9月 29日 天の原(あまのはら)の歌
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
ご機嫌よろしゅうございます。
冒頭の和歌は、阿倍仲麻呂が遣唐使として渡った先で、
夜空に光る月を眺め、故郷奈良の三笠山にでていた
名月を想い出し詠んだ歌です。
この歌は茶の湯においても大変重要な歌です。
床の間には中国高僧の墨跡を掛けるが主流
であった当時において、武野紹鴎はその歌意が
気宇壮大で、墨跡にも相当するとして、
初めて床の間に、掛けられたとされる和歌です。
秀吉も、和歌の掛け物を初めて拝見し、利休に
その理由を問うと、
この歌の心は月一つで、世界国土を兼ねて詠んだもので
あるので、大燈国師、虚堂祖師の心にも
劣らないものであるので
と、秀吉に言上したと言われています。
9月28日 如水と家康のエピソード
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
官兵衛の時代のお話を。
如水は慶長五年(1600)の関ヶ原の役以後、
豊前に引退し、参禅の師を大徳寺の
春屋宗園に求めた頃から茶の湯を勢力的に
始めたようです。
家康とのエピソードとして面白いのは
黒田家に伝わる「南条」の茶壺です。
慶長六年(1601)の五月
家康が伏見城で宴会を催しました。
関ヶ原の役で活躍した大名が招かれ、その中に
如水の姿もありました。
ここに名物の茶壺が数個並べられ
家康は如水に、冗談半分に
「この中で他人の手を借りずに自分で持って帰れる
ものがあれば、どれなりとも差し上げよう」
と語りました。
すると如水はすっと立ち上がって
一番大きい「南条」の茶壺を自らの手で持ち帰った
ので、家康も如水の豪放さに驚嘆した
といわれています。
9月 27日 名物道具を拝見するには?
ご機嫌よろしゅうございます。
昨日は鷺の絵をご紹介しました。
そして遠州公が若干16歳でこの絵をみることが
できたこともお話ししました。
当時は美術館も展覧会もありません。
観たいと思う道具があったら、
その道具を持つ人の茶会に招待されなければ
みることは出来ないのです。
そして所有者も
この人なら見せてもいいなと思う人しか
呼ばないわけで、客には相応の知識と教養が必要
でした。
つまり、名物道具を拝見出来たということは
茶人として認められたという格を示すことにもなりました。
お金を出せば、いつでも博物館で名物道具を
拝見できる今とは違い
当時の茶人は常に真剣な気持ちで
名物道具と対峙していたのでしょう。
9月 26日 鷺(さぎ)の絵
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は鷺の絵のお話をいたします。
鷺の絵は、松屋三名物の一つです。
奈良の松屋は漆屋を称した塗り師の家で
その茶を村田珠光に学びました。
鷺の絵は、その侘びた珠光表具のすばらしさから、
利休が「数寄の極意」としたこともあって
名だたる茶人はこぞってこの絵を松屋に拝見にいきました。
遠州公の師、古田織部
は利休に「数寄の極意」をたずねたところ
利休は松屋の鷺の絵を挙げられ
翌日、織部は直ちに馬で奈良に向かい
その鷺の絵を拝見したというエピソードもあります。
遠州公の父、新介正次は当時松屋の茶会に赴いたり、
自宅の茶会に招くなど親交を深めていました。
遠州公は父に連れられて、文禄3年2月3日、16歳の時に
この絵を拝見しています。
残念ながら現在は焼失し、見ることはできません。
9月25日 お萩とぼた餅
ご機嫌よろしゅうございます。
お彼岸になると店先に並ぶ
お萩…ぼた餅とも言いますね。
モチ米とうるち米を捏ねた餅に
漉し餡をつけた「牡丹餅」は、
牡丹の咲く春のお彼岸に作られ、
粒餡の「おはぎ」には小豆の粒が萩の小さな
花を連想させるので秋のお彼岸に好んでつくられました。
これは小豆の収穫の時期にも関係があるようです。
秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、
とれたての柔らかい小豆をあんにすることができるため
柔らかい皮ごと入ったつぶあんができます。
春のお彼岸では、冬を越した小豆を使うので
皮は固くなっているため、これを取り除いた
小豆を使い、こしあんとするのだそうです。
9月 24日 秋の社日(しゃじつ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋の「社日」にあたります。
「社日」とは、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)
の日に、大地の守護神をお祭りし収穫に感謝する日
とされています。
神様は春に山からやってきて、田畑の作物を
実らせ、秋の社日に帰っていくといわれているそうです。
この日は、神様の頭を掘ることになるので
土を耕すことは禁忌とされています。
もとは中国から入ってきた習慣のようですが、
日本の土地神様の信仰と融合して全国に広がり、
豊穣を祈願する節日になったといわれています。
作物を育てる方は、多くの手間と愛情を
注ぎ育てていく中、
目に見えない大きな力に助けられていることを
感じ、一年無事に収穫できることへの感謝を捧げます。
その大地の恵みをいただく私たちも、
育ててくださった方や、守ってくれた大地の神へ
感謝の気持ちを忘れずにいただきたいものです。
9月23日 秋分の日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋分の日、祝日です。
法律では
『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』
となっています。
明治時代には秋季皇霊祭といって
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿である
「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」、
一般のお彼岸の先祖供養にあたる行事が
彼岸の中日に宮中で行われていました。
歴代の天皇のご供養を春と秋の2回にまとめて皇霊祭
として行われるようになったといわれています。
一般市民もこれに倣うようになり、
1948年には祝日として法律で制定されました。
9月22日 今来むと…
今来むと言ひしばかりに長月の
有明(ありあけ)の月を待ち出(い)でつるかな
ご機嫌よろしゅうございます。
秋のお彼岸となり、暑い夏も
ようやく終わりが見えてくる頃でしょうか。
普段は慌ただしい毎日ですが
月を眺めてゆっくり過ごす心のゆとりも
忘れたくないですね。
冒頭の歌は「古今集」所載・素性法師の恋歌です。
「今すぐに参ります」とあなたが言ったから、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っていると
有明の月が出てきてしまいました。
有明の月は夜明けに現れる月
長い秋の夜の明け方、空が白々と
明
けるまで待っていたのに あの人は現れなかった…と少々さみしげな歌ですが
LINEやメールで瞬時に返信が返ってくる現代では
考えられないおだやかな時の流れと
その間に膨らむ期待と不安が
とても新鮮に、映ります。
9月21日 如水茶訓
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。
隠居して如水と名乗った官兵衛ですが、
秀吉の死後となる慶長四年(1599)の正月
茶の湯定書というものを発布しています。
一 茶を挽くときには、いかにも静かに廻し、
油断なく滞らぬように挽くべきこと
一 茶碗以下の茶道具には、
垢がつかないように度々洗っておくこと
一 釜の湯を一柄杓汲み取ったならば、
また水を一柄杓差し加えておくこと
決して使い捨てや飲み捨てにしてはならない
これらは利休流を守った教えであると記しています。
素朴で、華美なところは感じられず、
簡単なことのようでなかなか実践できない
そんな日常の心のあり方を、
如水は定書に記したのでした。
9月 20日 彼岸(ひがん)の入り
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は彼岸の入りです。
今日から中日の秋分の日をはさんで
26日までが秋の彼岸となります。
お彼岸には春と秋があり、
お彼岸については春のお彼岸の日にもふれましたが
仏教では、生死の海を渡り到達する悟りの世界を
「彼岸」といい、その反対側の迷いや煩悩に満ちた世界
(私たちがいる世界)を「此岸(しがん)」
と呼んでいます。
彼岸は西にあり、太陽が真東から昇って真西に沈む
秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると
考えられています。
お彼岸にご先祖供養をするのはこのためです。
暑さ寒さも彼岸まで
近年の異常とも思える記録的な暑さも
ようやく落ち着いてくる頃でしょうか。