三河吉田三万石 松平忠利
2020-3-13 UP
さて遠州一行は境川にさしかかり、三河国へ入ります。 境川は三河国と遠江国の国境で、現在は、静岡県(湖西市)と愛知県(豊橋市)の境となっています。 この地三河吉田城主であり、親しい間柄であった松平忠利は遠州公より三歳年下で三河深溝で生まれました。 父・家忠は「家忠日記」とよばれる日記を残しており、当時の様子がうかがえる貴重な資料となっています。 伏見城の戦いで鳥居元忠と共に戦死。 父の弔いにと忠利は参陣を希望しますが、留め置かれたといいます。 関ヶ原の戦功により父祖の旧領三河深溝に1万石を、慶長17年(1612年)には三河吉田3万石に加増されました。