東海道旅日記「下りの記」 桑名城主

2021-7-23 UP

〇桑名城主

桑名の里に到着した遠州を,

桑名城主が出迎えています。

この年の桑名城主はこれまで本田忠政と

されてきましたが、松平定綱と改めます。

「月刊遠州」6月号でも松平定綱が紹介されており、

定綱にあてた遠州の消息などから

定綱と遠州の交友があったことがわかります。

定綱は、徳川家康の異父弟 松平定勝の3男で、

1635年から五万石の加増を受けて、

大垣藩から桑名藩にはいっています。

1万石からスタートした定綱は、

加増を希(こいねが)って11万石にまでなりますが、

それには改易された福島正則の家臣を

受け入れるためだったという話が語られています。

(ご興味ある方はこちらhttps://www.jacom.or.jp/column/2021/04/210424-50930.php)
先ほどご紹介しました通り、

定綱は同時代の文化人として知られた遠州をはじめ、

木下長嘯子や林羅山らと交流がありました。

遠州流が松平家の茶として代々継がれ、

寛政の改革で有名な松平定信の代まで伝えられました。

定綱と遠州の交友から、遠州流が松平家の茶として

代々継がれ、寛政の改革で有名な松平定信の代まで

伝えられました。

定信自身は遠州流を本にした

お家流を開いたという記録が残っています。