暑中見舞い

2014-7-20 UP

7月 20日 暑中見舞い

ご機嫌よろしゅうございます。

夏になると文房具屋さんには
涼しげな絵柄の暑中見舞い用はがきが並べられます。
近況が綴られたはがきが届くと
とても嬉しいものです。

さてこの暑中見舞い、一体いつ頃から始まったのでしょうか?

昔の人々は、正月とお盆の節目に
親や親戚、お世話になった方を訪問し、
贈り物をする風習がありましたが
遠方のお宅には訪問することができないので、
江戸時代の身分のある人々は、飛脚便などを使って
書状や贈り物を届けたそうです。

これが簡略化されたものが、はがきによる挨拶と思われます。

明治6年に日本のはがき郵便配達が始まり
これを機に、遠方の人にも
挨拶状を送る習慣が広まっていきました。

年賀郵便の制度の開始が明治39年
暑中見舞いのはがきを送る習慣が広まったのは
大正時代頃以降のようです。

この暑中見舞いを出す時期ですが、
土用の入りからとされています。
土用とは、立春・立夏・立秋・立冬の四季の変わり目の前の
18日間のこと。

今日がその土用の入りの日にあたります。

遠州公の愛した茶入「勢至」

2014-7-19 UP

7月19日 遠州公の愛した茶入「勢至」

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は遠州蔵帳所載の茶入「勢至」をご紹介します。

この茶入の胴の部分の景色を勢至菩薩の姿に似ている
ことから命銘したと思われます。

勢至菩薩は、観音菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍として知られており
知恵の水が入っている水瓶を持っています。

遠州公の茶会記には特に記載はありませんが、
遠州公が8月22日付で書いた書状が掛物として添っています。

また小堀家七代宗友政方(まさみち)が
安永八年(1779)9月18日、11月4日に使用したことが
記録されています。

小堀家歴代に伝わった後、
森川五郎右衛門の所持となり
江戸鹿児島清兵衛の手に渡った後
東京馬越恭平、その後恭一へ伝わりました。

三伏(さんぷく)

2014-7-18 UP

7月 18日 三伏(さんぷく)

ご機嫌よろしゅうございます。

暑さ厳しい毎日が続きます。
今日は三伏のうちの初伏にあたります。

「三伏」とは一年で最も暑い時期をいい、
昔は時候の挨拶でもおなじみでした。

夏至の後、第三の庚(かのえ)の日を初伏、
第四の庚の日を中伏、立秋後の最初の庚の日を末伏と言い、
この三つで三伏といいます。

「木・火・土・金・水」の5つの性質に分類する
陰陽五行説の由来によると、夏という季節は「火」に、
庚の日は「金」に属し、「火は金を溶かす」
という関係から凶とされています。

和漢朗詠集に

池冷水無三伏夏(池冷やかにして水に三伏の夏無し)
松高風有一声秋(松高うして風に一声の秋有り)

という漢詩があります。

池の冷やかな水には、三伏の夏も存在しない。
松の高い梢を吹く風には、はや秋の声を聞く感がある。

この詩を権十郎篷雪公が書いた掛物が宗家に伝わっています。

打ち水

2014-7-17 UP

7月 17日 打ち水

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は打ち水のお話を。

温暖化が危惧される現代、打ち水で気温を下げようと
いうイベントが行われているのを時折
ニュースで目にします。

水が蒸発する際、周囲から気化熱を奪い
気温を下げる効果があります。
日本人は古くからこの打ち水で
暑い夏の日に涼を得てきました。
しかし、打ち水は夏の暑い日ばかりに行う
ものではありません。

お茶事では、お客様をお迎えする準備が整った際
門前に打ち水をし、支度の整ったことを知らせます。

日常でも自宅の玄関先にやはり水を打ち、土埃を静め、
清々しさでお客様をお迎えします。

葉から零れる雫や、しっとりと濡らした
地面のみずみずしさ、そこからほのかに漂う清々しい匂い
迎えられる側も玄関先からその心遣いに触れる一瞬です。

撒きムラや、一方向から水を打っていると、
裏にうち残しができてしまい、お客様に見えると
格好悪いものです。
撒きムラや打ち残しのないよう、綺麗に打てると
迎えていただいた方も、道中の暑さをしばし忘れられる
ことでしょう。

送り火

2014-7-16 UP

7月 16日 送り火

ご機嫌よろしゅうございます。

ご先祖様が13日にいらっしゃり、
16日(15日ののところも)送り火の煙とともに、
お帰りになります。

送り火と迎え火は玄関先で、焙烙の皿の上で
オガラや松の割り木などを乗せて燃やします。

オガラは麻の皮をはいだあとに残る芯の部分のことで
麻は古来から清浄な植物として考えられてきました。
悪いものを祓い清め、また燃やすことで
清浄な空間を作り出すという意味が込められて
いるといいます。

毎年8月16日に行われる京都・五山の送り火
(大文字焼き)もお盆の送り火です。

中元(ちゅうげん)

2014-7-15 UP

7月15日 中元(ちゅうげん)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお中元のお話を。

お世話になった方へ贈り物をする現在のお中元
この習慣は古くは神や御先祖への捧げ物でした。

もともと中国では道教に由来する年中行事として
年三回、それぞれ天官、地官、水官
という神々にささげものをする日があり、
その中で15日に祀る地官のことを「中元」と呼びました。
この中元の神様は善悪を分別し、人間の罪を許す役目なので
さまざまな贖罪の行事が催されます。

この風習が日本にもたらせられ、お盆の祖霊供養に
お供えを贈った風習と混じり合って
仏に供えるお供物を親戚や隣近所に贈る習慣となった
といわれています。

夏は夜

2014-7-14 UP

7月14日 夏は夜

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は枕草子の一節をご紹介します。

夏は夜
月の頃はさらなり
闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし
雨など降るもをかし

月明かりにほのかに光る蛍
そして、突然の夕立

どれも夏の夜にふさわしい、美しい情景です。

「をかし」は趣がある、風情があるといった意味。
日常の風景の中に風情を見つけ、それを巧みな表現力
で表した「枕草子」は「をかし」の文学とも言われます。
特にこの「春は曙…」から始まる四季の一節は
原文で読んでも、確かにその美しさに共感できる
日本人の美しいものに対する感性は、現代に通づるものだと
実感できます。
これが千年以上前に書かれたものであるから驚きです。

お盆

2014-7-13 UP

7月 13日 お盆

ご機嫌よろしゅうございます。

東京では今日がお盆の迎え火です。

お盆には先祖の霊があの世から家族の元に帰ってきて、
再びあの世に帰っていく、という日本古来の祖霊信仰と
仏教が結びついた行事です。

正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい
盂蘭盆とは、「逆さまに吊るされたような苦しみ」
という意味の仏教用語です。
この苦しみから先祖の霊を救うため
供物を備え、供養します。

日本では推古天皇十四年(606年)には
既に盂蘭盆を行ったという記録があります。

お盆の期間は地域によってさまざまですが
東京では7月13日から7月16日、
その他の地方では8月13日から8月16日に行われる
ことが多いようです。

七夕

2014-7-12 UP

7月12日 「七夕」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州蔵帳所載の茶入で
「七夕」の銘を持つ茶入をご紹介します。

二代大膳宗慶が
これほどの茶入は、大切にして年に一度位に取り出すの
がよいという意味で「七夕」と名付けたと言われており、
内箱書付は大膳宗慶が「七夕」と書き付けています。

遠州公の茶会記には特に記載はありません。

小堀家から神尾若狭守元珍に伝わり、その後小堀家茶道頭
和田晋兵衛の所持となり、同家に伝わりますが
大正時代中村太郎吉の所蔵となります。
「神尾蔵帳」にも記載されています。

小堀家の家紋

2014-7-11 UP

7月11日 小堀家の家紋

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は小堀家の家紋について

皆様ご存知の「七宝花菱」は小堀家の家紋であり
正式には「花輪違い紋」と呼ばれています。

もともと小堀家の家紋は、表紋として使われていたものが
「鶴の丸」、裏紋として「丸に卍」が使われていました。
当時の武家は二つの紋を持ち、用途で使い分けていました。
それを、遠州公が改めたのが七宝花菱と言われています。
そして今では遠州流の紋としても使用されていることは5月30日にご紹介
しました。

小堀家に伝わる道具には「鶴の丸」に形どった蓋置
が残っています。

遠州公の美意識によって定められた家紋
東京国立博物館に所蔵される甲冑にも
この「花輪違い」の文様をあしらっており
「武」の中にも遠州公ならではの綺麗さびの心を
織り込んでいることが伝わってきます。