茶の湯日記4月

不傳庵 茶の湯日記 

アスリートたちに学ぶ

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 気候の不順さにも、なんとなく慣れてしまっている昨今ではあるが、今年はとくに年初からずいぶんと一日一日の変化が激しいように思う。また、日本列島の地域ごとに、あまりにも違いがあるのも今年の特徴のように感じられる。

 過日金沢を訪れたとき、道路の側面に積み上げられた大雪の名残りは、一メートル以上の高さであった。さぞかし、さらなる豪雪に見舞われたと聞く福井や、ほかの北陸各地の様子が心配になった。

 さて、二月末に、韓国平昌〔ピョンチャン〕において冬季オリンピックが開催された。日本選手団の、冬季最多数となるメダル獲得に沸いた一方で、スポーツの祭典に政治的側面が次から次へと見られた、いままでにない大会でもあった。それは、国と国との間の政治問題だけでなく、IOC自体のもっている、コマーシャリズムへの傾倒によるスポンサーへの配慮や、大国優先主義なども含まれる。そういったことに起因するさまざまな部分で選手達への配慮の足りなさを感じさせるものも多かった。

 しかしながら、やはり中心となるのは、アスリートたちである。彼らの活躍を見て、また勝者だけでなく、敗者の潔さなどにも感動を受けたことが多々あった。冬のスポーツは競技場や日々の練習場などに限りがあり、試合の会場にも制限が多い。したがって、競技に参加する世界中のアスリートは、比較的、時と場を共有することが、一般の競技よりもかなり多いと思う。フィギュアスケートなどは、十代のころから顔見知りであり、ライバルであってもほとんど同じ場所にいることが多いように思える。そういうこともあり、冬のスポーツのアスリート達の、試合後のたがいを尊重し、たたえ合う姿が美しく目に写ったのだと思う。

 幸いにも私は、日本人選手が金メダルを獲得した四つの競技を生中継で見ることができた。まさに、ハラハラドキドキの状態であったが、それぞれの勝利の瞬間には、大きな歓声と喜びの涙が自然と自身の身体からあふれ出たものであった。こういったうれしさ、そしてときには悔しさを、しっかり目に焼きつけておくことが、人間としてなにを目標とし、生きていくかということの勉強にもなると思う。そこで感じ取ったものを、私の場合は茶の湯の世界にどう表現していくかが、課題になるのである。