3月 13日(金)遠州公所縁の地を巡って
2015-3-13 UP
3月 13日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伏見での遠州公」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は伏見・六地蔵のご紹介をしました。
この六地蔵で、遠州公は洞水門を作って、
師・古田織部を驚かし、
19歳で藤堂高虎の養女と結婚。
慶長四年(1599)21歳の年には
初めての茶会を催します。
遠州公にとって、茶人として、また としての
スタートとなる地でした。
21歳の茶会では師・織部の茶の湯に倣った道具組で
奈良の商人を客として行われました。
また秀吉の死後、織部や金森出雲、堺衆ともに
吉野へ花見に。「利休亡魂」の額をかかげて野点を行い
織部の鼓で遠州公が曲舞を舞った記録があります。
また22歳の時に関ヶ原の戦いが起こり、
父、正次は家康に呼応し出陣し、戦功により
一万四千石に加増、備中国奉行となります。
その翌年23歳で二度目の茶会を行います。
初会には用いなかった禅語の掛物ですが、
二回目の茶会には「石渓心月(しっけいしんげつ)」
を掛けており、遠州公の茶の湯上達の度合いが
推察されます。
これ以降、遠州公が行った茶会の記録は
しばらくの間見当たらず、寛永まで時を待つことになります。