東海道旅日記 「下りの記」 10月13日
2021-11-19 UP
遠州一行は、夜明け前から舞坂の里を出発し、
しらじらと暁が明ける頃に浜松を通過しています。
天龍川にさしかかり、いけだの舟渡しにかかります。
冷たく寒い風が吹き、
かぜさむしいそぎいけだの舟渡
と狂歌をよんでいます。
1000年も前から続いていた天竜川・池田の渡し。
徳川家康が池田の渡船衆に渡船の運営権が保証されてから、
江戸時代を通じて交通を一手にになってきました。
掛川につくと、かねてより親交のあった城主の出迎えを
うけてしばらく語り合っています。
この日記の書かれた年(1642)の掛川城主は本田忠義
(これまで松平定行とされていましたが、改めます。)
「家康に過ぎたるものが二つあり…」と歌われた本田忠勝
の孫にあたり、遠州公の23歳下になります。