9月30日 訳文
2020-4-3 UP
30日 快晴
ここからほど近い岡崎の城主は知り合いであり、手紙が届く。
なかなか到着の知らせが届かず、そろそろかと心待ちにしておりました。
藤川に到着したと聞き、お会いできること喜んでおりますと
丁寧に手紙に書いてよこしてくださった。
その返事に
今朝は猶 いそぎ出ぬる 草枕
我をかざきに ひとのまつやと
やがて(すぐに参ります)
と書いて送った。
日が昇るころに?岡崎に到着。城主が出迎えにとわざわざお出ましくださる。
一緒に城に入り、ひとしきり語り合い、巳の時(朝10時~12時)頃に城をでる。
橋を渡り、矢作宿に入る。城主は名残を惜しんでこの宿にまで見送りくださった。ここに馬を留め、
もののふの やはぎがしゅくに いるよりも
なをたのみある ひとごころかな
と歌を詠む。城主は返しに
もののふの やはぎが宿に いるとしも
をしてかへれば かひやなか覧
と詠んでお帰りになった。
別れてから八橋というところに到着した。杜若の名所なので、たくさん咲いているだろうと思ってみたが見当たらない。
やつはしに はるばるときて
みかはなる 花には事を かきつばたかな
と詠むと、供の者が大変に面白がって話に興じているうちに地鯉鮒の里に着いた。
さらに進んでいって、そこに流れていた河があったので尋ねてみると、参河国と尾張の国の堺川という。
もう尾張の国に入ったのだなどという。
今日は9月30日なので、
東方 みちをばゆきも つくさねど
秋はけふこそ おはりなりけれ
と口ずさんで過ごし、芋川、阿野、有松の宿をも過て 鳴海の里に到着した。
伴う人の中に
年ごとに のぼりては又 くだれども
なにとなる身の はてはしられず
と詠む者もいた。
そこからまた笠寺、山崎の里を越えて 熱田の宮に到着し 宿をとる。