東海道旅日記 「水口」
2020-9-25 UP
水口に到着した遠州公一行。
東海道の宿場として定められたこの水口には、
御茶屋と呼ばれる徳川将軍の宿泊所が設けられた場所があります。
(家康公上洛の際や、家光公の妹和子が入内の際にも宿泊しています。)
この日記が記された年(1621)から12年後(遠州公55歳)の
寛永十年(1633)七月から翌年六月にかけて、城郭の拡張整備の奉行を幕府から命じられます。
寛永十一年(1634)に三代将軍家光公が、
上洛するための宿泊所として東海道の水口が選ばれ、遠州公が作事奉行を任じられたのです。
(この年の遠州公は多忙を極め、近江水口城作事奉行と同時並行で8月から13年6月まで仙洞御所御庭泉水奉行、9月から11年9月まで、近江伊庭の御茶屋御殿作事奉行。そして10月から11年6月まで、二条城本丸数奇屋作事奉行と四カ所を兼務しました。どれも将軍の上洛・滞在の際に重要な施設を担当しています。)
建物構成は京都二条城に共通し、数奇をこらしたものでした。実際に家光公が宿泊したのは、この上洛一度きりでした。