落語 「 太閤と曽呂利」
2017-7-24 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は蛍にちなんだ古典落語をご紹介致します。
曽呂利新左衛門は、豊臣秀吉に御伽衆として仕えた
といわれる人物で、ユーモラスな頓知で人を笑わせ
る才がありましたが、元々堺で刀の鞘を作るのを
仕事としており、その鞘には刀がそろりと合うので
曽呂利の名がついたと言われています。
ある時公家衆から和歌を詠むように勧められた秀吉が
自分が猿面冠者と言われてたことから、猿丸大夫の歌を
本歌取りしようと思いつき
奥山に紅葉踏み分けなく鹿の
声聞くときぞ秋は悲しき
から「奥山に紅葉踏み分けなく蛍..」
と詠みました。蛍が鳴くのですか..?と公家衆のニヤニヤ
にたまらず「続きは明日」と言って秀吉は早々に退散します。
秀吉に呼び出された新左衛門は話を聞き終えると、
秀吉に策を伝えます。
「蛍は鳴くか」とふたたび問われたとき、古歌の
武蔵野に篠を束ねて降る雨に
蛍よりほか鳴く虫ぞなし
を引用し、さらに
奥山にもみじ踏み分けなく蛍
しかとも見えず杣(そま)のともし火
と、きこり(杣)が煙草を喫っている光景を「蛍」にたとえたと
強引にすり替え、秀吉は面子を保つことができました。
『続近世畸人伝』には秀吉の「なく蛍..」の歌に対して里村紹巴が
「蛍は鳴かない」と反論し機嫌を損ねた秀吉に、細川幽斎は
即興で「しかとも見えぬ光なりけり」
の歌を作ったという話も残っています