官兵衛
2014-3-16 UP
3月16日 官兵衛(遠州公郡山時代)
ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので
大河ドラマに関連したお話しを。
織田信長が光秀に打たれ、
官兵衛の一言に我に返った秀吉が
その後明智を破り、天下を握ることとなりました。
この本能寺の変の後
秀吉の関白就任、秀長転封と続き
これに伴い、遠州の父も郡山に移ったことは
以前お話しました。
この時遠州七歳。
これから十七歳までの約十年間を
この郡山で過ごします。
遠州が十歳の時、
初めて利休に会うことになります。
天正十六年(1588)
秀長が秀吉を招いた茶会が行われ
その秀吉へお茶を運ぶ役に選ばれます。
その茶の湯の利休を呼び寄せ
前日の秀長は直接指導を受け、幼少の作介(遠州)
もまた利休の言葉を
耳にしたのです。
天下人であっても茶の湯を通じて
対等に接することができる
それを目の当たりにした茶会となります。
この十歳の出会いは後の
遠州に大変大きな影響を与えたのでした。