ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月30日 「夏越の祓」という行事が
行われる日です。
旧暦の六月は、夏の終わりの月ということで「夏越の祓」と
呼ばれます。一年の前半が過ぎたところで、
その半年の穢れを祓う行事です。
神社では大きな茅(ちがや)の輪が飾られ、
参詣者がその輪をくぐり、厄除けを祈願します。
この行事は神話に由来しています。
スサノオノミコトが、かつて旅先で宿を与えた一族に対して
茅の輪を渡し、それを身につけた一族の子孫であれば
疫病から逃れられる
と記された「備後国風土記」に由来します。
(一方宿を断った弟の家は滅ぼされてしまいます。)
宿を与えた人物の名は「蘇民将来(そみんしょうらい)」といい、
この名は茅の輪くぐりの時に唱えられたり、
「蘇民将来子孫家門」と書いて家の入り口に貼る
風習が残っています。
宗家の近くでは、東京大神宮でこの茅の輪が飾られますので、
半年の厄を払いに、足を運ばれてはいかがでしょうか?
6月 29日 荒木村重の末裔・岩佐又兵衛
岩佐又兵衛は先週日曜日にご紹介しました
荒木村重の子供です。
又兵衛が生まれた翌年、村重が信長に反旗を翻し、
一族のほとんどが惨殺されてしまいます。
しかし赤ん坊だった又兵衛は落城間際に乳母に救い出され,
幸いにも生き残り、本願寺に預けられたとされています。
その後、岩佐という母方の姓を名乗り、京に住んで絵師となりました。
その才能を買われ、40歳頃から20年ほど
福井藩で絵師として藩主や有力者の御用を務め
その後三代将軍徳川家光の娘・千代姫が
尾張徳川家に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ
江戸に移り住みます。
浮世絵の先駆者として名高い人物です。
6月 28日 遠州青年の日
ご機嫌よろしゅうございます。
慶長十二年(1607)6月28日は遠州公が29歳の時に
参禅の師である円鑑国師(春屋宗園)
の頂相(ちんぞう)に賛をいただいた日です。
頂相は師または高僧の肖像画を描いたもののことです。
禅宗においては非常に重要視されていました。
この頂相、絵はまだ書かれておらず、円鑑国師は白紙の状態で
先に賛を書いたことになります。
当時は絵を描く前に賛を書いたり、
生きているうちから自分の姿を描かせる寿像というものが
ありました。(詳しくは「小堀遠州の書状」江月宛 鉄鉋の文を参照)→鉄の後の字が変換できませんでした。
この6月28日を遠州青年の日として、
門人が改めて遠州流を学ぶ日とするため
設けられました。
お点法を復習したり、
歴史や道具について調べて見たり
今日はじっくり茶の湯に向き合ってみてはいかがでしょうか?
6月 27日 豆腐のように…
ご機嫌よろしゅうございます。
長い梅雨もあと少し、本格的な夏の到来が近づいてきました。
豆腐も冷奴が美味しい時期になりますね。
今日は3月23日に「懐石と菓子」というテーマで行われた
公開討論会において、お家元がお話しくださった
豆腐の話をご紹介します。
松平不昧の歌に
世の中は丸で四角で三角で
豆腐のように飽きられもせず
という歌があります。
なるほど豆腐という食材は形を様々に変え、
また冬には湯豆腐、夏には冷やして
常に人々に愛される食材です。
こんな豆腐のようにどんな状況にも順応し
ていける人間になりたいものです。
さて、豆腐にはよく、紅葉の型抜きにした人参が添えられている
のを目にするのではないかと思います。
この不昧公の歌にも、豆腐に添えられた
紅葉の人参が描かれた絵があります。
この紅葉には実は意味があるそうで、
・豆腐にこうよう(紅葉→効用)がある
ということ、また
・よくこうよう(買うよう)に
というかけ言葉になっているのだそうです。
彩りというだけではなく
紅葉の人参にこんな意味がこめられていたのですね。
6月26日 ハマナス
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。
主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。
バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。
花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。
6月 25日 南風(みなみはえ)
ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。
この季節吹く風を南風とよんでいます。
太平洋上で発達した高気圧から吹き寄せる季節風
をいい、大漁を約束するといわれる南風。
漁師たちはこの風を心待ちに、海を見つめます。
もともと漁師言葉であったようですが、
俳句の季語にもなっていて
梅雨の黒雲の下で吹く風を黒南風(くろはえ)
梅雨明けの頃吹く南風を、白南風(しろはえ)と言います。
白い風が空に流れて夏の訪れを告げます。
梅雨に入る黒、梅雨が明け盛夏へ向う白と、
同じ南風を明快に言い分け、
季節の変化を感じさせてくれる季語の一つです。
6月 24日 宗中公命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日6月24日は小堀家8世 小堀宗中公の命日です。
天明6年(1786)小堀大膳亮政寿(まさひさ)の嫡子として
近江の小室に生まれました。
小室領地が没収されてからは、京都孤篷庵で育ちます。
この頃の日本は大飢饉が起こり、世の中が疲弊し乱れはじめます。
田沼時代から松平定信が政治の実権を握る時代。
40年という長い間、浪人としての生活が続きますが
要職を歴任し譜代大名並の格式を許された五世政峯宗香公の功績
と遠州公以来の家柄を評価され、
文政11年(1828)に幕臣として召しだされます。
改易の時に親類に引き取られていた、
遠州以来の諸道具も戻され「遠州蔵帳」のほとんどが伝来します。
茶法は父、政寿や小堀家茶道頭の富岡友喜から学び、
多くの弟子を排出します。
尾張徳川家に招かれ御蔵器財の分類、目利き、整理なども行っています。
また、茶道を通じて狩野派など芸術分野の人との交流も多く、
合作で各種の作品を残しています。
慶応三年6月24日、82才で江戸屋敷で亡くなります。
遠州流中興の祖です。
6月 23日 玉柏(たまがしわ)
雨中木繁といふ心を
玉柏しげりにけりな五月雨に葉守の神のしめはふるまで
新古今和歌集
みごとな柏の木は、降りつづく梅雨に、
繁りに繁ったものだ。葉を守る神が、
結界を張ったかのように見えるまで。
「玉」は美称で、玉柏は立派な柏の木という意味
葉守(はもり)の神は柏の木に宿るとされています。
そんな柏の木に宿った葉守りの神が
まるで、柏を包み込んで守っているかのように
しとしとと降る雨で一層青さを増している
様子が思い浮かびます。
6月 22日 荒木村重(あらきむらしげ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。
官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重は
有岡城落城の際には妻子、家臣を置いて
背中に 兵庫壷と呼ばれる茶壷を、
腰には立桐鼓という鼓(つづみ)をくくりつけて
わずかな家来と共に脱出したと言われています。
安岐の毛利を頼り、信長の死後まで生きながらえますが、
城に残された妻子、家臣は信長によって惨殺されてしまいます。
本能寺の変の翌年、「津田宗及茶湯日記」に
堺で荒木道薫という人物の昼会が記されています。
この道薫は剃髪した村重その人で、毛利と秀吉の講和がなされ
堺に戻ってきたと考えられます。
戦に敗れ入道となり、茶湯三昧の日々を送った村重は
後に、利休七哲にも数えられ(十哲とも)る茶人となるのでした。
6月 21日 夏至(げし)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は夏至にあたります。
一年のうちで最も昼間の時間が長くなるのが
夏至です。
この日に関西ではタコ、関東では焼き餅を食べる地域も
あり、地域性が表れます。
北欧では白夜が有名ですが日照時間が短いので、
昼間の最も長い夏至は、とても大切な日とされ
様々な国で夏至祭が催されたり、
国中が週末お休みになる国もあるようです。
日本でも近年ではこの夏至の日に
環境に対する取り組みという観点から
短い夜をキャンドルの灯だけですごそうといった
イベントも行われています。