力と美しさが伝わります。
6月8日 宗湛日記
ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので、官兵衛の時代のお話を。
この時代の様子を知る資料として
「宗湛日記」があります。
神屋宗湛 (1551~1635)は、 安土桃山・江戸初期の豪商。
筑前博多で、先祖は石見銀山の開発に携わり、
宗湛は朝鮮・中国・ルソン・シャムと通商して巨利を得ました。
畿内の諸大名や千利休、津田宗及らと親交があり
大徳寺にて出家し、宗湛と号しました。
「宗湛日記」は、宗湛が秀吉時代に活躍したことを
まとめた茶会記等を記録し、
津田宗及の「天王寺屋会記」、今井宗久の「今井宗久茶湯書抜」、
松屋三代に渡る「松屋会記」と並ぶ、四大茶会記ともされますが、
現在では後世に作られたとする説もあります。
家康の時代になってからは、急速にその力を失ってしまいますが、
江戸時代には黒田家の御用商人となり
特に官兵衛、後の如水と宗湛は親交も厚く
黒田家が筑前に入国する際には、
如水はしばらく宗湛の家に滞在していたそうです。
6月7日 川越献茶式
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は埼玉・川越にてお家元の献茶式が行われます。
また6月15日には、恒例となりました「茶あそび彩茶会」にて
妖怪茶会・甲冑をつけての茶会などユニークな茶会も
催されています。
川越は、関東最古の茶の産地です。
平安時代には既にこの地に伝わり
鎌倉時代には明恵上人が河越の地に茶を栽植したとされ、
鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した「異制庭訓往来」
に全国の茶の産地の一つとして「武蔵河越の茶」
と記載されています。
江戸時代初期の川越城主だった酒井忠勝や堀田正盛、松平信綱は
遠州公との交流を通して、川越藩の茶業を活発にしていきます。
それ故川越藩と遠州流の関わりは大変深く、
市内の喜多院や蓮馨寺には遠州流の庭園が残されています。
献茶式にお越しの際は是非足をのばして
ご覧ください。
6月6日 芒種(ぼうしゅ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は24節気の芒種にあたります。
小満から数えて15日目頃になります。
稲や麦のような芒(のぎ)のある穀物穂の出る穀物の
種をまく季節ということから、芒種と言われています。
実際にはもう少し早く種を撒くようです。
芒は、イネ科の植物の花についている針のような突起のことで
禾とも書きます。
天目茶碗には禾目とよばれるものがあり、
茶色や銀色の細かい縦筋が無数に見られます
これを日本では穂先の禾に見立て、
この種の釉薬がかかった天目茶碗を禾目天目と呼んでいます。
6月 5日 今井宗久(いまいそうきゅう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今井宗久の命日です。
今井宗久は近江に生まれ、後に堺で活躍する商人です。
武野紹鴎の娘婿となり、紹鴎が没すると
紹鴎秘蔵の名物茶器(松島茶壷・紹鴎茄子・玉澗筆波の絵)
を譲り受けます。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際には、
松永久秀が九十九髪茄子を献上し、
宗久も紹鴎の遺品である松島茶壷・紹鴎茄子を
献上します。
信長は堺の町衆の懐柔と支配のため宗久を重用し、
茶の湯においても茶堂として活躍しますが、
信長が本能寺の変で倒れてからは
次第に力が衰えていきます。
永正十七年ー文禄二年(1520ー1593)
6月 4日 鮎(あゆ)
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。
11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。
鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。
春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。
塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。
6月3日 水無月(みなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
6月に入ると和菓子屋さんで
三角形の小豆を散らしたお菓子
を目にしたことはありませんか?
これは水無月というお菓子で、
外郎(ういろう)で氷をかたどったものです。
昔、宮中では氷室(ひむろ)といわれる洞窟のような場所に
氷や雪を冬のうちに保管していました。
ここから氷を取り寄せ、氷を口にして、暑気払いをしていましたが
高級品である氷は、とても庶民の口に入りません。
そのため、麦粉を練り、氷片に見立てて食べたのが「水無月」です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、
上の小豆は氷の中にある泡を表し、
また悪魔払いの意味をもつと言われています。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。
京都ではこのお菓子を6月30日の「夏越の祓え」でいただく
のが習慣なのだそうです。
6月2日 菖蒲(あやめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう5月5日 端午の節句です。
5月5日には、邪気を払うとして菖蒲湯や、
宮中の薬玉に菖蒲が用いられました。
しかし、これらは、現在私達が連想する
艶やかな花を咲かせるアヤメ科の菖蒲とは
別の、芋サトイモ科の植物で
両者のうち花の咲く方を「ハナアヤメ」、
サトイモ科の方を「アヤメグサ」といって
区別していました。
邪気払いとして用いるのは、
その葉に特有の香りを持つ「アヤメグサ」の方です。
「ハナアヤメ」のほうも、茶花として用いられることは
昔から少なかったようで茶会記に名を見ることも
あまりありません。
昔から「六日のあやめ、十日の菊」などと言い、
節句(5月5日、9月9日)を過ぎて「役に立たないもの」
の例えなどに挙げられます。
6月1日 水無月(みなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から6月
今年も折り返しとなります。
旧暦でいう6月は梅雨も明け、暑さも厳しくなる時期
です。雨が降らないので「水が無い月」と言われたなど、
水無月という名前の由来には諸説あります。
6月に入ると、着物は単衣(ひとえ)と呼ばれる
裏地のない着物に衣替えします。
遠州流では袱紗の生地が絽に変わります。
こちらもお家元が毎年好まれて作られており、
腰につけるととても涼しげで、
お道具を清める手元まで、季節感を感じさせてくれます。
お茶会などでご覧になった方にもお声をかけていただきます。
綺麗さびの美意識ならではの
細やかな心配りです。