遠州公ゆかりの茶陶「朝日焼」
2018-12-3 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
今週からまたテーマを遠州公の指導した茶陶に戻りまして、お話をしてまいります。
今回は朝日焼。
京都の南、宇治川の流れと山々の緑。
豊かな自然に恵まれた宇治は平安時代、貴族の別荘地でした。平等院鳳凰堂でも知られるこの地ですが、京都のにぎやかさとは異なる穏やかな時の流れを感じます。
宇治川の朝霧に守られながら栽培される抹茶は、栂尾と並び第一の産地に。
天下人達が宇治の茶を好んで求めました。
そしてこの宇治川の源流となる琵琶湖から流れくる土が粘土となり、朝日焼に使われる陶土となりました。
宇治此の頃は茶の所となりて
いづこもいづこも皆(茶)園なり
山の土は朝日焼の茶碗となり
川の石は茶磨となる
竹は茶杓茶筅にくだかれ
木は白炭に焼かれて茶を煎る
と江戸時代初期の北村季吟が、山城の名所名勝記「兎芸泥赴」に記しています。
宇治という土地で「茶」というものの存在がいかに重要であったかが伝わります。
そしてこの地で焼かれた朝日焼は、後に「遠州七窯」の一つとして数えられるようになりました。
次回は遠州公と朝日焼についてご紹介致します。