茶の湯日記5月

不傳庵 茶の湯日記 

おもてなし

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 新緑の美しい風薫る爽やかな好季節となった。今年は、桜の開花は、卒業式の時季から入学式の頃までと、随分長く楽しむことが出来た。

 私の家の周辺の桜は、都内でも指折りの数の多さを誇っている。すぐ前の外堀通り、その一本道路違いの靖国通りは、桜の時季には大いに人出で賑わうものだ。毎年の常であるが、二本の通りは満開の時季が一週間ずれているので、概ね二週間にわたって花見が出来る。そして靖国からもう少し歩みを伸ばせば千鳥ヶ淵と桜の見所は続いてゆき、皇居の方へと連綿と桜が繋がってゆくのである。

 昨年あたりから、例年の花見客に加え、海外からの観光客もかなり増えてきている。そこには、歓迎すべき面がある一方で、文化の違い、習慣の違いによるトラブルも多く見られているようで、毎日のようにテレビなどで、そこでおきたハプニングや事件をおもしろおかしく伝えている。

 実は、私はこのことについて大いなる疑問、不満を持っている。日本政府は、観光立国というお題目をかかげて大々的に外国人観光客を迎えることを歓迎し、誘致している。そこでいつも使われる言葉が「おもてなし」である。しかし、よくその方針方策を見ると、単純に渡航客を増やすことばかりであり、つまり、経済最優先主義がかい間見えるのである。

 この日記において時おり書かせて頂いているが、おもてなしとは、もてなす側ともてなされる側の心がぴたっと一致することで最大の効力を発揮するのである。茶の湯で言えば「亭主は客の心を知り、客は亭主の心を知れ」である。

 何事も一方的なものの進め方では、良いものは生まれない。茶道を楽しむのにも、一定のルールがあり、またマナーが必要で有る。これは全てのことに通じることである。どうもその点、最近の日本は、ひたすら丁重にという姿勢が強すぎるようである。もう少し、自分の足元をみつめ基本に立ち返って、身の周りのことを考えていく必要があると思う。グローバル時代とは、そういうことなのである。

 さて遠州誌も、昭和53年7月号を第一号として以来、本号で600号となった。私が大学卒業の時に生まれた本誌が、こんどは私の華甲の時に600という数を迎えたことは何かの縁であろう。次号601号からは形を新たにして発刊されることとなった。皆様の更なるご支援を頂きたいとお願いして、御礼の言葉としたい。最後に今までの編集にあたった日刊工業出版プロダクションに対して敬意を表したい。