8月19日 藤原定家(ふじわらのていか)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は藤原定家の命日です。
定家は平安末期の歌人で、新古今和歌集、
新勅撰和歌集と、二つの勅撰集の編者となりました。
遠州公は当時、「定家様」の第一人者
であり、また「歌銘」も多く付けたことから
定家は遠州流では比較的馴染みのある歌人かもしれません。
「定家様」とは藤原定家の筆跡を踏襲するもので
同じ時代の消息などに比べると流麗とは
言い難い、特徴的な字体といえるでしょう。
これは本人も「悪筆」と認めていたところですが
印刷技術のない当時、書物は全て筆で写していたわけで
一つ一つの文字がしっかりしている
定家の字体は早く正確に書写するのに非常に適していました。
後に定家様、また小倉百人一首を書いた色紙は
茶人の間に大変な人気となるわけですが
この辺についてはまた次回。
8月18日 豊臣秀吉
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は8月18日 豊臣秀吉の命日に当たります。
秀吉と小堀家との所縁は深く、
浅井家が滅亡した天正元年以後、
秀吉が長浜在城の際、
出家の身であった遠州公の父・新介公を、見出して還俗させたと
いわれています。
昨日、また5月25日にも触れました通り
天正4年には信長に初めて茶道具を拝領し、6年に初茶会
その後は数々の大規模な、華やかな茶会の記録を残します。
異例の出世、天下取りの野望を果たしながら、
その後は幼い我が子の前途を案じて
慶長三年(1598) 六十三歳で、こんな歌を残してこの世を去ります。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢
8月17日 秀吉の黄金お茶室
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は官兵衛の時代のお話を。
秀吉といえば黄金の茶室が有名です。
天正十四年、禁中に黄金の茶室を持ち込み、
茶会が行われました。
天井から壁、茶道具に至るまで金色で
埋め尽くされた三畳敷きの茶室。
豪華絢爛の趣向、侘びとは真逆に感じますが
これは決して成金趣味というようなものではなく、
天皇陛下にお茶を差し上げるための相応な設えだった
と捉えるほうが正しいようです。
天皇陛下にお使いいただくお茶道具が
既に人の触れたものであってはならないので
使用するものは全て新品。
そして、不可侵的存在である天皇陛下を茶の湯でもてなす
禁中で茶会が催されたということは
天皇陛下をもてなすのに「茶の湯」が選ばれたということであり
茶人にとってはこの上もない誉れでありました。
8月16日 薮入り(やぶいり)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお盆の送り火をする方、
お休みを終えて、ご自宅に帰る方も多いかと思います。
その昔、奉公人のお休みは年二回
旧暦でいう1月16日と7月16日で、
この日を「薮入り」と呼びます。
それぞれの前日が旧正月とお盆という重要な行事を終え、
主人に着物やお小遣いを与えられ、
この日ばかりは大手を振って実家に帰ったり、芝居小屋で遊んだり
できる唯一のお休みですから、
どんなにか待ち遠しかったことでしょう。
「盆と正月がいっぺんに来たようだ」
という表現はまさしくこのこと。
お盆の時期は、霊が里帰りして地獄にいないので、
閻魔様もお休みです。
地獄もお休みするくらいだから
人もお休み…といったところでしょうか。
8月 15日 終戦記念日
昭和二十年(1945)年8月15日の正午
昭和天皇による玉音放送によって日本が
無条件降伏したことが国民に伝えられました。
この大戦により、あまりにも多くの方たちが亡くなり
その尊い犠牲の上に、今日の平和があります。
当時の様子を写真や映像でしか目にしない
戦争の悲惨さを知らない世代
にもその想いを伝えていかなければいけません。
今、この平和な時代に生きる幸せを、
未来を担う子供達につなげるために。
8月14日「徹底解剖 茶道テディベア4」 ご機嫌よろしゅうございます。
茶道テディベアの魅力のご紹介も。
4回目を迎えることができました。
第4回は、いよいよ、『茶道テディベア』固有の魅力について、ご紹介したいと思います。
全長:22センチメートル(子猫ちゃんくらいのかわいい大きさです。)
素材:シルク/ポリエステル/コットン(シルクの入った素材はシュタイフ社でも珍しい!)
瞳はツヤツヤの真ん丸。
大切に手に持ったお茶碗とチラリとのぞく帛紗が茶道の象徴です。
ピンクの振袖のお柄は小堀遠州公より430年続く遠州流茶道の家紋、
七宝花菱文。 七宝紋は輪違い紋ともいわれ、無限に連鎖する平和や円満を意味する 輪の交叉から成る文様のため、「世界中の財宝」と「無限の子孫繁栄」を 表す吉祥文様(とても縁起の良いおめでたい文様)として好まれて参りました。 とてもかわいいテディベアでございます。
詳細は、下記URLでご覧くださいませ。楽しみにお待ちいたしております。
http://enshuryu.sakura.ne.jp/shop/html/products/detail.php?product_id=6
専用ダイヤル 03-6228-1208
8月12日「徹底解剖 茶道テディベア②」
ご機嫌よろしゅうございます。
第②回は、シュタイフ社がどのようなところかをご紹介したいと思います。
創業者のマルガレーテは、車椅子のハンディキャップを乗り越え、シュタイフ社の前身となる会社を創立しました。
1903年シュタイフ社は、ライプチッヒの見本市にクマのぬいぐるみを出展したことがきっかけで、アメリカのバイヤーの目に留まります。そのベアが、ルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレイに使われ、テオドア・ルーズベルト大統領のニックネームにちなんで「テディベア」と呼ばれ大ブームを起こしたのです。
マルガレーテは、障害を持つ人に仕事を与え、子どものいる人には会社に連れてくることを認めるなど、19世紀では珍しい開かれた会社を作りました。
1909年、彼女は天国へと旅立ちますが、その後も現在に至るまで、「うれしい時も、寂しい時も、ぬいぐるみは子供のハートの一番近くにある大切なもの。だからこそ、最良のものを与えてあげたい。」というマルガレーテの精神は引き継がれ、今も最高のテディベアを産み出し続けています。
8月11日 徹底解剖茶道テディベア
ご機嫌よろしゅうございます。
先日発売されました『茶道テディベア』の魅力について、ご紹介して参りたいと思っております。
まず、第1回は、テディベアが多くの人をひきつける理由をご紹介いたします。
“テディベア”とはクマのぬいぐるみの別名です。
シュタイフ社のテディベアは、デフォルメしすぎず、動物が本来持っている「自然な可愛らしさ」を大切にしています。
つぶらな瞳と突き出た鼻。ふわふわの毛並み。手足と首が動かせ、お好みのポーズをとらせることができます。
素材はこだわり抜いた高品質な自然素材や、安全性・耐久性に優れた新素材を使用します。
その柔らかい毛並みで子どもたちに安心感を与えてきました。
ちょっと意外な魅力は、無表情であること。
一見無表情に見える表情には子供たちが持ついろいろな感情を投影しやすいのだそうです。
8月10日 柴田勝家と茶道具
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日ですので、官兵衛の時代のお話を。
浅井家滅亡後、信長の妹お市の方を妻とし
信長が倒れて後に、秀吉と対立する柴田勝家。
勇猛な武将とされていますが、秀吉に先んじて
刀狩りのような取り組みもしていたり、智将でもありました。
柴田勝家といって思い浮かぶ茶道具といえば
柴田井戸、そして芦屋姥口釜(あしやうばぐち)です。
侘び茶の流行した当時
野生的なたくましさのある高麗茶碗、とりわけ
井戸茶碗は武将にとても好まれました。
その名品を信長より拝領し、後に柴田井戸と呼ばれ、
現在は根津美術館に所蔵されています。
昨年、同館で開催された井戸茶碗の展覧会でも展示され、
記憶に新しいところです。
また勝家は、織田家に伝わる秘蔵の姥口の釜を所望して
いましたが、信長もこれは手放すのが惜しかったのか
なかなか拝領できず、数年して越前平定後、
こんな歌とともに与えられました。
なれなれて添ひあかぬ仲の姥口を
人に吸はせんことをしぞおもふ
8月 9日 遠州公の愛した茶入
「唐大海(からたいかい)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「唐大海」を
ご紹介します。
大海とは大振りで口が広く、内側が大きいので
それを海に例えたことからこう呼ばれています。
唐物大海茶入を所有していたうちの一つで
遠州公自身が「唐大海」と箱書きしています。
小堀家に代々伝わり、八世宗中の時代
尾関文右衛門の懇望により譲り、
その後木津宗隆、松井左兵衛と伝わり、
現在は香雪美術館に収蔵されています。