岡崎城城主

2020-4-17 UP

徳川家康公が生まれた岡崎城は、江戸時代には神聖化され、5万石と石高は高くはありませんが、岡崎城主となることは名誉あることで、家格の高い譜代大名が城主となったといわれています。 遠州公がこの地に訪れた際の城主は本田康紀公。遠州公と同じ天正7年(1579)生まれで、 初代三河岡崎藩主となった父の康重公の死去により家督を継ぎ、二代目藩主となりました。 この日記が記された2年後の元和9年(1623)家光公の上洛に従った後に病に倒れ、亡くなっています。 岡崎の街では家康公ゆかりの史跡が多く残り人々に親しまれています。4月には毎年恒例となっている「家康行列」が行われ、家康公をはじめ三河武士やお姫様に扮した約700名の行列が街を練り歩きます。最終地点となる乙川河川敷では戦国模擬合戦が繰り広げられ、岡崎の春の風物詩となっています。(※今年は残念ながら中止となりました。)