4月 10日 柳緑花紅(やなぎはみどりはなはくれない)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は春によく掛けられる禅語をご紹介します。
柳緑花紅
11世紀の中国の詩人・蘇軾(そしょく)の詩からの引用です。
柳は緑色、花は紅色。
そのありのままの姿が真実だということ。
柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、
全てのものを客観的に捉え、あるがままを受け入れよう
ということを説いている言葉です。
時に、禅宗は自己を追究し「無」の境地を目指すことが
目的であるのに、季節の移ろいに目を向ける禅語に
違和感を覚えることもあるようです。
しかし、この柳緑花紅の語のごとく
季節を捉えた禅語は
季節の移ろいに応える自然の姿、ありのままの姿
それこそが真実と教えています。
ですから、
やはり柳が青々として、花が紅に染まる頃
この言葉を目にして、その真理を追求するのが
自然な姿。
季節外れに掛けるのは
それこそ「不自然」なのではないでしょうか。
4月9日 春雨(はるさめ)
「春雨じゃ、濡れてまいろう」
大正時代人気を得た新国劇
「月形半平太」の有名な台詞です。
この戯曲のモデルは坂本龍馬の僚友・土佐藩士武市半平太
こと武市瑞山(1829年 – 1865年、35歳没)
といわれています。
旧暦三月頃
細い雨滴のしとしとと長く降る雨を春雨といいます。
草木の芽を吹き出させ、花の蕾をほころばせる
静かな暖かい雨です。
傘をさすのもためらうような
しっとりとした風情が
春雨にはあるようです。
ちなみに「春の雨」は春雨を含め、
正月から3月頃まで降る雨全部を指して
春雨と区別しています。
4月8日 はなまつり
ご機嫌よろしゅうございます。
今日4月8日はお釈迦様が誕生した日です。
この日は灌仏会(かんぶつえ)、はなまつりなどと言われます。
お寺などで、花で飾った花御堂(はなみどう)
という小さなお堂が作られます。
ここに甘茶で満たされた盤を置き、その中に
御釈迦様が誕生したときの姿を表した
誕生仏という仏像が安置されます。
お参りするときには、柄杓で
誕生仏の頭へ甘茶をかけてお祝いします。
お釈迦様が誕生したとき、天から甘い露が降り注いで身体を清めました。
するとお釈迦様はすぐに立ち上がり、
7歩進んで右手で天を指し左手で大地を指し、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」
とおっしゃったのだそうです。
「この世に自分より尊いものはない。
人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である。」
いうことを意味しているのだそうです。
さて、この8日にはお家元が宗家の稽古場で
様々な種類の椿を集めて鉄鉢に盛り、
お釈迦様に供えます。
4月ともなると椿もいよいよ見頃を終える頃ですが
生けられた椿達は、それぞれが美しく咲きほこり、
その華やかな姿で私たちの目を楽しませてくれます
4月7日 桜
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「桜」について
お話します。
満開の桜を眺めると心躍る気持ちがします。
皆さんがお花見に行かれてご覧になる
桜のほとんどは「染井吉野」という
種類のようです。
この桜
桜好きの日本人のために手っ取り早く満開の桜を咲かせたい
ということで、江戸時代末期に
染井村(現在の東京駒込あたり)の植木職人が
何種かの桜を掛け合わせてつくったのだとか。
それまで全国的に有名だった奈良原産の吉野桜を
意識して名付けられたそうです。
葉が育たないうちに開花し散りやすいのですが
その散り際の見事さが日本人に受け
また栽培しやすいことからたちまち全国に広がり
従来の吉野桜を押しのけ
桜といえば染井吉野という程普及しました。
4月6日 天正19年の出来事
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。
天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。
1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日 千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。
主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。
年号変わって、文禄二年
15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入について。
桜にちなんだ銘を持つ遠州公ゆかりの茶入は
たくさんあります。
そのうちの一つが
「山桜芋子」です。
正面にかかる釉薬の具合が
山に咲く桜の姿を連想させることから
遠州公がこの名を付けたとされています。
芋子とは文字通り、その形が里芋の子のような形
をしていることからの名称です。
茶入の入った箱には遠州公の自筆で
「芋子」と書き付けがあります。
4月4日 清明(せいめい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の「清明」です。
「暦便覧」には
「万物発して清浄明潔なれば、
此芽は何の草としれるなり」
と記されています。
花々は咲きほこり、万物が若返り、
清らかで明るく美しい季節です。
中国における清明節は祖先のお墓参りをし、
日本におけるお盆に当たる年中行事です。
また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、
清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、
穀雨以後の茶葉を「雨後茶」といいます。
中国で清明節に近い時期に摘む茶葉は、特に香りと甘みがあり、
高級茶葉の扱いをされるそうです。
4月3日 映画「父は家元」
ご機嫌よろしゅうございます。
好評につき遠州流茶道 ドキュメンタリー映画
父は家元が
池袋、新所沢にて凱旋上映が決定されました。
4月19日にはシネリーブル池袋
(http://www.ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/)
にてお家元とナレーションを務めた次女の
優子さんお二人が舞台挨拶をされる
予定です。
先日の公開討論会において、
林屋晴三先生映画の感想を
このようにおっしゃっていらっしゃいました。
作りこまれたところがなく、全てが自然で
映画の内容が小堀家そのもの。
お茶の家はこうあるべきと
志ある人は感じたのではないかと思います。
前回の上映でご覧になれなかった方
一度ご覧になり、お知り合いにお勧めしたい方
是非映画館に足をお運びください。
詳細はホームページをご確認ください。
4月 2日 釣釜(つりがま)
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯では
炉から風炉へ
季節のうつろいを感じる設えがあります。
その一つが「釣釜」です。
釣釜は炉を閉じて、初風炉の直前にする設えで、
文字通り天井から鎖で釜を吊るし
次第に暖かくなってきた気候に合わせて
釜を深く下ろして湯を沸かし
火気を遠ざけられるような仕組みになっています。
お点前の際は釜を通常の高さまで上げて扱います。
宗家の稽古場でも釣り釜の用意がされると
いよいよ夏がやってくるのだなあと
感じられます。
遠州流では小間の茶室では台目柱がある
縦の線が重なるのをよしとしませんので
釣り釜ではなく透木釜
(五徳を使わず、炉縁に釜の羽根が乗る釜)をかけ、
広間で釣り釜を行います。
4月1日 一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から4月。
入学式や新生活を迎える方も多い月ですね。
四月は卯月ともいい、卯の花つまり空木の花の咲く月という
異名もあります。
たくさんの美しい花々を楽しめる
一年でも最も明るく華やかな時期でしょう。
さて、花を愛でるのは、その姿だけではありません。
花の持つ香りも楽しみの一つです。
お香を聞くときも、少し湿った雨の日の方が香の香りが
よく味わえますように、やはり花の香りも
しっとりとした雨上がりの方が、その甘い香りが際立ちます。
今日はそんな香りにちなんだ禅語を御紹介します。
一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
この言葉は
美しい花を落としてしまうほどの雨
しかし、一夜明けると、その雨が地を潤し、
花の香りで満ちていた。
という意味です。
この語は
当時字がうまいと評判だった二代大膳宗慶が
八歳のとき(寛永五年・1628)、宮中に召され
後水尾天皇・東福門院の御前でこの言葉を書きました。
その日雨が降っており
「嘉泰普燈録(かたいふとうろく)」という禅宗史伝書の
第六にある「一夜落花雨満城流水香」の語を選び
一同を感心させたと言います。