東海道旅日記 下りの記 十月九日訳文 

2021-4-24 UP

九日 鶏の鳴くより前に出発をし、
午前八時頃に、伊勢の国鈴鹿山の麓に到着。
しばらく休憩をとることにして、
都を発つときに洛北大徳寺の江月和尚から
いただいた餞別の一偈を開くと、
別れの情が改めて思い出される。
 
相坂の 関の名を鈴鹿山 
 けふふりはへて そでぞ時雨るる

と口すさびつつ手紙に目をやると
ご自身もお身体の調子が悪くていらっしゃるのに、
細やかに私の体調を気遣って、
この旅路を案じて記してくださっていた。
返歌ではないが一首歌を詠んだ。

例ならぬ 身さへ老さへ 別さへ 
 君と我とのものぞかなしき
 
流れる涙をおさえつつ、一偈をひらく。
その三、四句目に
莫忘風流旧同友 花時洛下約遭逢
(わするなかれふうりゅうきゅうどうゆう
 はなのときらっかにそうほうをやくす)
と、互いの長寿を祝してくださっている。
ちょうどありがたくも鈴鹿神社の御神前であったので

花の時 あはむとならば 鈴鹿山
 神にぞいのる ながき玉の緒

と返歌を詠んだ。このような戯れ言も、
思えば本当の祈りになるであろうよ。
この里を出て

八十瀬立 浪かけ衣 ほさじただ 
 君がわかれの わすれがたみに

と詠む。江月和尚にこれまでの事を早速文に
したためて送った。
次第に進んでいくと関の里に着いた。
ここを出るといって供のものが歌を詠んだ。

風ふけば みなかち人は せきいでて 
 ゆくゆくはなを かめ山のさと

笑いにて興じて、先を進み、庄野の里に到着。
一泊した。