王朝の美を好んだ遠州。藤原定家の書風、定家様の源となった。歌道にも造詣が深く、東福門院の『集外三十六歌仙』や後西天皇の勅撰集にもその歌が挙げられ、茶器への銘や消息文の中にも詠歌を入れた美しい作品が残されている。また、多くの詠歌を辿れば、遠州の生涯の折りおりの心境を推察する手掛かりともなる。
遠州筆 消息 大坂町奉行嶋田出雲守宛 歳旦歌入
この書状は、元和5年から大坂町奉行となった、嶋田清左衛門直時(1570~1628)に宛てた年賀の賀状である。嶋清公から贈られた歌に対する御礼と 、その返歌に新年を寿ぎ一首をしたためている。
伏見奉行であった遠州とは同じ幕府の要職を担っていたが、その職責をこえた深い交友関係を伺い知ることができる。
一文字風帯は茶地一重蔓菊唐草文金襴、中廻はハナダ地波頭梅鉢文金襴、上下は金茶シケである。
遠州筆自詠 よしやただの道歌色紙
この小色紙は枡形の素紙を菱に使用し、定家流の完成した書風で散らし書にしている。この表装も遠州自ら好んだもので、円窓の中心に小色紙を台張りにした独特なものである。表装は、小縁風帯は紺地色入上代紗、中廻は茶シケである。
よしやただ
心の駒はあれぬとも
ついにのりしる 宗甫
道をたづねむ
遠州筆 定家卿小倉色紙 倣
小倉色紙は『小倉百人一首』として親しまれている、藤原定家が撰んだ百人の歌人各一首づつの詠歌を、それぞれ色紙に書き、洛西嵯峨の小倉山荘の障子(ふすま)に貼ったと伝わるもので、それが1枚づつ伝世してきたいわゆる「古筆」のひとつであり、茶の湯に古筆が取り上げられた最初の書である。紹鴎、利休が茶席の床に用いて以来、この色紙は特に珍重され、江戸時代初頭においては、ある意味で墨跡と同等の重きをなし、筆道にても定家流の流行をみるに至った。 その定家流の第一人者が遠州であり、この色紙もまた定家真筆と見まごう書体で、式子内親王の詠歌が書かれている。玉の緒よ絶えなばたえねながらえば しのぶることのよはりもぞする 一音を一字で大きく書した定家の時代を反映した斬新な書風が、遠州の筆で見事に再現されている。