8月 29日 遠州公の白
ご機嫌よろしゅうございます。
8月8日に、遠州公が抹茶の製法を
「白茶」に戻したお話をいたしました。
そして織部の緑
これには茶人の好みが反映されています。
それぞれの茶人の好みをシンプルに色で表すとするなら
利休の「黒」
織部の「緑」
遠州の「白」
とお家元は表現しています。
全てを包有する、他の存在を許さない「黒」
己の感性を先鋭に表した「緑」
「黒」も「緑」をも受け入れることのできる「白」
利休、織部の茶は己の精神.主観性を追求するもの。
それに対して
遠州はその日のお客様に合わせて
その好み・趣向を考え、道具の取り合わせを自在に
変えるなど相手の心を映した茶でした。
オリンピック招致で話題となった
「おもてなし」の日本の心ですが、
茶の心、とりわけ
この遠州公の「白」の好みが生きているような気がいたします。
8月28日 道元禅師
ご機嫌よろしゅうございます。
茶道は禅の精神と深い関係がありますが
今日は曹洞宗の開祖道元禅師のご命日にあたります。
若くして両親を失い、出家して後、中国に渡り
修行を積んだ道元禅師は、将軍の帰依を受けながらも
権力に染まることを拒み、
福井の永平寺でひたすら仏道に励まれます。
鎌倉時代に定着していった禅宗の規律は
茶法にも大きな影響を与えていきます。
さて道元禅師と共に中国に渡り、
帰国した陶工がいます。
この人物が加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)
瀬戸焼の祖といわれています。
茶入はもともと中国の小壷などが転用されて、
茶道具となりましたが、瀬戸焼が生まれ、
日本で最初から茶入として焼かれるようになりました。
初代の作を古瀬戸と呼び、名前を略して藤四郎と
いわれることもあります。
8月 27日 虫聞き(むしきき)
夏の夜
虫の音が聞こえると、
暑さも少し和らぐような気がします。
東京向島の百花園では例年「虫ききの会」
が開かれます。
虫ききの会の始まりは、
天保二年(1831)
仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を、山野や沼地に放って
供養する仏教の儀式「放生会(ほうじょうえ)」
が原型。
向島百花園では、天保二年に没した
初代佐原鞠塢(さはらきくう)を追善するために、
縁者が「放生会」を行ったことが始まりといわれ
明治には来園者が虫の音を楽しむという企画ができ
今日の夕涼みをしながら楽しむ夏の風物詩
「虫ききの会」になったそうです。
江戸後期、仙台出身の骨董商だった
佐原鞠塢(さはら きくう)が開いたのが
植物庭園「向島 百花園」です。
太田南畝や酒井抱一などの文化人が
佐原鞠塢のもとに集いました。
8月 26日 鶏卵素麺
ご機嫌よろしゅうございます。
夏になると食べたくなる素麺。
今日はその素麺の姿をした甘いお菓子
「鶏卵素麺」をご紹介したいと思います。
「鶏卵素麺」はその名の通り氷砂糖と卵黄で、
素麺状つくられたお菓子で、安土桃山時代にポルトガルから
伝来したといわれています。
江戸時代に出島で製法を学んだ松屋利右衛門が
1673年に博多に戻って販売を開始し、
延宝年間に福岡藩三代目藩主の黒田光之に鶏卵素麺を献上し
御用菓子商となったといわれています。
森八の「長生殿」、大和屋の「越の雪」に並び
日本三大銘菓の一つに挙げられることもあります。
(鶏卵素麺のかわりに「山川」が数えられることもあります。)
卵のコクと甘み、しゃりっとした食感が独特で
一度食べるともう一つ食べたくなる銘菓です。
お茶席でもいただきやすいよう、
最近では素麺を昆布で束ねた形のものも
販売されているようです。
8月25日 旧暦 の8月1日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう8月1日
この日は秀吉により関八州を与えられた
徳川家康の江戸入城の日でもあり、
後に江戸幕府の大事な式日、
「八朔御祝儀の日」となりました。
江戸城は太田道灌が築城して以後、
荒廃が進んでいました。
要地からも離れ、長年徳川の領地であった
三河を発ち、入った江戸という未開の地。
天正十八年(1590)の8月1日
徳川家康が駿河から始めて江戸城に移った日、
家康とその家臣全員は白装束に身を固め、
城に入ったといいます。
この日から江戸の繁栄はスタートしたのでした。
8月 24日 大膳宗慶命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の後を継いだ二代目大膳宗慶のお話を。
元和六年(1620)2月15日、父遠州公四十二歳の
時、藤堂高虎の娘を母として、伏見奉行屋敷で
誕生します。
小さい頃から能書の誉れ高く、そのエピソードは
4月1日にもご紹介した通りです。
茶道修業にも熱心で、父遠州公にその茶法を学び、
二十代前後で大先達の御相伴も勤めるほどでした。
公職を離れた晩年五十三歳
江戸屋敷で連日連夜に渡り33回の茶会をするなどしています。
父遠州公より受け継いだ茶道の正統を文書に残し、
諸道具の整理・遺物帳等も作成しました。
延宝二年(1674)8月24日
五十五歳で江戸屋敷でなくなります。
8月 23日 処暑(しょしょ)
初秋や海も青田の一みどり
芭蕉
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は24節気でいう「処暑」
処暑とは、暑さが終わるという意味です。
『暦便覧』では
「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」
とあります。
台風襲来の特異日ともされており注意が必要です。
とはいえまだまだ昼間は暑い日が続きますが、
朝夕は涼しい風が吹いて、
過ごしやすい日も増えてくる頃ではないかと
思います。
それにしても今年は5月から30度を超える日が
続き、夏が長く感じられます。
8月 22日 あるエピソード
ご機嫌よろしゅうございます。
19日にご紹介した定家様にちなんで
エピソードを一つご紹介します。
当時大変な人気のあった定家の一幅を
なんとか手に入れようと皆必死になっていましたので
本物に混ざって定家の筆では無いものも出回っていました。
ある日、加賀前田家でも一幅手に入り、
定家様の権威である遠州公が茶会に招かれました。
遠州公がどんな批評をされるのか
襖の奥から皆注目していましたが、
とうとう茶会の最後まで遠州公はその
掛け物について何もおっしゃいませんでした。
不思議に思った前田公は、茶会の後遠州公の屋敷に
使いを出し
「先ほどの定家はいかがでしたか?」
と尋ねますと
「あれは私が書いたもので、誰かが手に入れて
定家にしてしまったのでしょう。
自分の字を褒めるわけにはいきません。」
と話されたといいます。
8月 21日 今宵は月を眺めてみませんか?
ご機嫌よろしゅうございます。
十五夜に限らず、特定の月齢の月が出るのを待ちながら
飲んだり食べたり、宴を開いて楽しく過ごす
そんな「月待ち講」という
行事が江戸時代に流行しました。
特に旧暦7月の26日、
人々は飲んで騒いで楽しいひと時を過ごしながら
二十六夜の細い下弦の月が出るのを
待ちました。
明るい電気と絶えず流れるテレビの映像に
つい見入ってしまう現代とは比べものにならないほど
時がゆったりと流れ、
豊かな楽しみ方だなあと感じます。
今日はその二十六夜です。
月がでるまで宴会を…とまではいかずとも
お休み前にほんの少し夜空を見上げてみませんか?
8月 20日 清少納言も食べていたかき氷
ご機嫌よろしゅうございます。
暑い夏に食べたくなるかき氷
実は平安時代にも同じようなものがあったようです。
清少納言は「枕草子」の中で
かき氷を「あてなるもの」つまり
上品なものの中に挙げています。
削り氷にあまづら入れて
新しきかなまりに入れたる
水晶の数珠 藤の花 梅の花に雪の降りかかりたる…
削った氷にアマヅラの甘い煮汁をかけたものを金属の器にのせる。
氷の冷気で金属の器も冷え、水滴がつく様子も
見ていてとても涼しげだったことでしょう。
もっとも今のように氷がいつでも手に入る時代では
なく、氷室と呼ばれる天然の貯蔵庫に保存していた氷を
削ったもので、当時は大変貴重なものでした。
カキ氷が庶民の口に入るようになったのは
氷が比較的入手しやすくなった明治になってから
のようです。