夏越の祓(なごしのはらい)

2014-6-30 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
 今日は6月30日 「夏越の祓」という行事が
 行われる日です。
 旧暦の六月は、夏の終わりの月ということで「夏越の祓」と
 呼ばれます。一年の前半が過ぎたところで、
 その半年の穢れを祓う行事です。
 
神社では大きな茅(ちがや)の輪が飾られ、
 参詣者がその輪をくぐり、厄除けを祈願します。
 この行事は神話に由来しています。
 
スサノオノミコトが、かつて旅先で宿を与えた一族に対して
 茅の輪を渡し、それを身につけた一族の子孫であれば
 疫病から逃れられる
 と記された「備後国風土記」に由来します。
 (一方宿を断った弟の家は滅ぼされてしまいます。)
 宿を与えた人物の名は「蘇民将来(そみんしょうらい)」といい、
 この名は茅の輪くぐりの時に唱えられたり、
 「蘇民将来子孫家門」と書いて家の入り口に貼る
 風習が残っています。
 
宗家の近くでは、東京大神宮でこの茅の輪が飾られますので、
 半年の厄を払いに、足を運ばれてはいかがでしょうか?

荒木村重の末裔・岩佐又兵衛

2014-6-29 UP

6月 29日 荒木村重の末裔・岩佐又兵衛

岩佐又兵衛は先週日曜日にご紹介しました
荒木村重の子供です。

又兵衛が生まれた翌年、村重が信長に反旗を翻し、
一族のほとんどが惨殺されてしまいます。
しかし赤ん坊だった又兵衛は落城間際に乳母に救い出され,
幸いにも生き残り、本願寺に預けられたとされています。

その後、岩佐という母方の姓を名乗り、京に住んで絵師となりました。

その才能を買われ、40歳頃から20年ほど
福井藩で絵師として藩主や有力者の御用を務め
その後三代将軍徳川家光の娘・千代姫が
尾張徳川家に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ
江戸に移り住みます。

浮世絵の先駆者として名高い人物です。

遠州青年の日

2014-6-28 UP

6月 28日 遠州青年の日

ご機嫌よろしゅうございます。

慶長十二年(1607)6月28日は遠州公が29歳の時に
参禅の師である円鑑国師(春屋宗園)
の頂相(ちんぞう)に賛をいただいた日です。

頂相は師または高僧の肖像画を描いたもののことです。
禅宗においては非常に重要視されていました。

この頂相、絵はまだ書かれておらず、円鑑国師は白紙の状態で
先に賛を書いたことになります。

当時は絵を描く前に賛を書いたり、
生きているうちから自分の姿を描かせる寿像というものが
ありました。(詳しくは「小堀遠州の書状」江月宛 鉄鉋の文を参照)→鉄の後の字が変換できませんでした。

この6月28日を遠州青年の日として、
門人が改めて遠州流を学ぶ日とするため
設けられました。

お点法を復習したり、
歴史や道具について調べて見たり
今日はじっくり茶の湯に向き合ってみてはいかがでしょうか?

豆腐のように、、、

2014-6-27 UP

6月 27日 豆腐のように…

ご機嫌よろしゅうございます。
長い梅雨もあと少し、本格的な夏の到来が近づいてきました。
豆腐も冷奴が美味しい時期になりますね。

今日は3月23日に「懐石と菓子」というテーマで行われた
公開討論会において、お家元がお話しくださった
豆腐の話をご紹介します。

松平不昧の歌に

世の中は丸で四角で三角で
豆腐のように飽きられもせず

という歌があります。
なるほど豆腐という食材は形を様々に変え、
また冬には湯豆腐、夏には冷やして
常に人々に愛される食材です。
こんな豆腐のようにどんな状況にも順応し
ていける人間になりたいものです。

さて、豆腐にはよく、紅葉の型抜きにした人参が添えられている
のを目にするのではないかと思います。

この不昧公の歌にも、豆腐に添えられた
紅葉の人参が描かれた絵があります。
この紅葉には実は意味があるそうで、

・豆腐にこうよう(紅葉→効用)がある
ということ、また
・よくこうよう(買うよう)に
というかけ言葉になっているのだそうです。

彩りというだけではなく
紅葉の人参にこんな意味がこめられていたのですね。

ハマナス

2014-6-26 UP

6月26日 ハマナス

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節に咲く花「ハマナス」を
ご紹介します。

主に赤い花を咲かせる「ハマナス」は、
浜に生え、果実が梨に似た形をしていた
ことからハマナシ(浜梨)という名がつけられましたが
東北地方でハマナスとなまって、そのなまりのまま
ハマナス(浜茄子)と言われるようになった、
と言われる珍しい花です。

バラ科で棘があり、
茶花では棘のある花はあまり好まれませんが
このハマナスは例外として昔から用いられます。

花のあとにつく紅い実を食用とし
ローズヒップティーとなります。
北海道の道花としても親しまれています。

南風(みなみはえ

2014-6-25 UP

6月 25日 南風(みなみはえ)

ご機嫌よろしゅうございます。
梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。

この季節吹く風を南風とよんでいます。

太平洋上で発達した高気圧から吹き寄せる季節風
をいい、大漁を約束するといわれる南風。
漁師たちはこの風を心待ちに、海を見つめます。

もともと漁師言葉であったようですが、
俳句の季語にもなっていて
梅雨の黒雲の下で吹く風を黒南風(くろはえ)
梅雨明けの頃吹く南風を、白南風(しろはえ)と言います。
白い風が空に流れて夏の訪れを告げます。

梅雨に入る黒、梅雨が明け盛夏へ向う白と、
同じ南風を明快に言い分け、
季節の変化を感じさせてくれる季語の一つです。

宗中公命日

2014-6-24 UP

6月 24日 宗中公命日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日6月24日は小堀家8世 小堀宗中公の命日です。

天明6年(1786)小堀大膳亮政寿(まさひさ)の嫡子として
近江の小室に生まれました。
小室領地が没収されてからは、京都孤篷庵で育ちます。

この頃の日本は大飢饉が起こり、世の中が疲弊し乱れはじめます。
田沼時代から松平定信が政治の実権を握る時代。

40年という長い間、浪人としての生活が続きますが
要職を歴任し譜代大名並の格式を許された五世政峯宗香公の功績
と遠州公以来の家柄を評価され、
文政11年(1828)に幕臣として召しだされます。

改易の時に親類に引き取られていた、
遠州以来の諸道具も戻され「遠州蔵帳」のほとんどが伝来します。
茶法は父、政寿や小堀家茶道頭の富岡友喜から学び、
多くの弟子を排出します。

尾張徳川家に招かれ御蔵器財の分類、目利き、整理なども行っています。
また、茶道を通じて狩野派など芸術分野の人との交流も多く、
合作で各種の作品を残しています。
慶応三年6月24日、82才で江戸屋敷で亡くなります。

遠州流中興の祖です。

玉柏(たまがしわ)

2014-6-23 UP

6月 23日 玉柏(たまがしわ)

雨中木繁といふ心を

玉柏しげりにけりな五月雨に葉守の神のしめはふるまで

新古今和歌集

みごとな柏の木は、降りつづく梅雨に、
繁りに繁ったものだ。葉を守る神が、
結界を張ったかのように見えるまで。

「玉」は美称で、玉柏は立派な柏の木という意味
葉守(はもり)の神は柏の木に宿るとされています。

そんな柏の木に宿った葉守りの神が
まるで、柏を包み込んで守っているかのように
しとしとと降る雨で一層青さを増している
様子が思い浮かびます。

荒木村重(あらきむらしげ)

2014-6-22 UP

6月 22日 荒木村重(あらきむらしげ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。

官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重は
有岡城落城の際には妻子、家臣を置いて
背中に 兵庫壷と呼ばれる茶壷を、
腰には立桐鼓という鼓(つづみ)をくくりつけて
わずかな家来と共に脱出したと言われています。
安岐の毛利を頼り、信長の死後まで生きながらえますが、
城に残された妻子、家臣は信長によって惨殺されてしまいます。

本能寺の変の翌年、「津田宗及茶湯日記」に
堺で荒木道薫という人物の昼会が記されています。
この道薫は剃髪した村重その人で、毛利と秀吉の講和がなされ
堺に戻ってきたと考えられます。

戦に敗れ入道となり、茶湯三昧の日々を送った村重は
後に、利休七哲にも数えられ(十哲とも)る茶人となるのでした。

夏至(げし)

2014-6-21 UP

6月 21日 夏至(げし)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は夏至にあたります。
一年のうちで最も昼間の時間が長くなるのが
夏至です。

この日に関西ではタコ、関東では焼き餅を食べる地域も
あり、地域性が表れます。

北欧では白夜が有名ですが日照時間が短いので、
昼間の最も長い夏至は、とても大切な日とされ
様々な国で夏至祭が催されたり、
国中が週末お休みになる国もあるようです。

日本でも近年ではこの夏至の日に
環境に対する取り組みという観点から
短い夜をキャンドルの灯だけですごそうといった
イベントも行われています。