茶の湯日記6月

不傳庵 茶の湯日記 

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 



 今年は、ご承知の通り私は華甲の歳を迎えた。正月点初めから自身の節目を新たなるステップととらえて毎日を活動しているうちに、あっという間に半年が過ぎてしまった。時の流れをどう感じるかは、人それぞれではあるが、私にとってはあまりにも速かったと思っている。それは充実しているといえなくもないのであるが、速さゆえにもっとできることがあったのではという反省の気持ちも半分ある。


 現在の人間社会はすべてにおいてスピードが第一である。ネット社会では、私たちの得る情報は、本や新聞などの紙を通したり、TVを通したりよりも、携帯電話やタブレットの方が多い。また多くの人たちは、そこにあるものが正しいと信じている傾向がある。昔だったら、辞書を引く、古典から探す等々、ある程度の時間を要した。


この時間を必要とするということが、実は大切なのである。時間がかかれば、その間に、自分の考察、アイデア、発見というものが加味されてゆく可能性がある。たとえ元々の種はあったとしても、自己の意思が入ることでオリジナルなものが生まれることもあるはずだ。これがインターネットでは、一瞬で得られてしまう。自分の欲しい情報にヒットすると、それが正しい情報であるかを考える隙もない。つまり、正しい判断をしないうちに得た情報に、さらなる情報を乗せていくという作業になってしまいがちなのである。


実は私も最近この方法に甘えてしまうこともある。しかし古いといわれるかもしれないが、私は、本の厚みは知識の深味となり、時間の長さは、調べた内容の豊富さにつながってくると思っている。だから時間というものは、あながち速ければよいともいえない。速さは浅いということにもなりかねないからである。結局どうするかは己次第ということになるのであろう。


 私にとってもう一つ時間についていえることは、どんなに忙しかろうが、点前畳に座したときには一瞬にして時を忘れるという特性があるということである。これは茶の湯の本当に素晴らしい特長である。そのときに必要なことは、どうかこの一服で「美味しい」という一言をお客様に発してもらいたいという一念である。その一点のみに集中すれば、他のことは、気にならない。それが茶の道の醍醐味であると信じて、明日からも進んでゆけるのである。



 熊本ならびに大分地方で起きた震災で被災された方々にお見舞い申し上げます。