遠州公ゆかりの茶陶「上野焼」

2018-4-27 UP

陶工・尊楷

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は上野焼の開祖・尊楷についてご紹介します。
三斉に従い豊前小倉入りした尊楷は、
移住した地の名をとって上野喜蔵高国と改名し、
十五石五人扶持を拝領します。
後に細川家の移封に従い、長男と三男を伴って
肥後八代に移って高田焼を創始しました。
この時、子の十時孫左衛門と娘婿の渡久左衛門を残し、
上野焼を後継させます。
尊楷は、慕っていた忠興が亡くなると自らも
扶持を返上して出家し宗清と名乗り、
承応3年(1654)年、89歳で生涯を閉じました。
熊本県八代市の上野喜蔵の墓が今も残っています。
当時の高僧である清巌宗渭の箱書きを残す
喜蔵作の貴重な八代茶碗・銘「ねざめ」が出光美術館に
所蔵されています。
史料的に喜蔵作と確定できるのはこの茶碗のみと言われています・