遠州公の茶の湯のはじめ

2014-4-13 UP

4月13日  遠州公の茶の湯はじめ

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は大河ドラマ「軍師官兵衛」の時代
当時の遠州公についてのお話しをさせていただきます。

文禄四年(1595)
秀長の後仕えた羽柴秀保が亡くなり、
大和大納言家はここに滅びます。
遠州公の父、新介正次は秀吉の直参となり
伏見に居を移します。

父に伴い移動したこの伏見での
古田織部との出会いが遠州公の人生を、
決定づけるものとなりました。

文禄二年(1593)
遠州公15歳
この頃に遠州公は古田織部に茶道を習いだしたとされています。
古田織部は利休亡き後、
茶の湯の第一人者として活躍していました。

14歳の時にはすでに
松屋の「鷺の絵」を茶会にて拝見していたことが
記録でわかっています。
この「鷺の絵」についてはまた後日お話したいと思います。