2月27日 大和郡山での遠州公の出会い
2015-2-27 UP
2月27日 大和郡山での遠州公の出会い
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は大和郡山についてご紹介しました。
今日はその地で遠州公に影響を与えた
いくつかの出会いをご紹介します。
遠州公がこの地に移り住んで
十歳の歳、
六十七歳の利休に出会います。
主君秀長が秀吉の御成の際に茶の湯で
もてなすため、その指導に訪れたのでした。
秀長の小姓であった遠州公は、茶会当日
秀吉の給仕をする大役を果たします。
利休切腹の三年前のことです。
十五歳、元服をした遠州公は
利休・織部と茶道の道を極めた人物が参禅した
春屋宗園の下で修行します。
後二十九歳で「宗甫」、同時期に「孤篷庵」の号
を与えられます。
遠州公の茶会の中で一番多く掛けられた墨跡も
春屋禅師のものです。
そして同じ頃、茶の湯の師として古田織部の
門を叩きます。後に伏見に住まいを移してからは
織部の屋敷のあった木幡まで一キロ程度の
距離になり、一層師弟関係を深めていきます。
十六歳にして、既に松屋三名物の一つ
「鷺の絵」を拝見するなど、若いながらも既に
後の大茶人への道の第一歩を踏み出したのでした。