茶の湯日記

不傳庵 茶の湯日記 

年の瀬に

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 平成30年もいよいよ最後の1ヶ月となった。平成としては明年、31年を迎えるわけであるが、365日を通しての平成としての一年は今年で終わりである。つまり、平成という冠での年末は今年限りということで、例年より特別な思いを感じている。
 私としては明年5月から新しくなる元号を、今年のうちの一刻も早い時期に発表して欲しいと願っていたし、いまも同じ考えであるが、残念ながらそれは叶えられなかった。発表しない理由としては、新しい元号が明らかになると「平成」より新元号のほうに注目が集まり、ひいては今上陛下より新しく即位なさる新天皇陛下のほうに、国民の関心が向いてしまうからということが報道されていた。しかし私からすればこれはまったく的を射ていないというか、腑に落ちない理由であった。仮に元号が早く発表されたとしても、私たち国民が平成という名前を軽んじることがあるだろうか。まして、今上陛下に対しての日本国民の敬意の心が薄れるといったことは、まったくの杞憂である。むしろ、報道、マスコミが商業的理由から新元号を必要以上に盛り上げることによる心配のほうがあったと思う。私たち国民を理由にするのは論点のすり替えではないだろうか。
 早く元号を知りたかった理由の一つは、カレンダーのことである。世間一般のカレンダーや手帳などのある一定数が、明年分をすべて西暦にしてしまっている。印刷などの理由で、これはやむを得ないのであるが、それによって来年を2019(ニーマルイチキュウ)と呼び、また東京オリンピック・パラリンピックの年を今から2020(ニーマルニーマル)と呼称している。オリ・パラは日本だけではない、世界的行事であるから、それはそれで納得もするが、来年の1月1日は、明白に、平成31年元旦なのである。日本人は概して流されやすい国民性をもっている。このことは、ある部分では柔軟性のあるよいところともいえるが、きちっと自分の立場を主張するという場面では非常に危ういといえる。だからこそ、新しい年号も国民に根づかせなければいけないと思う。
 とはいえ、決まっていることにいつまでも不平を言ってもなにも生まれないので、私自身は平成最後の除夜釜をしっかりとつとめ、新しい平成31年を迎えたいと思っている。